49 大好き
読みに来てくださってありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
紫龍の巨大な口がオパールを飲み込もうとしたその時、オパールの口から厳かな声が発せられた。
「止まれ」
凛と響いたその声に、紫龍の体が、その場に縫い留められたようにぴたりと動かなくなった。
「何を、した……」
オパールは隣にいたクマに手を置いた。獰猛なクマがその手にほおずりしている。
「私の……『紫のイリス』の力を忘れたの?」
「それは、一つになることで永遠の命と若さを……」
「違うわ」
オパールの頭の中に、白紙に見えた母の日記帳が浮かぶ。見えなかった文字が浮かび上がり、母が残した記憶が流れ込んでくる。その記憶が、自分の者になる。虹蛇が語ったその記憶の通りに、オパールは紫龍に告げた。
「生きとし生ける者を、調整する(コントロールする)力よ」
オパールは言いながら、やっと全てが理解できたように感じた。
薬を「毒」と認識したから、薬の中にあった植物たちのもつ薬効をコントロールして消していた。
けがや病気を「異常」と認識したから、本来あるべき状態にコントロールして治していた。
自分の力だけでは戦えないから、動物と会話できるようにコミュニケーションツールをコントロールして動物たちを従えた。
それは、動物の肉体さえ支配できる力だったのだ。
「そして、その力で平穏をもたらす。それが『紫のイリス』に与えられた使命」
巨大な白蛇が紫龍に絡みつくと、元の大量の小さな白蛇になって紫龍の体に取りついた。
「やめろ、何をする!」
「何をって、あなたはもう一度生まれ変わるの」
「いやだ、もう人の子の姿で生まれ直すのはうんざりだ!」
「でもね。たとえ私と一つになったとしても、今のあなたでは完成体になれないわ」
「そんなはずは」
「紫龍様。あなたは私を黒龍に奪われたと思っているから、私も黒龍も許せないと思っているのね。他の龍と同じ時に完成体になれなかったことに焦りを感じている。自分だけが何度も生まれ変わって新しい体を得なければならない。その間にも他の原子の乙女と龍たちが人に与えたように、自分たちの力を人に与えられない。それは虹蛇様が龍に与えた使命を果たせずにいると、いたたまれないのね」
「黙れ、黙れ!」
「『青』は冷静さを。『緑』は平和を希求する心を。『赤』は前に進む力と情熱を。『黄』は知性を。それぞれ、龍と原子の乙女は人間に与えた。それは、人にとって必要な力だったから。でもね、あなたは考えたことがある? あなたが与えるべきと考えているのは『他者を支配する力』でしょう? それを魔術師としても実践してきたのでしょう? それは、他者を傷つける力でしかないわ」
「人を導く王家には必要な力ではないか」
「いいえ、導くことを支配することは別のこと。導くのは最終的に導かれる人の積極的な関与と意志があるけれど、支配は支配される人が拒否しようが抵抗しようが無理やり押し付けられるもの。あるべきものをあるべき姿に調整するのとは全く違う」
「そんなはずは……」
「あなたが己の力を『支配』だと思っているからこそ、『紫のイリス』はその力を人に与えるわけにはいかない。今でさえ争いが絶えない世界だというのに、そこに『支配欲』が加えられた時、人は常に争い、他者から奪い、己が上に立つことだけを願うようになる。『支配』の先にあるのは……人が殺し合い奪い合った末に残るのは何だと思う?」
オパールは紫龍に向かって尋ねた。いつの間にか戦闘の音が消えている。ジャスパーだけでなく、バリシアの魔術師も、ブロシャンの兵たちも、そして王都の民たちも、空に現れた巨大な紫龍に驚き、手を止めて見つめているのだ。
紫龍は黙っている。
「この世界から全ての生き物が消えた、死の世界よ。そんなものを虹蛇様が望んだと思う?」
オパールは白蛇に全身を覆われた紫龍の髭に触れた。紫龍がピクリと震えた。
「黒龍もね、あなたと同じように、白蛇たちと一緒に眠らせたの」
「やめ、ろ」
「もう一度生まれ変わって。今度こそ、虹蛇様の願った『調整する』力を与えられる存在になって。そうすれば、あなたは他の龍たちと一緒に、本来あるべき五色の龍の一柱に戻れるわ」
オパールが触れていた紫龍の髭が、小さな光の粒になってはじけた。
「やめろ、やめてくれ!」
白蛇たちが触れた場所からも同じように小さな光の粒がはじけ始めた。紫龍の体全体から光が弾けていく。それは、紫龍の体が分解されているということだ。
「オパール!」
ジャスパーがオパールに声をかけたが、オパールは振り向かない。
「ごめんなさい、ジャスパー様」
オパールから、先程までとは打って変わった、弱弱しい声が聞こえた。
「紫龍様を浄化しないと、この世界を救えない」
「浄化……」
ジャスパーは気付いた。
「黒龍もこうやって浄化したのか?」
「そうよ」
かつて『紫のイリス』は、その力で黒龍を鎮めた。
「……代償は、オパールの命なのか」
「ごめんなさい」
パチパチと紫龍の体が光りながら消滅していく。ジャスパーは後ろからオパールを抱きしめた。
「行かないで」
「私にしかできない、私に与えられた役割だから。お母さんは、これが怖かったのね」
「嫌だよ、ずっと一緒にいるって言ったじゃないか」
「ねえ、ジャスパー様。落ちこぼれだって言われ続けた私が、スヴァルトルに行ってジャスパー様に出会った。そして、魔術を学んで、自分の力を知って……紫龍様を浄化できるのは、この世界で私だけ。私はもう落ちこぼれなんかじゃない。世界を救ったなんて大きなことを言うつもりはないわ。ジャスパー様や私の大好きな人たちが幸せに生きる、そのための世界を守れるのが、私にはとてもうれしいの」
その声が涙声になっている。ジャスパーの腕に、オパールを離すまいと力が籠められる。
「だから、行かせてね。約束、守れなくてごめんなさい」
「オパール!」
突然オパールはジャスパーの方に顔を向けた。そして少しだけ伸びあがると、その唇に己の唇を重ねた。
「大好き」
ささやくようにつぶやかれたその言葉と共に、紫龍とオパールの全身が光の粒になってはじけた。
「オパール!」
ついさきほどまであったオパールの体が消えた。ジャスパーの腕に、胸に、そして唇に、わずかに残ったオパールの体温も、急速に消えていく。
照れ屋のオパールは、それがジャスパーに言える最上の愛情表現だっただろう言葉を残して、消えた。
読んでくださってありがとうございました。
明日で最終回。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




