第405話《炎将》
古い排水路を進む人々の足音が、暗闇の中へ重なっていた。
エリクサーで身体の傷は癒えている。
それでも、長く魔力を奪われていた者達の足取りは重い。
互いに肩を貸しながら、前方を進むミナについていくのが精一杯だった。
やがて一行は、古い貯水槽へ出た。
天井が高く、戦えるだけの広さがある。
反対側には、廃工房へ続く細い水路が伸びていた。
「もう少しです。止まらずに進んでください」
ミナが人々を先へ促す。
銀髪のエルフは、自分の足で歩いていた。
体力も魔力も戻っている。
だが、長い監禁が残した心の疲れまでは消えていなかった。
それでも、淡い緑色の風を呼び、歩けない者達の身体を支えている。
「この方々は、私が守ります」
女性はナユを見た。
「あなた方は、追手を」
ナユが答えるより早く、排水路の水が音を立てて沸騰した。
赤黒い熱が、暗い通路の奥から迫ってくる。
石壁に亀裂が走り、次の瞬間、背後の壁が内側から吹き飛んだ。
砕けた石の向こうから、一人の男が歩いてくる。
将軍グラッド。
両腕と両脚に、炎のような赤黒い闘気が纏わりついていた。
「異界七号」
グラッドは進藤海を見た。
「一度拾った命を、また捨てるか……愚かな……」
「拾われた覚えはねぇよ」
進藤海の指先に、金色の闘気が灯る。
グラッドの視線が、ナユへ移った。
「そして、貴様がナユか」
ナユは答えず、銀髪の女性を見た。
「みんなをお願い」
「ええ。必ず」
緑色の風に守られながら、救出された人々が水路の先へ動き始める。
ミナはナユの前へ立った。
「ナユ様。私が先に参ります」
「無理しないで」
「承知しております」
ミナの身体を、十八重の《ブースト》が巡った。
床を踏み砕き、一瞬でグラッドとの間合いを消す。
振り抜かれた拳が、赤黒い魔炎気へ叩き込まれた。
だが、グラッドは片手で受け止めた。
衝撃で貯水槽の壁が揺れる。
それでも、グラッドの足は一歩も動かなかった。
「悪くない」
グラッドはミナの腕を掴み、身体ごと振り回した。
ミナが壁へ投げつけられる。
空中で身を捻り、両足から壁へ着地したが、魔炎気に触れた腕から白い煙が上がっていた。
「魔力が……乱される……!」
進藤海が横から踏み込んだ。
金色の光を纏った拳が、グラッドの側頭部を狙う。
グラッドは頭を僅かに下げて避け、その腹へ膝を突き上げた。
「ぐっ……!」
進藤海の金色の光が弾ける。
続く回し蹴りを両腕で受けたが、身体は石床の上を大きく滑った。
「《レイ・エッジ》!」
ナユが放った光刃が、グラッドへ迫る。
グラッドは赤黒い炎を纏わせた拳を振り抜いた。
光刃が正面から砕かれる。
散った光が、貯水槽の中へ降り注いだ。
『魔炎気は接触した魔力構造を焼き乱しています』
『正面からの魔法攻撃は、効果が大きく減衰します』
(なら、隙を作る)
ナユが再び踏み込もうとした時、セバスチャンの姿が消えた。
「幻影影舞連牙」
幾つもの残像が、グラッドを囲む。
前後左右から交差する斬撃。
首、腕、脚、脇腹。
逃げ場を潰すように、見えない刃が走った。
グラッドの頬と肩に、細い傷が刻まれる。
初めて、赤い血が流れた。
「ほう」
グラッドは楽しそうに口元を歪めた。
次の瞬間、魔炎気が爆発する。
赤黒い衝撃が、残像をまとめて吹き飛ばした。
セバスチャンの本体が弾き出され、石床へ片手をつく。
グラッドは一息で距離を詰めた。
拳が振り下ろされる。
セバスチャンは身体を横へ流し、紙一重で避けた。
拳が石床を砕き、溶けた破片が周囲へ飛び散る。
だが、避けた直後のセバスチャンの足が止まった。
「セバスチャン!」
呼吸が乱れている。
肩が大きく上下し、額には汗が浮かんでいた。
技術は追いついている。
グラッドの動きも読めている。
ただ、身体だけがついてこない。
グラッドの蹴りが迫る。
セバスチャンは両腕で受けたが、その身体は貯水槽の端まで吹き飛ばされた。
壁に背中を打ちつけ、膝をつく。
「セバスチャン様!」
ミナが駆け寄ろうとする。
「来てはなりません!」
セバスチャンは荒い呼吸の中で、顔を上げた。
「私が……もっと若ければ……」
悔しさを噛み殺すように、拳を握る。
「あのような者程度に、後れを取るなど……」
グラッドがゆっくりと近づいてくる。
ナユ、ミナ、セバスチャン、進藤海。
四人で挑んでも、届かない。
戦いが長引けば、救出した人々にも追手が迫る。
ここで倒れれば、全員が連れ戻される。
ナユは、立ち上がろうとするセバスチャンを見た。
老いた身体。
それでも、誰よりも磨き上げられた技術。
もし、その技術に身体さえ追いつけば。
グラッドの魔炎気が、さらに大きく燃え上がった。
このままでは、全滅する。
ナユは一つの決断をした。
◆
「今日の記録:古い排水路で、将軍グラッドに追いつかれました。ミナ、進藤さん、セバスチャン、私の四人で戦いましたが、まるで届きません。魔炎気は触れた魔力を乱し、光魔法も《ブースト》も抑えられてしまいます。セバスチャンは技術では負けていません。でも、身体が追いつかず、息を切らしています。このままでは全員がやられます。私は、決断しました。日報完了」




