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第22話 演習

 東方第三砦。


 王都から馬で三日の距離にある、国境防衛の要所だ。石造りの堅牢な砦で、常駐の兵が二百名。周囲には小さな砦が四つ点在し、それぞれが通信塔で結ばれている。


 合同演習の日が来た。


 カイは砦の通信室に陣取っていた。ただし、椅子は部屋の隅に置いてある。中央の指揮卓にはドルクが立っている。


 ドルク・ハイゲン。ガルス将軍の副官。三十代前半の、実直な軍人だ。背は高くないが、判断が速い。カイが不在の間に通信連携を引き継ぎ、独自に運用を回してきた人物である。


「カイ殿。本日の演習の通信指揮は、わたしが執ります」


「はい。わたしは見ているだけです」


「……正直に申し上げると、あなたが後ろにいると緊張します」


「すみません。なるべく気配を消します」


「いえ、そういうことではなく——あなたが作った仕組みを、あなたの前で使うのが、という意味です」


「ドルク殿。この仕組みは、もうわたしのものではありません。あなたが運用し、改良し、自分のものにした。わたしは、それを見に来ただけです」


 ドルクは一瞬言葉に詰まり、それから姿勢を正した。


「承知しました。では、演習を開始します」


────


 演習は、仮想の敵部隊が北東から侵入する想定で行われた。


 第三砦を中心に、周囲四砦が連携して敵を包囲する。通信塔を使って各砦がリアルタイムで情報を共有し、最適な配置を自律的に判断する。


 カイが三年前に設計した分散型通信システムの、実戦運用テストだ。


 演習が始まった。


 第一報。北東の第七砦から。


「仮想敵部隊、確認。推定兵力三百。移動速度は中程度。進路は南西」


 ドルクが応答する。


「了解。第七砦は監視を継続。第九砦、北からの迂回に備えて偵察を出せ」


「第九砦了解」


 通信は滑らかだった。各砦が自律的に判断し、ドルクは全体の調整だけを行う。カイが設計した「現場が判断し、中央は判断できないことだけを引き受ける」という原則が、実際に機能している。


 だが——三十分後、想定外のことが起きた。


 第十一砦からの通信。


「こちら第十一砦。通信塔の水晶に亀裂。原因不明。通信出力が半減しています」


 ドルクの顔が一瞬曇った。


 通信塔の障害。これはカイなら即座に迂回経路を計算し、残りの塔に負荷を分散させていた。だが、その判断基準をドルクは完全には引き継いでいない。


 カイは椅子に座ったまま、動かなかった。口を出さない。ガルスとの約束だ。


 ドルクは数秒間考え、決断した。


「第十一砦。第七砦経由で第三砦に通信を中継しろ。直接通信は諦めて、中継ルートに切り替え」


「了解。ただし、第七砦の通信負荷が上がります」


「第七砦、余裕はあるか?」


「こちら第七砦。通常の一・五倍までなら対応可能」


「一・五倍で足りるか——カイ殿」


 ドルクが振り返った。思わず聞いてしまったのだ。


 カイは少し迷った。答えるべきか。口を出すなと言われている。だが、問われたのだ。


「足ります。ただし、天候が崩れると厳しい。今のうちに第十三砦にも予備の中継経路を確保しておくことを勧めます」


「了解。第十三砦、予備中継の準備をしろ」


「第十三砦了解」


 演習は続いた。


 その後も小さな障害が二度起き、ドルクはそのたびに判断を重ねた。カイに聞いたのは最初の一度だけで、残りは自分で対処した。


 完璧ではなかった。カイが指揮していた頃の通信運用と比べれば、判断の速度は七割程度だろう。迂回経路の選択も最適ではなかった。


 だが——回った。


 演習は成功裏に終了した。仮想敵は包囲され、全砦が連携を維持したまま作戦を完了した。


────


 演習後、砦の食堂で打ち上げが行われた。


 兵士たちが酒を酌み交わす中、カイは例によって隅の席で黙っていた。


 ドルクが酒を持って近づいてきた。


「カイ殿。今日はありがとうございました」


「わたしは何もしていません」


「いいえ。第七砦の件で助言をいただきました。——正直、あの判断は自分では出せませんでした。天候の変化まで考慮する余裕がなかった」


「経験が足りないだけです。あと何度か演習を重ねれば、自然と判断できるようになります」


「そうでしょうか」


「ドルク殿。今日の演習で、あなたは二度の障害を自力で対処しました。三年前、わたしが初めて砦に来たとき、ガルス将軍は通信障害のたびに伝令を出していた。それと比べれば、格段の進歩です」


 ドルクは酒を飲み、言った。


「カイ殿は不思議な人ですね。褒められているのか、諭されているのか、よくわかりません」


「褒めています。ただ、褒め方が下手なだけです」


「……なるほど。ガルス将軍がおっしゃっていた通りだ。『あいつは不器用だが、嘘はつかない。だから信用できる』と」


 食堂の喧騒の中で、カイは窓の外を見た。夜空に通信塔の青い光が瞬いている。


 三年前、この光はカイひとりが見守っていた。


 今は、ドルクが見守っている。レンが見守っている。ファルケンたちが見守っている。


 光は同じだが、それを支える人間が増えた。


 仕組みは——ひとりの人間のものではなくなりつつある。


 それは喜ばしいことのはずだ。


 だが、カイの胸のどこかに、小さな寂しさがあった。


 自分が作ったものが、自分の手を離れていく寂しさ。


 それは——子を育てる親の気持ちに似ているのかもしれない、とカイは思った。


 もっとも、カイには子どもがいないから、想像でしかないのだが。

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