第415話《盟約》
翌朝。
ナユ達は、王宮の一室へ再び招かれていた。
昨夜とは違い、卓上には地図と書類が広げられている。
王と王妃、フィリア、数名の重臣が席につき、ナユの隣にはミナとセバスチャンが控えていた。
「昨夜は、娘との時間を与えてくださったことに感謝する」
王が最初に頭を下げる。
「ううん。家族で過ごす方が大事だと思っただけです」
「その『だけ』を自然に選べる者は多くない」
王妃が柔らかく微笑む。
ナユは少し照れたように視線を逸らした。
王は地図へ目を落とした。
「本日は、今後について話したい」
指先が《ルラフィナ》と《迷宮都市ナユタ》の間をなぞる。
「我が国は長く、外との関わりを最小限にしてきた。とりわけ人間の国とは、必要以上に近づかぬことを国是としてきた」
重臣達の何人かが静かに頷く。
「それを、変えるのですか?」
フィリアが尋ねる。
「すべてを一度に変えるつもりはない」
王は即答した。
「だが、何も見ず、何も知ろうとせず、ただ拒むことが正しいとも思えなくなった」
王の視線がナユへ向く。
「風の精霊王様の御言葉もある。何より、娘を救ったのは帝国とは別の人間達だった」
「ナユタには、人間以外の種族もたくさんいます」
「フィリアから聞いた」
王は一枚の書類をナユの前へ置いた。
「まず、迷宮都市ナユタとの間に正式な交流窓口を設けたい」
「交流窓口?」
「互いの使者が、安全に行き来できるようにする。その上で、薬草、精霊素材、工芸品など、ごく限られた品から交易を始める」
ナユは書類を覗き込んだ。
難しい言葉が並んでいる。
「えっと……つまり、仲良くしていくための第一歩?」
「その理解で構わない」
「それなら賛成です!」
あまりに即答だったため、重臣の一人が僅かに目を見開いた。
「条件の確認などは……」
「難しいところは、帰ったらエリシアさんにも見てもらいます」
「なるほど」
セバスチャンが小さく咳払いした。
「お嬢様。署名だけは、内容をすべて確認してからにいたしましょう」
「あ、はは、わ、分かってるよ!」
「念のため申し上げました」
フィリアが口元を押さえて笑う。
王も僅かに表情を緩めた。
「正式な盟約と呼べる段階ではない。だが、我々にとっては大きな一歩だ」
「少しずつでいいと思います」
ナユは真っ直ぐ王を見る。
「嫌なことがあったからって、全部の人を同じだって思うのは悲しいから」
室内が静かになった。
「帝国で捕まっていた人達も、みんな人間でした。でも、フィリアさんを捕まえた人達とは違います」
「……そうだな」
王はゆっくり頷いた。
「我らも、学ばねばならぬ」
その時、窓の隙間から一筋の光が差し込んだ。
朝日とは違う、小さく柔らかな光だった。
ナユがそちらを見ると、光はすぐに消えた。
「どうかなさいましたか?」
ミナが尋ねる。
「今、何か光ったような……」
窓の外には、神聖樹の葉が揺れているだけだった。
「精霊かもしれません」
フィリアが微笑む。
「この国には、多くの精霊が暮らしていますから」
「そっか」
ナユはそれ以上気にしなかった。
◆
話し合いを終えた後、フィリアがナユ達をルラフィナの街へ案内してくれた。
昨日は王宮へ急いだため、周囲をゆっくり見る余裕がなかった。
改めて歩いてみると、街は木々の上と地上の両方へ広がっている。
枝と枝を結ぶ吊り橋。
幹の空洞を利用した店。
精霊の光で照らされた水路。
人の手で森を作り替えるのではなく、森の形へ生活を合わせているようだった。
「建物が木にくっついてるのに、傷つけてないんだね」
「樹木の成長に合わせて、建物側を作り直します」
「大変そう……」
「慣れれば、それほどでもありません」
道行くエルフ達は、まだナユ達へ警戒の目を向けていた。
だが昨日ほど露骨ではない。
中には遠くから小さく頭を下げる者もいる。
幼いエルフの少女が母親の後ろから顔を出し、ナユをじっと見つめていた。
「こんにちは」
ナユが手を振る。
少女は驚いて隠れた。
少しして、もう一度だけ顔を出す。
今度は小さく手を振り返した。
ナユが嬉しそうに笑うと、フィリアも隣で微笑んだ。
「時間はかかるでしょう」
「うん。でも、最初はそれでいいよ」
その言葉を聞いていたかのように、頭上の枝で小さな光が瞬いた。
◆
夕方。
王宮へ戻る途中、ナユは一人だけ少し遅れて歩いていた。
露店に並んだ珍しい果物へ気を取られていたからだ。
「これ、何だろう……」
「知らないの?」
突然、頭上から少女の声がした。
「え?」
見上げる。
木の枝に、小さな何かが座っていた。
手のひらほどの大きさ。
人の少女によく似た姿。
背中には透き通った羽があり、全身を淡い光が包んでいる。
小さな妖精は足を組み、ナユを見下ろしていた。
「それ、月蜜果よ。甘いけど、一度に三つ食べると舌が痺れるわ」
「妖精さん?」
「見れば分かるでしょ?」
随分と偉そうだった。
ナユが目を瞬かせる。
「初めまして?」
「そうね。あなたにとっては」
「?」
妖精は意味ありげに笑った。
「へえ……本当に変な子」
「いきなり失礼だよ!」
「褒めてるのよ」
「絶対違う!」
妖精は楽しそうに笑い、枝から飛び上がった。
光の粒を撒きながら、ナユの周囲を一周する。
「まあ、もう少し見てあげる」
「何を?」
「あなたを」
それだけ言うと、妖精は眩い光へ変わった。
「待って!名前は?」
ナユが手を伸ばす。
返事はなかった。
光は神聖樹の枝の向こうへ消えていった。
少し離れた場所で、フィリアが振り返る。
「ナユ様?」
「今、変な妖精さんがいたの!」
「変な妖精……ですか?」
「すごく偉そうで、私のこと見てあげるって!」
フィリアは首を傾げた。
「そのような精霊は、私は存じませんが……」
ナユも光が消えた場所を見上げる。
もう何もいない。
ただ、夕暮れの中で一粒だけ、白い光が楽しそうに瞬いていた。
◆
「今日の記録:ルラフィナの王様と、迷宮都市ナユタとの交流についてお話ししました。まずは使者の行き来や、少しずつ交易を始めるそうです。街も案内してもらいました。それから、光っている小さな妖精さんに会いました。すごく偉そうで、私をもう少し見てあげると言って消えました。名前も聞けませんでした。変な妖精さんです。日報完了」




