第404話《解縛》
自動制御の復旧まで、残された時間は五十秒を切っていた。
銀髪の女性の胸元には、黒い楔が深く食い込んでいる。
そこから伸びる濁った光は、彼女と精霊王を結ぶ契約線へ絡みつき、奪った力を金属管の奥へ流し続けていた。
ナユは《アイテムボックス》からエリクサーを取り出した。
「これを飲んで」
「ですが……そのような貴重なものを……」
「今は遠慮しないで。あなたと精霊王様を助けるために必要なの」
ナユは女性の頭を支え、エリクサーを少しずつ飲ませた。
淡い光が細い身体を包む。
傷ついていた肉体が修復され、途切れかけていた生命力が戻る。
枯れ果てていた体力と魔力も、一気に満ちていった。
『肉体損傷、生命力、体力、魔力。すべて完全回復しました』
女性が大きく息を吸う。
淡い緑色の瞳に、先ほどまでとは違う強い光が戻った。
だが、黒い楔も激しく脈打った。
回復した魔力を奪おうと、濁った光が一気に金属管へ流れ込む。
「また吸われてる!」
ナユが楔へ手を伸ばそうとする。
女性は、その手をそっと止めた。
「もう……大丈夫です」
長く動かしていなかった身体には、まだ僅かな違和感が残っている。
それでも、力は戻っていた。
女性は背後の巨大な結晶を見つめた。
その中では、淡い緑色の影が苦しそうに揺れている。
「長い間、お待たせしました」
胸元へ手を当て、静かに目を閉じる。
「もう一度……私と共に」
その声に、結晶の中の影が応えた。
地下室を満たしていた魔力が、一度だけ大きく震える。
銀色の髪が宙へ広がり、溢れ出した緑色の光が女性の身体へ重なっていった。
「《精霊憑依》」
次の瞬間、圧倒的な魔力が中央区画を満たした。
風のない地下で激しい風が渦巻く。
床の封印が軋み、壁の魔導具が次々と明滅する。
女性の瞳には、人ならざる神々しい光が宿っていた。
「なんだよ、この魔力……」
進藤海が目を見開く。
女性は胸元へ食い込んだ黒い楔を掴んだ。
その手には、精霊王の腕が重なるように緑色の光が纏わりついている。
楔が黒い光を噴き上げ、契約線へさらに深く食い込もうとした。
「私達の契約を……」
女性の声へ、もう一つの声が重なる。
「この程度の楔で、縛れると思わないことです」
女性が腕を引いた。
黒い術式が悲鳴のような音を上げる。
金属管が激しく軋み、床へ刻まれた帝国の術式が次々と砕けた。
『自動制御復旧まで、残り二十二秒です』
「もう少し!」
ナユが女性の身体を支える。
緑色の光が爆発した。
黒い楔が、契約線から一気に引き抜かれる。
帝国へ続いていた濁った光が千切れ、空中へ飛び出した。
「ナユ!」
進藤海が叫ぶ。
楔は黒い光を撒き散らしながら、再び女性へ戻ろうとしていた。
ナユは手を伸ばす。
「収納!」
黒い楔が《アイテムボックス》へ消えた。
濁った光が完全に途絶える。
残ったのは、女性と精霊王を結ぶ清らかな緑色の光だけだった。
『抽出術式の消失を確認しました』
『精霊王との契約線に損傷はありません』
巨大な結晶の中にいた影が光の粒へ変わり、女性の身体へ吸い込まれていく。
《精霊憑依》の光が静かに収まった。
女性の体力も魔力も満ちている。
ただ、長い監禁が残した心の疲れまでは消えていない。
彼女は小さく息を吐き、ナユを見つめた。
「助けて……いただいたのですね」
「うん。でも、お礼はここを出てからにしよう?」
「ええ」
女性は、自分の足で拘束台から離れた。
『自動制御復旧まで、残り八秒です』
「走って!」
四人は中央区画を飛び出した。
通路の先では、ミナが最後の区画扉を両腕で押さえていた。
救出された人々は、すでに古い排水路へ入っている。
「お急ぎください!」
進藤海、銀髪の女性、ナユ、セバスチャンが順に扉を抜ける。
最後にミナが身を滑り込ませた。
『自動制御、復旧』
鉄扉が轟音とともに閉じる。
その向こうで、帝国兵達の怒号が響いた。
ナユは息を整えながら、銀髪の女性を見る。
「動けそう?」
「はい。身体も魔力も戻っています」
女性は胸元へ手を当てた。
「そして、あの方も無事です」
まだ帝都の地下を出たわけではない。
追手も止まってはいない。
それでも、帝国の楔は抜けた。
精霊王との契約は守られた。
◆
地下第七区画の監視室。
「異界七号、消失!」
「第零霊源体との接続も途絶!楔の反応まで消えました!」
報告を聞いたグラッドは、ゆっくりと立ち上がった。
赤黒い魔炎気が、その身体から立ち昇る。
「地下の出口をすべて塞げ」
グラッドは一人扉へ向かった。
「俺が行く」
◆
「今日の記録:銀髪のエルフの人へエリクサーを使いました。身体も体力も魔力も全て戻り、精霊王様との《精霊憑依》で、帝国の黒い楔を力づくで引き抜いてくれました。飛び出した楔は《アイテムボックス》へ収納しました。精霊王様との契約も無事です。みんなで古い排水路へ入りました。でも、まだ帝都の地下です。全員で逃げます。日報完了」




