第409話《脱出》
軍用搬送路へ入った直後、ミナと進藤海が足を止めた。
二人の視線が、ナユの隣に立つ少年へ向けられる。
「ナユ様、その方は……?」
少年は胸元へ片手を添え、見慣れた所作で深く一礼した。
「ご心配をおかけいたしました。セバスチャンでございます」
「……え?」
ミナが目を見開く。
「本当に、セバスチャン様なのですか?」
「確かに服装や話し方も同じだが……どうなってんだよ」
進藤海が、ナユとセバスチャンを交互に見た。
「事情については、どうかお尋ねにならないでください」
セバスチャンは穏やかな表情を崩さなかった。
「そして、ここでご覧になったことは、決して他言なさらぬようお願いいたします」
「私からもお願いします」
ナユが頭を下げる。
ミナはすぐに頷いた。
「承知しました。決して口外いたしません」
進藤海も小さく息を吐いた。
「聞きたいことは山ほどあるが、誰にも言わねぇよ」
「感謝いたします」
搬送路の奥から、帝国兵達の怒号が響いた。
「侵入者を追え!」
「地下の出口をすべて封鎖しろ!」
「急ごう!」
四人は走り出した。
軍用搬送路は緩やかに下り、やがて湿った石造りの通路へ変わる。
壁際を流れる水と、前方から届く冷たい風。
セバスチャンは分岐へ差しかかると、迷わず左へ進んだ。
「こちらが古い排水路へ繋がっております」
「どうして分かるんだ?」
「水音と空気の流れでございます」
背後の角から、帝国兵が姿を現した。
「いたぞ!」
矢が放たれる。
セバスチャンは振り返ることなく、床の小石を蹴り上げる。
小石が矢へ当たり、その軌道を壁際へ逸らした。
「その身体になって、ますます化け物じみたな……」
「お褒めにあずかり光栄です」
進藤海の呟きへ、セバスチャンは涼しい顔で答えた。
一行は搬送路を抜け、古い排水路へ入った。
前方に、淡い緑色の光が見える。
「ナユ!」
銀髪の女性が、救出された人々を連れて待っていた。
ミナが駆け寄り、人数を確認する。
「全員いらっしゃいます」
「よかった……!」
衰弱していた者達も、互いに支え合いながら立っている。
銀髪の女性は若いセバスチャンへ一度だけ視線を向けたが、何も尋ねなかった。
「古い工房までは、もう間もなくです」
「追手が来てる。急いで進もう!」
一行は排水路の奥へ進んだ。
やがて頭上に、錆びた鉄製の蓋が現れる。
「この上です」
ミナが蓋へ手を掛ける。
「お待ちください」
セバスチャンが隙間へ指を入れ、内側の留め具を探った。
小さな金属音が鳴る。
「外れました」
ミナが音を立てないよう、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
古い油と埃の匂いが流れ込んでくる。
ナユが先に顔を出した。
錆びた工具。
崩れかけた作業台。
布を被せられた古い魔導機械。
人の気配はない。
「誰もいない!今のうちです!」
救出された人々が、一人ずつ工房へ上がっていく。
最後の一人が上がった直後、排水路の奥に兵士達の灯りが現れた。
「見つけたぞ!」
進藤海が金色の光を纏う。
「俺が止める!」
「長く戦う必要はございません」
セバスチャンが壁と天井を見上げた。
排水路を支える柱へ、指先を二度打ち込む。
「上へ」
二人が工房へ飛び上がった直後、支えを失った石材が崩れ落ちた。
土砂が排水路を塞ぎ、追手の声が遠ざかる。
「完全には止められませんが、時間は稼げます」
工房の正面扉の向こうから、警報の鐘が聞こえていた。
帝国兵が通りを走り回っている。
「正面からは出られないね」
ナユが周囲を見回す。
銀髪の女性が、工房の奥へ顔を向けた。
「こちらから、外の風を感じます」
埃を被った棚を動かすと、その後ろに古い鉄扉が隠されていた。
扉の先には、荷物を運ぶための細い地下道が続いている。
「この道は、城壁の外へ繋がっています」
「これが本当の脱出路なんだね」
一行は地下道へ入った。
背後では、工房の扉を叩く音が響き始める。
「工房を包囲しろ!」
「中を調べろ!」
地下道の先には、錆びついた格子があった。
その向こうには、暗い森が広がっている。
ミナと進藤海が格子を持ち上げ、救出された人々を順番に外へ出していく。
最後にナユ達が森へ入った。
銀髪の女性が両手を広げる。
白い霧が木々の間から湧き上がり、全員の姿を包み込んだ。
「精霊達に、私達の足音と匂いを消してもらいます」
柔らかな風が通り抜ける。
土に残っていた足跡が消え、踏まれていた草も元の形へ戻っていった。
ナユ達は霧に守られながら、帝都から離れていく。
やがて城壁の灯りが木々の向こうへ消えた。
警報の鐘も、兵士達の声も届かなくなる。
銀髪の女性が足を止め、静かに振り返った。
「ここまで来れば、すぐに追いつかれることはありません」
救出された人々の間から、安堵の声が漏れた。
ナユも帝都の方角を見つめる。
全員が、ここにいる。
誰一人欠けていない。
「脱出できたね」
「はい、ナユ様」
ミナが微笑んだ。
長い帝国の夜が、ようやく終わった。
◆
「今日の記録:古い排水路から古い工房へ入り、隠されていた地下道を通って城壁の外へ出ました。銀髪のエルフの人と精霊達が、私達の姿や足跡を隠してくれました。救出した皆さんも全員無事です。帝都からの脱出に成功しました。日報完了」




