第2話 証言1:将軍ガルス
「ああ、カイか。あいつがいなくなってから、砦の連携がガタガタだよ」
王国軍総司令官ガルス・ベイン。
巨躯に無精髭、腕を組んで椅子の背にもたれかかる姿は、軍人というより山賊の頭目のようだった。だが、この男が率いる王国軍は、近隣諸国から最も恐れられている。力ではない。連携の速さにおいて。
——カイとの関係は?
「関係も何も、あいつは文官だ。俺は軍人だ。本来、接点はない」
——しかし、軍の通信連携の仕組みはカイが設計したと聞いています。
「ああ、その通りだ。……いや、正確に言えば、あいつが設計したという自覚が俺にはなかった。気づいたら、そうなっていた」
——どういうことですか?
「三年前のことだ。北方の蛮族が侵攻してきた。大した戦力じゃなかったが、問題は情報だった。敵がどこにいるかわからない。各砦からの報告が遅い。伝令は馬で二日かかる。その二日の間に敵は動く。俺たちは常に後手に回っていた」
「そんな折に、宰相からひとり文官をつけると言われた。正直、迷惑だった。戦場に文官を連れていく余裕なんかない。だが、宰相の顔を立てて受け入れた。それがカイだ」
——初めて会った時の印象は?
「目立たない男だった。痩せていて、背も高くない。目だけがやけに真剣で、ずっと何かを考えているようだった。挨拶もろくにしなかった。……いや、しなかったんじゃないな。できなかったんだと思う」
「俺は最初、あいつを無視していた。文官に戦のことはわからんし、邪魔にだけはなるなと伝えた。あいつは頷いて、それからしばらく砦の中をうろうろしていた」
——何をしていたのですか?
「聞いて回っていた。兵士ひとりひとりに。通信士に。物資の管理をしている補給兵に。馬丁にまで話を聞いていた。何を聞いていたかは知らない。ただ、あいつが質問すると、みんな妙に真面目に答えるんだよ。偉そうにするわけでもない。馬鹿にするわけでもない。ただ、聞く。それだけなのに、兵士たちは普段言わないことまで喋っていた」
「三日後、あいつは俺のところに来て、紙を一枚差し出した」
——何が書いてあったのですか?
「通信の仕組みの図だ。各砦の魔法通信塔を、どういう順番で、どういう頻度で、何を伝達すればいいか。それが一枚の紙に収まっていた」
「正直、意味がわからなかった。だから聞いた。『これは何だ?』と」
——カイは何と答えましたか?
「あいつは少し考えてから、こう言った。
『今の通信は、全部の砦が王都に報告しています。でも、全部の砦が王都の返事を待っている。だから遅いんです。砦同士が直接つながれば、王都を経由しなくていい情報は砦の間だけで完結します。王都には、砦で判断できないことだけを上げればいい』」
「当たり前のことのように聞こえるだろう? だが、誰もそれをやっていなかった。なぜなら、『すべての情報は王都が把握すべきだ』という前提で仕組みが作られていたからだ。王都が判断し、王都が命令を出す。それが正しい形だと、誰もが信じていた」
——カイはその前提を変えた。
「ああ。あいつは言った。
『将軍、砦の判断を信頼しませんか。現場が判断した方が、絶対に速いです。王都は現場が判断できないことだけを引き受ければいい。それが将軍の本来の仕事だと思います』」
「俺はそのとき初めて、あいつの顔をちゃんと見た。偉そうなことを言っているわけじゃない。あいつは本当にそう思っていた。現場を信頼するということが、一番効率がいいと、純粋に信じていた」
——その仕組みは実際に機能しましたか?
「してしまった、と言うべきだな。あいつの設計通りに通信塔の運用を変えたら、情報の伝達速度が三倍になった。砦同士が直接連携するようになって、俺が命令を出す前に現場が対処していた。蛮族の侵攻は一ヶ月で鎮圧できた。前の侵攻では半年かかった」
——カイの功績として認められましたか?
ガルスは一瞬、目を伏せた。
「……認められていない。鎮圧の功績は軍のものだ。報告書にカイの名前は出ていない。あいつ自身がそれを望んでいた節もある。『仕組みが回ればいいんです。名前は要りません』と言っていた」
——それを聞いて、あなたはどう思いましたか?
「正直に言えば、都合がよかった。文官の功績を認めれば、軍の面子に関わる。だから俺もあいつの名前を出さなかった」
ガルスは太い腕を組み直し、天井を見上げた。
「今にして思えば、あれが最初の間違いだったのかもしれん。あいつの仕事を、誰も正しく評価しなかった。仕組みが回れば回るほど、あいつの存在は見えなくなっていった」
——カイが消えた後、軍はどうなりましたか?
「通信塔の運用マニュアルは残っていた。あいつが作った手順書だ。だが、手順書通りにやっても、うまくいかない。想定外のことが起きたとき、どう判断すればいいかがわからない。あいつは手順書に書いていないことを、日々調整していたんだ。通信の優先順位、障害時の迂回経路、季節ごとの通信量の変動——そういう細かい調整を、あいつはひとりでやっていた。それが止まった」
——手順書だけでは回らない。
「仕組みは、設計しただけでは完成しない。動かし続ける人間が要る。あいつはそれを全部ひとりでやっていた。……いや」
ガルスは首を振った。
「ひとりでやらせていた、と言うべきだ。俺たちが」
将軍は最後に、低い声でこう言った。
「あいつは一度だけ、俺に不思議なことを言った。
『将軍、楽団を知っていますか。指揮者がいなくても演奏できる楽団が、一番いい楽団なんです。指揮者は、楽団がひとりで演奏できるようになるために存在するんです』
俺は意味がわからなかった。だが今ならわかる。あいつは自分がいなくなっても回る仕組みを作ろうとしていたんだ。ただ——」
——ただ?
「間に合わなかったんだろうな。あいつがいなくなるのが、仕組みが自立するより、早かった」




