第417話《帰路》
ルラフィナで過ごした数日間は、ナユが思っていたよりも穏やかに過ぎていった。
最初こそ人間であるナユ達へ警戒の視線を向けていたエルフ達も、フィリアや風の精霊王から事情を聞いたことで、少しずつ態度を変えていた。
そして、ナユタへ戻る日の朝。
王宮の前には、王と王妃、フィリア、近衛兵達が見送りに集まっていた。
「本当に、もう行かれるのですね」
フィリアが寂しそうに微笑む。
「うん。ナユタのことも気になるから」
「無理に引き留めるわけにはまいりませんね」
王がナユへ向き直った。
「ナユ殿。今回受けた恩を、我らは決して忘れない。ナユタとの交流についても、早急に使者を選定しよう」
「はい。こっちもエリシアさん達と準備しておきます」
「それと、神聖樹の森を通る際は、我が国の案内役を付けよう。今後、ナユタからの正式な使者であれば、森も拒むことはあるまい」
ナユは嬉しそうに頷いた。
「これで、また遊びに来られるね」
「遊び……」
王が一瞬だけ言葉を失う。
「お嬢様。外交訪問でございます」
セバスチャンが静かに訂正する。
「でも、遊びにも来たいよ?」
「それは別途ご予定ください」
王妃が口元を押さえて笑った。
「いつでも歓迎いたしますよ」
ナユの肩には、レムが当然のように座っていた。
昨夜からその位置を完全に自分の席だと思っているらしい。
「朝から堅苦しい話ばっかりね」
「レムは少し静かにしてて」
「せっかく見送りに来てあげたのに」
「一緒に帰るんでしょ!」
「そうだったわね」
「忘れてたの!?」
『忘れていたというより、興味がない可能性が高いと思われます』
(ミラもそう思う?)
『はい』
ナユが肩のレムを見る。
「何よ、その顔」
「何でもないよ」
「怪しいわね」
レムが頬を膨らませる。
そのやり取りを見ていたフィリアは、少し不思議そうにレムへ視線を向けた。
風の精霊王も、レムが近くにいる時だけ妙に静かだった。
だが、フィリアは何も尋ねなかった。
◆
別れの挨拶を終え、ナユ達が王宮を離れようとした時だった。
「ナユ様」
フィリアが呼び止める。
「どうしたの?」
「一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
フィリアは少し困ったように眉を下げた。
「もし今後の旅で、アリアというエルフに出会うことがございましたら……家族が心配していると伝えていただけませんか?」
「アリアさん?」
「私の双子の妹です」
「双子!?」
ナユがフィリアの顔をまじまじと見る。
「似てるの?」
「顔は、かなり似ています」
フィリアは小さく息を吐いた。
「ですが、性格はまったく似ておりません」
「どんな人なの?」
フィリアが一瞬、答えを迷った。
「……お酒が好きです」
「お酒?」
「大好きです」
さらに間を置く。
「現在は冒険者として各地を旅しております」
「王女様なのに!?」
「本人は『王宮で退屈しているくらいなら、冒険者として稼いで酒を買う』と言い残して出ていきました」
ミナが僅かに目を瞬かせる。
「随分と豪快な方なのですね」
「豪快という言葉で済ませてよいのか、私にも分かりません」
フィリアの表情がますます困ったものになる。
「夢は、人間の国で一番美味しいお酒を見つけて、好きなだけ飲み続けることだそうです」
「それが夢なの!?」
「本人は真剣です」
セバスチャンが静かに尋ねる。
「現在地は把握されていないのでございますか?」
「はい。手紙すら滅多に送ってきません」
「自由ね。気に入ったわ」
レムが楽しそうに言った。
「レムと気が合いそうで怖いよ……」
「失礼ね。私は酒浸りじゃないわ」
「そこだけ!?」
フィリアが思わず吹き出した。
「もしお会いになったら、少し注意してください。悪い子ではありません。ただ……ナユ様を困らせる可能性は、とても高いと思います」
「そこまで言う?」
「姉としての経験から申し上げています」
妙に説得力があった。
ナユは笑いながら頷く。
「分かった。アリアさんに会ったら、家族が心配してるって伝えるね」
「ありがとうございます」
「でも、帰ってきてって言わなくていいの?」
フィリアは少し考え、首を横に振った。
「帰るかどうかは、あの子が決めることです」
そして優しく微笑む。
「ただ、帰る場所があることだけは、忘れないでほしいのです」
「うん。ちゃんと伝えるよ」
まだ見ぬ豪快な双子の妹。
どこかの人間の国で酒瓶を片手に冒険しているという王女を、ナユは少しだけ想像した。
(会わない方が平和かもしれない……)
『同意します』
(ミラまで!?)
◆
神聖樹の森の入口まで、フィリアが見送りについてきた。
風の精霊王が道を開くと、閉ざされていた森の奥に一本の道が現れる。
「ここから先は、ナユタまで迷うことはありません」
「ありがとう、フィリアさん」
「こちらこそ」
フィリアはナユの手を両手で握った。
「私を見つけてくださって、本当にありがとうございました」
「また会えるよ」
「はい」
今度の笑顔には、別れの悲しさだけではなく、再会を信じる強さがあった。
ナユ、ミナ、セバスチャンが森の道へ入る。
レムもナユの肩からフィリアへ手を振った。
「じゃあね、王女様」
「はい。レムさんも、どうかお元気で」
「私はいつでも元気よ」
森を抜ける風が、四人の背中を押す。
ナユが振り返ると、フィリアはまだそこに立っていた。
数十年帰れなかった故郷で、家族と共に。
ナユは大きく手を振る。
「またねー!」
フィリアも笑顔で手を振り返した。
木々がゆっくりと閉じていく。
こうして、ルラフィナでの旅は終わった。
そしてナユの肩には、一人増えていた。
「ねえ、ナユ」
「なに?」
「お腹空いたわ」
「出発してまだ五分だよ!?」
「だから?」
「だからじゃないよ!」
森の中へ、ナユの声とレムの笑い声が響いた。
◆
「今日の記録:ルラフィナを出発しました。フィリアさんには、アリアさんという双子の妹がいるそうです。冒険者をしながらお酒代を稼いでいて、夢は人間の国で一番美味しいお酒をたくさん飲むことだそうです。もし会ったら、家族が心配していると伝えてほしいと頼まれました。どんな人なのか少し気になります。レムも一緒にナユタへ帰ります。日報完了」




