第416話《同行》
ナユは王宮の客室で目を覚ますと、窓の外から差し込む柔らかな光に目を細めた。
神聖樹の葉が朝風に揺れ、その隙間からルラフィナの街が見えている。
昨日まで人間へ向けられていた警戒も、少しずつ和らぎ始めていた。
「おはようございます、ナユ様」
ミナが朝食を運び、その後ろからセバスチャンも入ってくる。
「本日は特に予定はございません。王家の皆様も、フィリア様との時間を過ごされるとのことです」
「じゃあ、少し街を見て回ってもいい?」
「勿論でございます。ただし、お一人では行かれませんように」
「分かってるよ」
パンへ手を伸ばした時、窓の外で白い光が一度だけ瞬いた。
「あ」
「どうかなさいましたか?」
「昨日の変な妖精さん」
ミナとセバスチャンも窓へ視線を向けたが、もう何もいない。
「消えちゃった」
「精霊の多い土地です。珍しいことではないのかもしれません」
「でも、あの妖精さん、すっごく偉そうなんだよ」
「お嬢様がそう仰るほどとは、興味深いですな」
◆
朝食を終えた三人は、王宮近くの市場を歩いていた。
枝と枝の間に作られた店先には、見たことのない果物や精霊石、木工品が並んでいる。
ナユが一つずつ覗き込んでいると、頭上から聞き覚えのある声が落ちてきた。
「また果物を見てるの?」
「変な妖精さん!」
小さな光が舞い降り、昨日の妖精がナユの目の前で腕を組む。
「その呼び方、いつまで続けるつもり?」
「だって名前を教えてくれないじゃん!」
妖精は少しだけ考え、ふいと顔を逸らした。
「……レム」
「レム?」
「そう。そう呼びなさい」
「それが本当の名前?」
レムは悪戯っぽく笑った。
「女の子は秘密が多い方が魅力的なのよ」
「答えになってないよ!」
「細かいわね」
レムは当然のようにナユの肩へ腰を下ろした。
『……ナユ』
その時、久しぶりにミラの声が頭の中へ響いた。
(ミラ?)
『その個体について、照合を行いました』
(レムのこと?)
『はい。現時点で一致する情報を確認できません』
ナユは肩へ視線を向けた。
レムは退屈そうに足を揺らしている。
(普通の妖精じゃないの?)
『断定できません。また、保有魔力量の正確な測定にも失敗しています』
(ミラでも分からないことあるんだ)
『あります。警戒を推奨します』
(でも、悪い妖精には見えないよ?)
僅かな沈黙。
『ナユ。その判断基準については、再検討を推奨します』
(ひどい!)
「……何よ?」
レムがナユの顔を覗き込んだ。
「え?」
「さっきから私を見ながら変な顔してるわよ」
「してないよ!」
「してるわ」
(ミラ、この妖精さんにだけは言われたくないよ)
『同意します』
(そこは同意するんだ……)
レムは何も知らず、近くの露店に積まれた果物へ視線を移した。
「それ、一つ買いなさい」
「自分で買えば?」
「お金なんて持ってないわ」
「偉そうなのに無一文なの!?」
「妖精がお金を持ち歩いてどうするのよ」
仕方なくナユが一つ買う。
レムは当然のように受け取り、一口齧った。
「……悪くないわね」
「すごく美味しそうな顔してるよ」
「してない」
「してたよ」
「見間違いよ」
残りを抱え込んだまま返す気配はなかった。
◆
市場の奥へ進んだ時、荷箱の陰から低い唸り声が聞こえた。
黒い獣のような小型魔物が飛び出し、近くにいたエルフの子どもへ牙を剥く。
「危ない!」
ナユが駆け出すより早く、肩にいたレムが宙へ浮いた。
先ほどまでの悪戯っぽい表情が消える。
冷たい目で魔物を見下ろし、指先を向けた。
「邪魔」
一筋の白い光が走った。
魔物は声を上げる暇もなく、光の粒へ変わって消えた。
血も焼け跡も残らない。
そこに何かがいた痕跡すらなかった。
ミナが目を見開く。
セバスチャンも僅かに目を細めた。
『解析不能』
ミラの声が響く。
(今のも?)
『術式構造を取得できませんでした』
「レム、今の何!?」
「何って、消しただけよ」
「消しただけって……」
「弱かったもの」
助けられた子どもが母親へ駆け寄る。
レムはそちらを一度見ただけで、興味を失ったようにナユの肩へ戻った。
「子どもが無事でよかったね」
「結果的にはね。私はあれが鬱陶しかったから消しただけ」
可愛らしい顔で言い切る。
(ミラ)
『はい』
(やっぱりちょっと変だよね)
『先ほどから、その結論を推奨しています』
「やっぱり変な妖精さんだ……」
「また言ったわね?」
◆
王宮へ戻ると、フィリアが三人を迎えた。
ナユの肩に座るレムを見て、少しだけ首を傾げる。
「昨日言われていた妖精の方ですね」
「うん。名前、教えてもらったよ。レムだって」
「レム様、ですか」
「様はいらないわ。堅苦しいもの」
フィリアが微笑む。
「では、レムさんと」
「それでいいわ」
ナユは肩を指差した。
「それで、レムはいつまでついてくるの?」
「決めてないわ」
「帰る場所はあるんでしょ?」
「あるわよ」
「じゃあ帰らなくていいの?」
レムは顎へ指を当て、少しだけ考えた。
そして楽しそうに笑う。
「あなたの旅、退屈しなさそうなのよね」
「え?」
「しばらく一緒に行ってあげる」
「また勝手に決めた!」
「嫌なの?」
ナユは少し考えた。
偉そうで、秘密が多くて、食い意地も張っている。
魔物に向けた冷たい目は少し怖かった。
それでも、不思議と嫌いにはなれなかった。
「……まあ、いいけど」
「決まりね」
レムは満足そうにナユの頭へ移動した。
「そこは駄目!」
「肩と大差ないでしょ」
「私の頭だよ!」
フィリアが吹き出し、ミナも口元を押さえる。
セバスチャンは静かに微笑んでいた。
『ナユ』
(なに?)
『同行には、引き続き警戒を推奨します』
(分かったよ。でも、仲良くできるかもしれないでしょ?)
『……否定はしません』
名前以外は、まだ何も分からない。
それでも、この日からレムはナユ達と共に歩くことになった。
◆
「今日の記録:変な妖精さんのお名前はレムでした。本当の名前なのか聞いたら、女の子は秘密が多い方が魅力的だと言われました。ミラにも詳しいことは分からないみたいです。レムは小さな魔物を一瞬で消してしまうくらい強いですが、少し怖いところもあります。それでも、私の旅が面白そうだから、しばらく一緒に来るそうです。日報完了」




