第406話《再臨》
グラッドが、壁際で膝をつくセバスチャンへ歩み寄る。
その全身を覆う《魔炎気》は、先ほどよりも激しく燃え上がっていた。
このままでは勝てない。
セバスチャンの技術は、グラッドへ通じている。
攻撃の軌道も、魔炎気の流れも見抜いていた。
足りないのは、ただ一つだった。
ナユの胸の奥に、一つの願いが浮かぶ。
叶う保証はない。
何が起きるのかも分からない。
それでも、セバスチャンをこのまま倒れさせることだけはできなかった。
「ミナ!進藤さん!」
二人がグラッドを警戒したまま、ナユへ視線を向ける。
「少しだけ、時間を稼いでください!」
「何か策があるんだな!?」
「うん!お願い!」
ミナは迷わず《ブースト》を重ねた。
「承知しました!」
「どれだけ必要だ!」
進藤海の全身を金色の光が包む。
「少しでいい!将軍を私達から離して!」
「分かった!」
二人は左右へ分かれ、同時にグラッドへ踏み込んだ。
「まだ向かってくるか!雑魚共め!!」
グラッドが振り返る。
ミナの連撃が正面から襲いかかる。
進藤海は魔炎気へ直接触れないよう、金色の衝撃を横から放った。
グラッドは二人を迎え撃つため、セバスチャンから離れていく。
ナユはその隙に、壁際へ駆け寄った。
「セバスチャン」
「お嬢様……ここは危険でございます。お下がりを……」
ナユは膝をつき、セバスチャンの耳元へ顔を近づけた。
「これから私がすることを、許してほしいです」
セバスチャンの眉が僅かに動く。
「……お嬢様?」
「何が起きても、誰にも言わないでください」
ナユはさらに声を落とした。
「それと、グラッド将軍には見られたくありません」
セバスチャンは、ナユの顔を静かに見つめた。
何をされるのか。
なぜ隠す必要があるのか。
その答えを求めるような沈黙が流れる。
だが、セバスチャンは問い返さなかった。
「事情は分かりかねます」
いつもの穏やかな声だった。
「ですが、お嬢様が私のために選ばれることで、私がお嬢様を恨むことなど決してございません」
「セバスチャン……」
「この身は、とうの昔よりお嬢様へお預けしております」
セバスチャンは懐へ手を入れ、残っていた煙玉を取り出した。
「将軍の目を欺けばよろしいのですな?」
「うん」
「承知いたしました」
煙玉が石床へ転がる。
白い煙が激しく噴き上がり、ナユとセバスチャンの姿を覆い隠した。
「小細工を!」
グラッドが煙へ顔を向ける。
「そちらを見ている余裕がありますか!」
ミナの蹴りが側頭部へ迫る。
グラッドは腕で受け止めた。
その背後から、進藤海の金色の拳が脇腹へ叩き込まれる。
グラッドの足が、初めて大きく動いた。
「ぐっ……!」
「今だ、ナユ!」
煙の中で、ナユはセバスチャンの胸元へ手を当てた。
ミラへ問いかけることはしなかった。
ただ、強く願う。
(この人が積み上げてきたものを、何一つ失わせないで)
(記憶も、経験も、技術も、全部そのままで)
(セバスチャンが、もう一度すべての力を使える身体を――)
『《真願》』
眩い光が、煙の中で広がる。
セバスチャンの身体を刻んでいた長い年月が、静かにほどけていく。
老いに削られた骨。
動きを鈍らせていた関節。
衰えていた筋肉と感覚。
それらが、光の中で新たな形へ組み直されていった。
だが、失われないものがある。
七十年以上を生きた記憶。
王国の闇で磨き続けた技術。
数え切れない戦場で積み上げた経験。
そのすべてが、一つも欠けることなく残されていた。
やがて光が収まる。
ナユの目の前にいたのは、十五歳ほどの少年だった。
若い顔。
細く引き締まった身体。
白かった髪は、艶のある色を取り戻している。
だが、その瞳だけは変わらない。
少年は、自分の手を静かに見つめた。
指を握る。
腕を動かす。
床へ足を置く。
次の瞬間、その姿がナユの視界から消えた。
少年は音もなく数歩先へ立ち、ゆっくりと振り返る。
身体が、技術へ完全に追いついていた。
セバスチャンは何が起きたのかを理解した。
それでも、理由を尋ねることはなかった。
ナユの前へ片膝をつき、深く頭を下げる。
「お嬢様」
声も若い。
しかし、口調はナユが知るセバスチャンそのものだった。
「この御恩、必ず働きでお返しいたします」
「お願い。グラッド将軍を止めて」
「承知いたしました」
セバスチャンは立ち上がった。
大きくなった潜入装束の留め具を締め直し、余った布を腰帯へ収める。
煙の向こうでは、ミナと進藤海がグラッドに押し戻されていた。
「邪魔だ!」
グラッドの拳が、進藤海へ迫る。
その腕へ、煙の中から伸びた細い手が触れた。
力の向きが僅かに逸れ、拳は進藤海の頬を掠めて石壁を砕く。
「何だ?」
グラッドが振り向く。
煙の中から、見知らぬ少年が歩み出た。
ミナも進藤海も、その姿を知らない。
だが、ナユが少年の後ろから現れたことで、二人は攻撃せず距離を取った。
「誰だ、貴様」
グラッドの問いに、少年は答えなかった。
ただ静かに構える。
その立ち姿を見た瞬間。
グラッドの表情から、僅かに余裕が消えた。
◆
「今日の記録:セバスチャンの技術に、身体だけが追いついていませんでした。私はミナと進藤さんに時間を稼いでもらい、セバスチャンへ、これからすることを許してほしいとお願いしました。そして《真願》を使いました。記憶も経験も技術も失わず、セバスチャンは十五歳ほどの身体になりました。将軍は、何が起きたのか知りません。日報完了」




