第21話 断章6
カイ・ソーマの手記 新たな頁
────
帰還から七日目。
わたしは手記を書く習慣をやめようとしていた。数式で考え、数式で結論を出す。それがわたしの思考法だった。だが、数式だけでは伝わらないことを知った今、文章で書くことにも意味がある。
だから、あえて文章で書く。
────
調和官としての最初の一週間で、わたしが学んだこと。
第一に、「説明する」ことは「理解する」ことよりも難しい。
通信塔の自動化設計を魔術師チームに説明しているが、説明するたびに、自分の設計の曖昧な部分に気づく。頭の中では整合しているつもりだったが、言葉にすると矛盾が見つかる。
つまり、わたしは自分の設計を完全には理解していなかった。ひとりで作り、ひとりで運用していたから、曖昧な部分を「感覚」で補っていた。その感覚を他者に渡すことはできない。言語化して初めて、設計は完成する。
ひとりで作った仕組みは、ひとりの人間が持つ曖昧さを含んでいる。それは弱点だ。
第二に、「任せる」ことは「やる」ことよりも怖い。
ファルケンに第一段階の実装を任せた。彼は優秀だが、わたしのやり方とは違う。わたしなら使わない手法を使い、わたしなら省略しない手順を省略する。そのたびに口を出したくなる。
だが、口を出せば、任せたことにならない。
ヴェルナー宰相の言葉が耳に残っている。「ひとりでやるな」。
任せることは、相手を信頼するということだ。信頼するとは、相手のやり方が自分と違っても、結果を待つということだ。
これは数式では表現できない。信頼には変数がなく、関数もない。あるのは、待つという行為だけだ。
第三に、「見えること」は、思ったよりも重たい。
調和官として正式な辞令を受けたことで、わたしの存在が宮廷内で認知された。以前は廊下を歩いても誰も振り向かなかったが、今は声をかけられる。質問される。相談される。
ありがたいことだ。だが、同時に——重い。
見えない存在だった頃は、失敗しても誰も気づかなかった。今は、わたしの判断が見える。判断が見えるということは、間違いも見えるということだ。
間違いを恐れるあまり、判断を遅らせたくなる衝動がある。以前のわたしなら、迷わず計算し、迷わず実行した。誰にも見られていなかったからだ。
見られているということは、責任があるということだ。責任は、重い。
だが——
────
今朝、エリスさんがお茶を持ってきてくれたとき、こう言った。
「カイ様、最近は朝の顔色が良いですね」
「そうですか?」
「以前は、いつも疲れたお顔でしたから。今は——少し違います」
何が違うのだろう。
睡眠時間は以前より長い。仕事量は以前より少ない。だが——それだけではない気がする。
ひとりで抱えていないからだ。
通信塔のことはレンとファルケンが。物流のことはマーサが。軍の通信はガルスの副官ドルクが。それぞれが、自分の領域を自分で回している。
わたしの仕事は、全体を見ること。そして、全体を見た結果を、彼らと共有すること。
以前は、見て、判断して、実行するまでをひとりでやっていた。今は、見て、共有するところまでがわたしの仕事で、判断と実行は彼らに委ねる。
委ねることは、手放すことだ。手放すことは、信じることだ。
まだ上手くはない。つい手を出しそうになる。自分でやった方が速い、という思いが頭をよぎる。
だが、速さは目的ではない。
仕組みが自立することが目的だ。
自立のためには、わたしが遅くなることを受け入れなければならない。
────
昨夜、ガルス将軍が執務室に来た。珍しいことだ。
「よう、カイ。元気にやってるか」
「はい。おかげさまで」
「堅いな、相変わらず。——ひとつ頼みがある。来月、東方の砦で合同演習がある。通信連携の新しい運用を試したい。立ち会ってくれるか」
「わたしが行くのですか?」
「ドルクの指揮だが、お前の目で見てほしい。全体を見られるのはお前だけだ」
「……以前なら、わたしが通信の運用をすべて指示していました。今回は、見るだけですか?」
「見るだけだ。口は出すな。出したくなっても我慢しろ。ドルクは優秀だ。やらせてみなきゃわからん」
「ガルス将軍。あなたも変わりましたね」
「うるせえ。お前がいなくなったせいで変わらざるを得なかっただけだ」
将軍はそう言って、大きな手で机を叩いて笑った。
────
(リーナ注:この手記は、カイの執務室の引き出しではなく、机の上に開いた状態で置かれていた。以前のカイは手記を引き出しの奥に隠していたが、今は隠していない。見られることを、受け入れ始めているのかもしれない)




