表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
425/432

第420話《安息》

 迷宮都市ナユタへ戻ってから、一週間が過ぎた。

 帝国で救出された人々の多くは診療所を離れ、エリシアが用意した仮住居で生活を始めていた。

 まだ外へ出ることを怖がる者もいる。

 夜になると眠れず、何度も窓や扉を確認してしまう者もいるという。


「身体が治ったからといって、すぐ元の生活へ戻れるわけではありません」


 エリシアは書類を捲りながら淡々と説明した。


「当面は生活の安定を優先します。仕事についても、本人が希望するまではこちらから勧めません」


「うん。それでお願いします」


 ナユは大きく頷いた。


 隣では、レムが机の上に座り、足をぶらぶらと揺らしている。


「ずいぶん手厚いのね」


「何が?」


「住む場所も食事も用意して、働けとも言わないんでしょ?」


「今まで大変だったんだから、まず休まないと」


「そのまま何もしない人がいたら?」


「それはその時考えるよ」


「甘いわね」


「そうかな?」


「そうよ」


 レムは呆れたように言った。

 だが、嫌そうな顔ではなかった。


 エリシアが一枚の書類を取り出す。


「ただ、既に仕事を希望されている方もおります」


「もう?」


「はい。以前、職人をされていた方が数名。商売の経験がある方もいらっしゃいます」


「でも、無理してない?」


「確認しました。恩を返すためではなく、自分の生活を取り戻したいとのことです」


「それならいいかな」


「そう判断しています」


 エリシアは次の書類へ移った。


「一方で、まだ今後について考えられない方もおります」


「その人達は?」


「何もしません」


「え?」


「今は、です」


 エリシアは当然のように答える。


「食事をし、眠り、必要なら診療所へ行く。それだけで構いません」


 ナユは嬉しそうに笑った。


「エリシアさん、優しいね」


「決められた支援を行っているだけです」


「そういうところだよ」


「意味が分かりません」


 レムが小さく笑った。


「この街、あなたみたいなのが他にもいるのね」


「褒めてる?」


「半分くらい」


「残り半分は!?」



 役所を出たナユ達は、そのまま仮住居のある区画へ向かった。

 ミナとセバスチャンも合流し、三人と一匹――とナユが言いかけてレムに睨まれたため、四人で歩くことになった。


「今、私を数に入れる時に変なこと考えたでしょ」


「考えてないよ!」


『考えていました』


(ミラ!)


「ほら、その顔。また何か隠してる」


「何でもない!」


 レムは疑わしそうにナユの頬を引っ張った。


「いたい、いたい!」


 ミナが笑いながら止める。


「レムさん、ナユ様のお顔はそのくらいで」


「仕方ないわね」


「ミナ、もっと強く止めてよ!」


「楽しそうでしたので」


「楽しくないよ!」


 そんなやり取りをしながら区画へ入ると、以前とは違う光景が広がっていた。


 洗濯物が干されている。

 窓辺には小さな鉢植えが置かれ、共同の炊事場から料理の匂いも漂っている。

 まだ仮の住居でしかない。

 それでも、人が暮らす場所へ変わり始めていた。


「あっ、ナユ様」


 一人の男性が気づき、深く頭を下げた。

 帝国地下では痩せ細っていたが、今は顔色もかなり戻っている。


「身体、大丈夫?」


「はい。昨日、診療所から通常生活へ戻ってよいと言われました」


「よかった!」


「それで……お願いがございます」


 男性は少し緊張した様子で続ける。


「私は帝国に捕らえられる前、木工職人をしておりました」


「木工?」


「もし許されるのであれば、この街でまた仕事をしたいのです」


 ナユは男性の手を見る。

 まだ痩せてはいるが、指には長年道具を扱ってきた跡が残っていた。


「働かなきゃって思ってない?」


「いいえ」


 男性は首を横に振った。


「何もしないでいると、地下のことばかり思い出してしまうのです」


 その言葉に、ナユはすぐには答えなかった。


「木を削っている時だけは、昔の自分に戻れる気がします」


「……そっか」


「ですから、もう一度始めたい」


 ナユは笑顔で頷いた。


「じゃあエリシアさんに相談しよう。工房とか、道具とかも必要だよね」


「よろしいのですか?」


「やりたいんでしょ?」


「はい!」


「なら、やろうよ」


 男性の目に涙が滲んだ。


「ありがとうございます」


「でも無理は禁止だからね!」


「はい」


 深く頭を下げる男性を見ながら、レムは何も言わなかった。



 区画を離れた後、レムが珍しく静かだった。


「どうしたの?」


「別に」


「絶対何かある顔だよ」


「あなたにだけは言われたくないわ」


 レムは少し前を飛び、それから振り返った。


「ねえ、ナユ」


「なに?」


「どうして、あの人達をそこまで助けるの?」


「どうしてって……」


「帝国から連れ出した時点で、あなたの役目は終わってたでしょ?」


「役目だったから助けたわけじゃないよ」


「じゃあ何?」


 ナユは少し考えた。


「帰る場所がないなら、帰れる場所を作ればいいと思ったから」


 レムの瞳が僅かに細くなる。


「簡単に言うのね」


「簡単じゃないよ。エリシアさんとか、町のみんなが手伝ってくれるからできるの」


「そういう意味じゃないわ」


「?」


 レムはそれ以上説明しなかった。


「やっぱり変な子」


「またそれ!」


「褒めてるのよ」


「絶対違う!」


『過去の発言傾向から、今回は比較的肯定的な意味である可能性があります』


(ミラには分かるの!?)


『推測です』


 レムはナユの肩へ戻ると、いつものように足を組んだ。


「まあ、もう少し付き合ってあげる」


「最初からそのつもりだったでしょ?」


「気が変わるかもしれないじゃない」


「変わらないでよ!」


 夕方のナユタを、様々な種族の人々が行き交っている。

 その中には、帝国地下から救い出された者達の姿も少しずつ混ざり始めていた。


 失った時間は戻らない。

 傷ついた記憶も、簡単には消えない。


 それでも、新しい生活を始めることはできる。


 レムはナユの肩から街を眺めながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……本当に、変な子ね」


 今度の声には、少しだけ楽しそうな響きが混じっていた。



「今日の記録:帝国から助けた皆さんが、少しずつナユタでの生活を始めています。まだ休みたい人は休んで、働きたい人は少しずつ仕事を探します。木工職人だった方も、もう一度仕事を始めたいと言っていました。レムには、どうしてそこまで助けるのかと聞かれました。帰る場所がないなら、新しい帰る場所があってもいいと思います。日報完了」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ