第82話《感視》
朝の陽が窓を透かして、家の中をやわらかく照らしていた。
ナユは玄関で靴を履きながら、振り返って両親に笑顔を向けた。
「今日は王都の外で訓練なのです!」
母はエプロンの裾を握りしめ、少しだけ眉を寄せる。
「……外は危ないのよ。魔獣も出るかもしれないし」
「大丈夫なのです!バルドラン先生も、リカちゃんも一緒なのです!」
父が腕を組んで、ナユの小さなリュックを確かめる。
「……もしもの時は、セバスチャンに頼るんだぞ」
「はいなのです!」
セバスチャンが一歩進み出て、恭しく頭を下げた。
「ナユお嬢様の安全を最優先とし、命に代えてもお守りいたします」
母の顔にようやく安心の色が浮かぶ。
「……なら、お願い出来るわね。でも、貴方の命も守るのよ?いいわね、セバスチャンさん?ミナ、家の事を頼んだわよ?」
「承知しました」
セバスチャンはどこか嬉しそうだった。
「はいっ!ご両親の事は私にお任せください!」
ミナが明るい声で応じ、手を振る。
ナユは両親の手をぎゅっと握りしめ、にこりと笑った。
「お父さん、お母さん、行ってきます!今日もちゃんと忘れず日報つけるのです!」
二人は同時に目を瞬かせ、ぽかんとした。
「……に、日報?」
「えっと……それって、旅の記録みたいなものか?」
「そうなのです!毎日書くのです!“報告・連絡・相談”は大事なのです!」
父母は顔を見合わせて、ふっと笑った。
「……なんだか難しい言葉を覚えたのね、よく分からないけど」
「まるで小さな大人みたいだな、よく分からんが」
ナユは胸を張り、「なのです!」と元気よく返した。
扉が開き、朝の風が頬を撫でた。
ナユの初めての“外の訓練”が、静かに始まった。
◆
草原は、露に濡れてきらきらと光っていた。
ナユはバルドランとリカリーネの元へ駆け寄る。
「先生、遅れてごめんなさいなのです!」
「気にするな。準備を怠らぬのは良い事じゃ」
リカリーネが杖を軽く回して、炎の粒を散らす。
「今日は野外訓練よ。森に入る前に、周囲の魔力の流れを感じ取る練習から」
「了解なのです!」
バルドランが杖を地面に突き、静かに言った。
「目を閉じ、風を聞け。匂いを覚えろ。そして、“何か”を感じてみい」
ナユは息を整え、目を閉じた。
その瞬間、頭の奥でミラの声が響く。
『魔力濃度、微細な変動を検出。周囲に未知の波形あり』
「……波形?」
『視覚補助モード、既存の感知スキルに魔力探知を付与、展開します。確認を推奨』
ナユの視界に淡い光が浮かんだ。
草木や空気の流れが、青や金の線で描かれていく。
世界そのものが、魔力の地図になっていくようだった。
「せ、先生!なんか見えるのです!光がボワワ〜って!!」
バルドランが振り返り、目を見開く。
「……それは《魔力感知》じゃな。己の魔力を世界に広げ、流れを“視る”技。通常は熟練の魔導士しか扱えん」
「ま、また勝手に出たのです……」
リカリーネが苦笑する。
「アンタ、もう反則級ね」
「でも、これすごく便利なのです!どこに何があるか分かるのです!」
その時、ミラの声が冷たく落ちる。
『警告。南西方向に強い魔力反応。距離、約百二十メートル。群体反応です』
「何かが来るのです!約百二十メートル先!!」
バルドランの表情が一変した。
「メートル??……儂の魔力感知にも引っかかった、来おったぞ。《フォグウルフ》の群れじゃ」
「フォグウルフ……霧を出す狼なのです?」
「そうじゃ。霧にまぎれ、牙を立てる狡猾な魔獣。ここで退けば、村が危うい」
リカリーネが杖を握り直す。
「上等ね。試験じゃなく、実戦って訳か」
ナユはごくりと唾を飲み込み、小さく拳を握る。
「うん……負けないのです!」
セバスチャンが一歩前に出る。
「お嬢様、決して単独で前へ出ないでください」
「了解なのです!」
空気が震え、灰色の霧が草原に広がる。
魔力感知の視界の中、青い輪郭が幾つも揺れた。
――初めての実戦が、いま始まる。
◆
「今日の記録:《魔力感知》発動。 魔力の流れが見えるようになったのです。ミラが初めて“警告”してくれた。 次は絶対、守るのです!……日報完了」




