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第1話 プロローグ

 最初に異変に気づいたのは、辺境の砦の兵士だった。


 毎朝、決まった時刻に届くはずの通信が届かない。王都から各砦へ、魔法通信塔を経由して送られる定時連絡——天候、物資の輸送予定、周辺の魔物の動向。それが途絶えた。


 砦の通信士は機器の不具合を疑い、通信塔の水晶を調べた。異常はなかった。


 翌日も届かなかった。


 三日目、砦長は伝令を出した。馬で二日かかる隣の砦に人を送ったのだ。そこでも通信は途絶えていた。


 同じ頃、王都では別の混乱が起きていた。


 毎月の徴税報告が、各地方から届かなくなっていた。正確には、届いてはいるのだが、書式が統一されておらず、集計ができない。以前は自動的に集計される仕組みがあったはずだが、その仕組みがいつの間にか動かなくなっている。


 商人ギルドでは、物流の最適経路を示す掲示板が更新されなくなった。掲示板は魔法で動いており、各街道の混雑状況や天候をもとに最適な経路を表示していたが、それが止まっている。


 どれもが致命的な障害ではなかった。通信が止まっても伝令を出せばいい。徴税は手作業で集計すればいい。物流は経験と勘で回せる。


 だが、すべてが同時に起きた。


 宮廷では連日の緊急会議が開かれたが、原因がわからなかった。魔法通信塔は壊れていない。徴税の書式を定めた規則も変わっていない。物流の掲示板も、魔法自体は正常に動いている。


 壊れたのではない。「回す人間」がいなくなったのだ。


 ただ、そのことに気づいた者は、宮廷にはほとんどいなかった。


────


 わたし、リーナ・ヴァレスが王宮に呼び出されたのは、混乱が始まって七日目のことだった。


 わたしは王立図書館に所属する記録官だ。歴史的な出来事を調査し、文献にまとめる仕事をしている。これまでに、先代の戦争の記録や、建国期の外交文書の編纂などを手がけてきた。


 呼び出したのは宰相ヴェルナーだった。


 宰相の執務室は、いつもは書類の山で埋もれている。だが、この日はそれ以上だった。机の上だけでなく、床にまで書類が散乱している。


「すまないね、散らかっていて」


 ヴェルナーは白髪の老人だ。温厚だが、その目は常に何かを計算している。この国の官僚機構を三十年にわたって率いてきた人物である。


「今、国中が混乱しているのは知っているだろう?」


「はい。通信の途絶、徴税の混乱、物流の停滞。図書館にも報告は来ています」


「原因は特定できたよ。ひとりの人間がいなくなった。それだけのことだ」


「ひとりの?」


「カイ・ソーマ。宮廷書記官だ」


 わたしはその名前に覚えがなかった。宮廷書記官は決して低い地位ではないが、目立つ役職でもない。文書の管理や、各部署間の連絡調整を行う実務の要——とされている。


「カイは七日前に執務室から姿を消した。辞表も置かず、誰にも告げずに」


「捜索は?」


「している。だが見つからない。問題はそこではない」


 ヴェルナーはわたしの目をまっすぐ見た。


「あの男がいなくなった途端に、この国のあらゆる仕組みが止まった。わたしは三十年この国の政を見てきたが、ひとりの人間の不在がこれほどの影響を及ぼすのを見たことがない。王が倒れても、将軍が死んでも、ここまでにはならん」


「それほどの人物なのですか?」


「それがわからんのだ」


 ヴェルナーは苦笑した。


「わたし自身、あの男が具体的に何をしていたのか、正確には把握できていない。各部署に聞いても、『カイさんが何とかしてくれていた』としか返ってこない。何を、どうやって、何とかしていたのかを誰も説明できない」


 宰相でさえ把握していない。それは異常なことだった。


「リーナ。君に頼みたいのは、カイ・ソーマという人間が何者だったのかを明らかにすることだ。彼が何を設計し、何を動かしていたのか。それがわかれば、この混乱を収束させる糸口になる」


「調査の範囲は?」


「無制限だ。誰にでも話を聞いていい。王宮の人間であれば、わたしの名で命じることもできる。文書へのアクセスも制限しない」


「カイの執務室は?」


「見てきたよ。きれいに片付いていた。ただ——」


 ヴェルナーは机の引き出しから、一冊の薄い冊子を取り出した。


「これだけが残されていた。彼の手記のようだが、わたしには読めない」


 わたしは冊子を受け取り、開いた。


 数字と、見たこともない記号の羅列。図形のようなものもある。文字はほとんどなく、あるのは数式と図だけだった。


 言葉ではなく、数式で思考する人間。


 わたしはその冊子を閉じ、ヴェルナーに向き直った。


「わかりました。お引き受けします」


「頼む。ただ——」


 ヴェルナーは少し声を落とした。


「調査を進めるうちに、耳の痛い話も出てくるだろう。あの男を追い出したのは誰か、という話だ。その結果がどうであれ、わたしは受け入れる覚悟がある」


 追い出した——?


 姿を消した、ではなく。


「カイは自分から消えたのではないのですか?」


「それも含めて調べてくれ。わたしにも、確信はない」


 こうして、わたしの調査は始まった。


 カイ・ソーマ。魔法の才能はなく、剣も持たず、人前に出ることもなかった宮廷書記官。


 この国のすべてを回していたかもしれない、誰にも覚えられていない男の記録を、わたしは辿ることになる。


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