第20話 自動化
通信塔の自動化計画。
カイが消える前に最後に提案し、オルグレンに却下された、あの計画だ。
オルグレンが予算を拠出すると決めたことで、実装への道が開けた。しかし、設計書を読める人間は限られている。数式で書かれた設計を、実際の魔法の仕組みに落とし込むには、数理を理解する人間と、魔法を使える人間の両方が必要だった。
カイは数理を理解する。だが魔法は使えない。
オルグレンの部下の魔術師たちは魔法を使える。だが数理は理解しない。
その橋渡しができるのは、レンだけだった。
────
王都中央通信塔。管制室。
カイとレンは、壁一面の水晶板の前に立っていた。青白い光が二人の顔を照らしている。
「レン。この設計書の核は、三つの関数です」
カイは紙を広げた。数式が並んでいる。
「第一に、各塔の魔力残量を予測する関数。気温、湿度、通信量を変数として、次の充填が必要になる時刻を計算します」
「それは理解できます。俺が毎日やっている目視確認を、数式に置き換えたものですよね」
「はい。第二に、通信の優先度を動的に変える関数。通常時と緊急時で、どの経路に優先的に魔力を回すかを自動で判断します」
「それも——時間はかかりますが、理解できると思います」
「第三が一番難しい。障害予測です。過去の障害パターンから、次に落ちる可能性が高い塔を予測し、事前に迂回経路を準備する」
レンは眉をひそめた。
「それは……俺の経験と勘でやっていた部分です。数式にできるんですか?」
「完全にはできません。だから、数式で八割を判断し、残りの二割は人間が判断する。その人間がレン、あなたです」
「俺が」
「あなたは二十三基の塔の癖を身体で知っている。第七塔は湿度が高いと不安定になる、第十五塔は冬に魔力が漏れやすい——そういう知識は、数式では書けない。数式が出した結果に、あなたの判断を加える。それが最適な運用です」
レンは水晶板を見上げた。
「カイさん。前は、そういうことを全部ひとりでやっていたんですよね」
「はい」
「それを今は、俺に教えてくれている」
「はい」
「なんで前は教えてくれなかったんですか」
カイは少し黙った。
「……教えなかったのではなく、教え方がわからなかった。わたしの頭の中にあることを、言葉にするのが苦手で。数式なら書けるのですが、数式では伝わらない」
「今は伝わってますよ。前より、ずっと」
「そうですか?」
「ええ。前のカイさんは、質問しても『こうです』としか言わなかった。今は、なぜそうなのかを説明してくれる。理由がわかると、応用が利くんです」
カイは意外そうな顔をした。
「変わったんですかね、わたし」
「変わりましたよ。ラーテ村で何かあったんじゃないですか?」
「水路を直しました」
「は?」
「村の水路の勾配を計算して、直し方を村人に教えたんです。そのとき、計算結果だけ渡しても誰も動かなかった。なぜその計算になるかを説明したら、村人が自分で直してくれた。——それで気づいたんです。結果だけ渡すのは、設計であって、伝達ではないと」
レンは笑った。
「水路で学んだことが、通信塔に活きてるんですね」
「規模が違うだけで、本質は同じです。仕組みを動かすのは人間で、人間を動かすのは理解です。理解なしに仕組みだけ渡しても、想定外に対応できない」
────
自動化の実装は、段階的に進めることになった。
第一段階——魔力残量の予測と自動充填スケジュール。これは比較的単純な魔法の改修で実装できる。レンとカイが設計し、オルグレンの部下の魔術師チームが実装する。
第二段階——通信優先度の動的変更。これには通信塔の水晶板に新しい魔法回路を組み込む必要がある。技術的に難しく、時間がかかる。
第三段階——障害予測。これは数式の精度を上げるために、過去のデータの蓄積が必要だ。すぐには完成しない。
カイはオルグレンの部下の魔術師たちと初めて正式に顔を合わせた。
五人の魔術師。全員がカイより年上で、全員が魔法を使える。カイが使えないものを。
会議室に沈黙が落ちた。
魔術師の一人——白髪混じりの中年の男、ファルケンが口を開いた。
「カイ・ソーマ殿。率直に申し上げる。あなたの設計を読みましたが、数式の部分が理解できません。我々は魔術師であって、数学者ではない」
「はい」
「にもかかわらず、あなたは我々にこの設計の実装を求めている。設計者の意図がわからないまま実装すれば、事故が起きます」
「おっしゃる通りです」
「では、どうするのですか」
カイは一枚の紙を取り出した。数式は書かれていない。代わりに、図と平易な文章で構成されていた。
「数式の翻訳版を作りました。魔術師の方々に理解していただけるように、魔法の用語で書き直しています。正確さは多少落ちますが、実装に必要な情報は網羅しています」
ファルケンは紙を受け取り、読み始めた。
「……これは、わかる」
「不明な点があれば、何度でも説明します。わたしの仕事は設計書を渡すことではなく、皆さんが実装できるようにすることです」
ファルケンはカイの顔を見た。
「あなたは以前のカイ・ソーマとは違うようだ」
「以前のわたしをご存知ですか?」
「オルグレン卿から聞いていた。『数式しか書けない融通の利かない男だ』と。だが、この資料を見る限り、融通が利かないのは卿の方だったようだ」
魔術師たちの間に、小さな笑いが起きた。
カイは笑わなかったが、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
────
実装作業は翌日から始まった。
カイは毎日、魔術師チームの作業場に通った。数式を翻訳し、質問に答え、設計の意図を説明した。
以前のカイなら、自分で全部やった方が速いと思っただろう。実際、カイが魔法を使えれば、一人で実装できたかもしれない。
だが、カイは魔法を使えない。
そして——使えないからこそ、魔術師たちの力を借りるしかない。借りるためには、伝えなければならない。伝えるためには、相手の言葉で語らなければならない。
それは、カイにとって最も苦手なことだった。
しかし、ラーテ村で学んだことがある。
結果を渡すのではなく、理由を伝える。
仕組みを押しつけるのではなく、理解を共有する。
三日目の夕方、ファルケンがカイに声をかけた。
「カイ殿。一つ提案がある」
「何ですか」
「第一段階の魔力充填スケジュール。あなたの設計では六時間ごとの予測更新だが、我々の魔法なら三時間ごとに更新できる。精度が上がる」
カイは目を丸くした。
「それは——わたしの設計を超えています」
「当然だ。我々は魔術師だ。魔法の実装に関しては、あなたより詳しい」
「……ありがとうございます。三時間更新で設計を修正します」
カイは初めて、自分の設計が他者によって改善される経験をした。
それは奇妙な感覚だった。自分の設計に他者が手を加えることへの抵抗と、それによって仕組みがより良くなることへの喜びが、同時に胸の中にあった。
夜、カイはひとりで通信塔の管制室にいた。
水晶板の青い光を見つめながら、かつてレンに言った言葉を思い出していた。
「二十三の塔が、それぞれの旋律を奏でている」
今、その旋律に新しい音が加わろうとしている。
カイだけの旋律ではなく、レンの、ファルケンの、魔術師たちの旋律が。
不協和音はまだある。だが、それも含めて——全体の調和は、少しずつ豊かになっていく。




