第418話《国交》
神聖樹の森を抜けてから数日。
ナユ達の前に、見慣れた迷宮都市ナユタの外壁が姿を現した。
長い旅を終えた安堵から、ナユは思わず歩調を速める。
「帰ってきたー!」
「まだ門を潜っておりませんよ、お嬢様」
「見えたらもう帰ってきたようなものだよ!」
ミナが小さく笑う。
ナユの肩では、レムが初めて見る都市を興味深そうに眺めていた。
「へえ。ここがあなたの街なのね」
「うん。迷宮都市ナユタ!」
「想像してたより大きいわね」
レムはそう言いながら、ふいに笑みを消した。
羽ばたいてナユの肩から離れると、空中で動きを止める。
「……待ちなさい」
「どうしたの?」
レムは街ではなく、その周囲の空間を見ていた。
目には何も映らない。
それでも、彼女には分かるらしい。
「この街、何かに包まれてるわ」
ナユが首を傾げる。
「すごく大きな魔力。それも、そこらの術者が張れるような結界じゃない」
「あ、それなら白竜のヴァイスさんだよ」
「……白竜?」
「ナユタを守るために、結界を張ってくれてるの」
レムがゆっくりナユを見る。
「あなた、白竜とも知り合いなの?」
「うん。ちょっとね」
「ちょっとで白竜が街全体を守る結界なんて張る?」
「張ってくれたよ?」
「聞き方を変えるわ。あなた、自分がおかしいと思ったことは?」
「ないよ!」
『回答としては予想通りです』
(ミラまで何なの!?)
レムはしばらく結界を眺めていた。
普段の軽い調子は消え、都市全体を覆う魔力を確かめるように目を細めている。
やがて、何かに納得したようにナユの肩へ戻った。
「……なるほどね」
「何が?」
「別に。ますます面白い街だと思っただけ」
「まだ中にも色々あるよ!」
「それは楽しみだわ」
四人はそのまま城門へ向かった。
◆
帰還の挨拶を済ませたナユが最初に向かったのは、中央区の役所だった。
救出者達のその後も気になっていたが、それ以上にルラフィナ王から預かった話を、早めにエリシアへ伝える必要がある。
執務室では、淡い緑色の髪をしたエリシアが書類の束を処理していた。
ナユ達が入ると、彼女はペンを置いて立ち上がる。
「お帰りなさいませ、ナユ様」
「ただいま、エリシアさん!」
「フィリア様は、無事にルラフィナへ戻られましたか?」
「うん。お父さんとお母さんにも会えたよ」
エリシアの表情が僅かに緩む。
「それは何よりです」
「救出した皆さんは?」
「治療が必要だった方々は、引き続き診療を受けています。仮住居への移動も進んでいます。既に仕事を希望されている方もおりますが、急ぐ必要はないと伝えてあります」
「ありがとう!」
「お任せいただいた仕事ですので」
エリシアは再び椅子へ座り、報告内容を書き留めようとペンを持った。
「他に、ルラフィナで何かございましたか?」
「うん。ナユタとルラフィナで、使者を行き来させることになったよ」
ペン先が止まった。
「……はい?」
「薬草とか精霊素材とか、工芸品とかも、少しずつ交易していこうって」
エリシアは動かなかった。
数秒後。
ゆっくりと顔を上げる。
「確認します」
「うん?」
「フィリア様をルラフィナへ送り届けられたことは、承知しています」
「うん」
「その上で、ルラフィナ王が迷宮都市ナユタとの使者の相互往来を認められたのですね?」
「そうだよ」
「交易についても?」
「まずは少しずつだって」
再び沈黙が落ちた。
「エリシアさん?」
「……少々、お待ちください」
エリシアは額へ手を当てた。
普段なら税率が変わろうと、土地の申請が山積みになろうとほとんど表情を変えない彼女が、珍しく言葉を探している。
「ナユ様」
「はい?」
「フィリア様を送り届けに行かれたのですよね?」
「そうだよ?」
「なぜ、ルラフィナとの国交まで持ち帰っておられるのですか」
「フィリアさんのお父さんと話してたら、そうなったの」
「そうなった……」
エリシアは小さく繰り返した。
「ルラフィナは、外部との交流をほとんど持たない国です。そのルラフィナが人間の治める都市と使者を交換し、交易を始める……事実上、国交の開始です」
「そんなにすごいことなの?」
「ナユ様は、ご自身が何を持ち帰られたのか理解されていないのですね」
「フィリアさんを送ってきた?」
「そこから説明が必要なのですか……」
レムが机の端へ降り立つ。
「フィリアさんを送ってきた?」
「そこから説明が必要なのですか……」
その時、レムがナユの肩から机の端へ降り立った。
「この子、いつもこんな感じなの?」
エリシアのペンが、再び止まった。
淡い緑色の瞳が、机の上に立つ小さな妖精へ向けられる。
「……ナユ様」
「はい?」
「先ほどから気になっていたのですが、こちらの妖精の方は?」
「あ、紹介してなかった!」
ナユはレムを指差した。
「レムだよ。ルラフィナで知り合って、一緒に来ることになったの」
「レムよ」
レムは胸を張る。
「よろしく」
エリシアは数秒だけレムを観察した。
「エリシアです。迷宮都市ナユタで行政を担当しております」
「随分と堅い人ね」
「仕事中ですので」
「気に入ったわ」
「ありがとうございます」
ナユが二人を交互に見る。
「なんか普通に会話始まった……」
レムがナユへ視線を戻す。
「それで、この子、いつもこんな感じなの?」
「かなりの頻度で」
「エリシアさん!?」
「事実です」
「大変ね」
「レムにだけは言われたくないよ!」
エリシアはレムへ一瞬だけ視線を向けたが、今はそれより優先すべき問題があるらしい。
すぐに書類棚へ向き直った。
「交流窓口の設置。使節の受け入れ方法。神聖樹の森を通行する際の確認手順。交易品目。価格基準。関税。商人の入国範囲……」
次々と書類を取り出していく。
「エリシアさん?」
「仕事が増えました」
「ご、ごめんなさい」
「謝罪は不要です」
エリシアは真顔だった。
「これは、非常に喜ばしいことです」
「全然喜んでる顔に見えないよ!」
「現在、必要となる業務を計算しています」
セバスチャンが静かに頷く。
「実にエリシア殿らしい反応でございますな」
「まず、王国側にも報告が必要です。迷宮都市単独の交易で済む範囲と、王国の承認が必要な範囲を分けます」
「私にできることある?」
「あります」
即答だった。
「ルラフィナで王と話された内容を、最初から最後まで説明してください。ナユ様の『だいたいこんな感じ』では書類にできません」
「先に釘を刺された!」
「必要な措置です」
レムが楽しそうに笑った。
「いいわね、この人」
「でしょ?」
「なぜナユ様が得意げなのですか」
エリシアは深く息を吐き、まっさらな記録用紙を一枚取り出した。
「では、始めます」
「はい!」
「ルラフィナ王から、最初に提示された条件は?」
「えーっと……」
「……セバスチャン様にも同席をお願いいたします」
「賢明なご判断かと」
「ちょっと!」
執務室に、久しぶりの賑やかな声が響いた。
閉ざされたエルフ達の国と、多種族が暮らす迷宮都市。
これまで交わることのなかった二つの場所を繋ぐ仕事が、その日から静かに始まった。
◆
「今日の記録:迷宮都市ナユタへ帰ってきました。レムは、白竜さんが張ってくれている結界に気づいて驚いていました。エリシアさんには、フィリアさんが無事に帰れたことと、ルラフィナと使者の行き来や交易を始めることになったと報告しました。エリシアさんはとても驚いていました。でも、すぐにたくさんの書類を出して仕事を始めました。私もちゃんと説明を頑張ります。日報完了」




