第413話《帰姫》
「フィリア様……?」
弓を構えていたエルフの一人が、震える声で呟いた。
他の斥候達も、目の前の銀髪の女性から視線を離せない。
数十年前に姿を消した第一王女。
その本人が、人間三人を連れて神聖樹の森の奥に立っている。
フィリアは一歩前へ出た。
風の精霊王の気配が、彼女の周囲を静かに巡る。
「私です。フィリアです」
最も年長に見える斥候が、ゆっくりと弓を下ろした。
「その御声……まさか、本当に……」
彼は枝から降りると、フィリアの前へ膝をついた。
周囲の斥候達も、戸惑いながら次々とそれに続く。
「姫様……よくぞ、ご無事で……!」
声を詰まらせる者もいた。
だが、その視線はすぐにナユ達へ向けられる。
喜びと警戒が、同じ顔の中に混ざっていた。
「姫様。その者達は……人間では?」
「私の恩人です」
フィリアは迷わず答えた。
「帝国に囚われていた私と、風の精霊王様を救ってくださいました」
斥候達の間に、ざわめきが走る。
「人間が……?」
「しかし、帝国も人間の国です」
「罠ではないのか」
ミナの表情が僅かに強張った。
セバスチャンは何も言わず、ナユの半歩後ろに立っている。
ナユも反論しなかった。
フィリアから聞いていた通り、この国では人間への不信が強いのだ。
「皆様が疑う気持ちは分かります」
フィリアの声が、森の中へ静かに響く。
「ですが、この方々がいなければ私は今ここに立っていません。私を信じてくださるなら、この方々にも道を開けてください」
沈黙が落ちた。
やがて年長の斥候が深く頭を下げる。
「……承知いたしました。姫様のお言葉に従います」
彼が立ち上がり、仲間達へ手で合図した。
弓が下ろされる。
「王都へ先触れを出せ。第一王女フィリア様が御帰還なされたと伝えろ!」
一人の斥候が木々の上を駆け、森の奥へ消えていった。
◆
そこから先の道は、これまでとはまるで違っていた。
フィリアと斥候達に導かれて進むと、巨大な樹木の根元に隠れていた石段が現れる。
その先には、森と一体化した建物が点々と並んでいた。
幹を傷つけずに組まれた木の回廊。
枝の上に造られた住居。
淡い光を宿す花と水路。
森そのものが、一つの都市として息づいている。
「ここが……ルラフィナ」
ナユは思わず足を止めた。
「はい。私の故郷です」
フィリアの声が震えた。
数十年ぶりに見る景色だった。
変わった場所もある。
それでも、風の匂いも、木々のざわめきも、彼女の記憶に残る故郷そのものだった。
先触れの知らせは、すでに都市へ届いていた。
回廊や住居から次々とエルフ達が姿を現し、フィリアの姿を確かめようと道の両側へ集まってくる。
「姫様……?」
「フィリア様だ!」
「生きておられたのか!」
歓声が広がる一方で、ナユ達へ向けられる視線は冷たかった。
子どもを自分の後ろへ隠す者。
露骨に距離を取る者。
中には、腰の武器へ手を掛ける者までいる。
人間が王女と並んで歩いている光景そのものが、彼らにとって異様なのだろう。
フィリアはそれを見ても足を止めなかった。
ナユ達も、黙って彼女の後ろを歩く。
都市の中央へ近づくにつれ、巨大な一本の樹が見えてきた。
周囲の木々を遥かに超える、白銀の幹を持つ大樹。
その根元には、宮殿と呼ぶべき建物が築かれている。
「王宮です」
フィリアが呟いた。
その声が終わるより早く、正面の扉が開いた。
複数の近衛兵を押し退けるように、一人の女性が飛び出してくる。
長い銀緑色の髪。
フィリアによく似た顔立ち。
その後ろから、王冠を戴いた男性も姿を現した。
フィリアの足が止まる。
「……母上」
女性も止まった。
数秒間、互いに何も言えなかった。
「フィリア……?」
「母上……!」
次の瞬間、二人は駆け寄っていた。
女性がフィリアを強く抱き締める。
フィリアも、子どものように母の胸へ顔を埋めた。
「生きていた……本当に、生きて……!」
「ただいま戻りました……母上……!」
王もゆっくりと近づき、二人をまとめて抱き寄せる。
「よく戻った……よく、生きて帰ってきてくれた……」
フィリアの肩が震える。
数十年間、どれほど願っても叶わなかった家族との再会だった。
ナユは少し離れた場所から、その光景を見守った。
ミナも目元を押さえている。
セバスチャンは穏やかな表情のまま、静かに頭を下げていた。
しばらくして、王がようやくナユ達へ視線を向けた。
その表情から父親としての涙が消え、代わりに一国の王としての警戒が戻ってくる。
「フィリア」
「はい」
「その人間達は、何者だ」
周囲の近衛兵も、一斉に緊張する。
フィリアは母の腕から離れ、ナユ達の前へ立った。
「私の命の恩人です」
「……人間が?」
「はい。帝国から私を救い出し、風の精霊王様を楔から解放し、ここまで送り届けてくださいました」
王の眉が動く。
「こちらはナユ様。迷宮都市ナユタを治める辺境伯です。そして、ミナ様とセバスチャン様。三人とも、命を懸けて私達を救ってくださいました」
周囲がさらにざわめいた。
その時、宮殿前を一陣の風が駆け抜けた。
『事実である』
低く澄んだ声に、その場にいたエルフ達が一斉に跪く。
『この者達は、我と契約者を救った者』
『我が名において、その功を保証する』
王も王妃も膝をつき、深く頭を垂れた。
ナユは戸惑いながら、風の行方を目で追う。
『ナユ。ここでは遠慮する必要はない。汝は我が恩人でもある』
「えっと……そう言われても、慣れてないです」
思わず出たナユの言葉に、フィリアが小さく笑った。
王はゆっくり立ち上がると、先ほどまでとは違う目でナユを見た。
「風の精霊王様が御自ら証言されるのであれば、疑う余地はない」
王はナユ達へ向き直り、胸元へ手を添える。
「我が娘を救い、故郷まで送り届けてくださったこと、ルラフィナ王として礼を申し上げる」
そして深く頭を下げた。
近衛兵や集まった住民達からも、少しずつ警戒の気配が薄れていく。
「まずは王宮へ。事情を詳しく聞かせていただきたい。そして今夜は、ルラフィナの客人として休まれるがよい」
「ありがとうございます」
ナユも頭を下げた。
閉ざされていたエルフの国で、人間であるナユ達が初めて客人として迎え入れられた。
その中心では、帰る場所を取り戻したフィリアが、涙の跡を残したまま微笑んでいた。
◆
「今日の記録:神聖樹の森でフィリアさんを見つけたエルフの皆さんに案内してもらい、ルラフィナへ入りました。フィリアさんはお父様とお母様に再会できました。人間の私達は最初かなり警戒されましたが、風の精霊王様が私達を助けてくれたと証明してくださいました。王様からもお礼を言っていただき、今日はルラフィナの王宮でお世話になることになりました。日報完了」




