第400話《銀牢》
翌日の深夜。
三人は、地下第七区画の搬入口を見下ろしていた工房へ戻っていた。
昼の間に人の出入りを調べた結果、この建物は半年前から使われていないことが分かっている。
窓は板で塞がれ、入口には錆びた鎖が掛けられていた。
外から見れば、ただの廃工房だった。
セバスチャンが裏口の錠へ細い針を差し込んだ。
金属が擦れる音すら、ほとんど聞こえない。
数秒後、錠が静かに外れた。
「参りましょう」
三人は暗い工房へ入った。
床には壊れた工具と金属片が散らばっている。
壁際には使われなくなった炉があり、空気には古い鉄と油の匂いが残っていた。
セバスチャンは迷うことなく、工房の奥へ進んだ。
「昨夜、屋根の上で確認した水音は、この辺りから聞こえておりました」
床へ膝をつき、木板へ耳を当てる。
ミナも周囲の気配を探った。
「下に何かいますか?」
「人の気配はございません。ですが、水の音は確かに聞こえます」
ナユも床を見つめた。
『床下に空間を確認。深さは約二メートルです。その下に細い水路があります』
(入口はある?)
『周囲を走査します』
ナユの視界に、床板の一部だけが淡く浮かび上がった。
「あそこ」
指を差す。
炉の裏に、他とは少し色の違う床板があった。
ミナが工具棚を動かす。
セバスチャンが床板の縁へ指を掛けると、隠されていた鉄の輪が現れた。
持ち上げる。
床下へ続く、狭い縦穴が姿を見せた。
「古い保守用の通路でございますな」
セバスチャンが先に下りた。
続いてナユ。
最後にミナが入り、床板を元の位置へ戻した。
水路は、人一人がようやく歩けるほどの幅しかなかった。
足元には浅い水が流れている。
壁には苔が生え、天井から冷たい雫が落ちていた。
だが、自然な水路ではない。
古い石壁の間を縫うように、真新しい金属管が何本も通されている。
管の内側では、青白い光が脈を打っていた。
『金属管内部に高濃度の魔力反応を確認しました』
(これも帝都の中心へ流れてるの?)
『一部は中心部へ向かっています。しかし、別の流れが地下第七区画から合流しています』
セバスチャンが管へ触れずに観察した。
「地下施設から集めた魔力を、この水路を通して運んでいるのでしょう」
ナユは金属管を見上げた。
低い音が聞こえる。
水の音ではない。
誰かが苦しみながら息を吐いているような、細い震えだった。
(ミラ。この音は?)
『魔力の振動です。ただし、通常の魔導石から発生する波形ではありません』
ミラの声が、わずかに硬くなる。
『生命体から継続的に魔力を抽出している可能性があります』
ナユは唇を結んだ。
三人は水路を進んだ。
途中には、後から増設された鉄格子が二つあった。
セバスチャンが警報線を確認し、一本ずつ処理していく。
鉄格子を抜けた先で、水路が二つに分かれていた。
右からは、荷車の車輪と兵士の声が聞こえる。
地下第七区画の搬入口へ繋がっているのだろう。
左からは、先ほどよりも強い魔力の振動が流れていた。
『左側から、極めて大きな生命魔力を検出しました』
「進藤さん?」
ナユが小さく尋ねる。
『波形が異なります。進藤海のものではありません』
セバスチャンが左の通路を見る。
「確認だけいたしましょう。退路を失う前に戻ります」
三人は左へ進んだ。
やがて、水路の壁に細い隙間が現れた。
元は排水を確認するための覗き穴だったらしい。
セバスチャンが先に向こう側を確認し、ナユとミナへ場所を譲った。
隙間の先には、巨大な地下室が広がっていた。
天井から無数の金属管が垂れている。
床には魔法陣が何重にも刻まれ、複数の人間が金属製の台へ拘束されていた。
腕。
脚。
胸元。
それぞれに針のような器具が刺され、魔力が細い管へ吸い上げられている。
白衣を着た帝国の魔科学者達が、数値を読み上げながら歩いていた。
「第三抽出槽、出力低下」
「労働個体を交換しろ。使えなくなったものは処分区画へ送れ」
「第五抽出槽は?」
「まだ持つ。明日までは使えるだろう」
人を、人として扱っていない。
ナユの手が震えた。
ミナが、そっとナユの肩へ手を置いた。
声を出してはいけない。
今ここで飛び出しても、全員を助けられない。
その時、地下室の奥で淡い光が揺れた。
他の拘束台とは離れた場所。
何重もの透明な壁と封印に囲まれた中央区画。
そこに、一人の女性がいた。
長い銀髪。
白ではない。
光を受けると淡い金色を含む、シルバーブロンドの髪だった。
女性の身体は、細い鎖で拘束されている。
両手首だけではない。
首元、足首、胸元にも魔導具がつけられ、そこから太い金属管が伸びていた。
尖った耳が、髪の間から覗いている。
「エルフ……」
ミナが、聞こえないほど小さく呟いた。
『対象から、計測限界に近い魔力を確認しました』
(あの人が?)
『いいえ。正確には、対象本人の魔力に加え、別の巨大な存在との接続反応があります』
女性の背後には、大きな結晶が置かれていた。
結晶の中で、淡い緑色の光が蠢いている。
獣にも、人にも見える影が、苦しむように揺れていた。
『精霊系統の反応です。しかし、通常の精霊とは規模が異なります』
近くにいた魔科学者が記録板を確認する。
「第零霊源体の抽出量が落ちているぞ」
「契約線への負荷を上げろ」
「これ以上は、精霊王との接続が切れる可能性があります」
「切れたところで構わん。千年以上も生きた個体だ。まだ搾れる」
ナユの目が見開かれた。
精霊王。
千年以上。
別の魔科学者が、冷たく笑った。
「エルフ共の姫であろうが、ここではただの霊源だ」
女性の身体が、わずかに震えた。
金属管の光が強くなる。
銀髪の間から見える顔が、苦痛に歪んだ。
それでも声を上げない。
長い間、何度も同じことをされてきたのだろう。
叫ぶ力さえ残っていないのかもしれない。
ナユは拳を握った。
(助ける)
『ナユ』
(進藤さんも、あの人も、ここにいる人達も助ける)
『現在の戦力で正面から施設全体を制圧することは困難です』
(分かってる)
今は場所を覚える。
入口。
兵士。
魔法陣。
金属管。
封印の数。
助けるために、全部見る。
その時だった。
拘束されていた女性の瞼が、かすかに動いた。
ゆっくりと開く。
光を失いかけた淡い緑色の瞳が、真っ直ぐ覗き穴の方を向いた。
ナユの身体が固まる。
見えているはずがない。
何重もの壁がある。
覗き穴も暗い。
それでも、女性はナユを見ていた。
唇が、わずかに動く。
声は聞こえなかった。
だが、ナユには分かった。
逃げて。
女性は、そう言っていた。
自分を助けてとは言わない。
見つかる前に逃げろと、ナユ達を心配している。
ナユは小さく首を振った。
そして、声を出さずに口を動かした。
必ず、戻ります。
女性の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
セバスチャンがナユの肩へ触れる。
戻る時間だった。
三人は音を立てず、水路を引き返した。
まだ救えない。
けれど、見つけた。
進藤海へ繋がる地下第七区画。
魔力を搾り取られている人々。
そして、精霊王と契約した銀髪のエルフの姫。
帝国の地下には、救わなければならない命が増えていた。
◆
「今日の記録:古い排水路を調べて、地下第七区画の一部を見つけました。そこでは、捕らえられた人達から魔力を吸い取っていました。奥には、長い銀髪のエルフの女性がいました。千年以上を生きたエルフの姫で、精霊王と契約しているそうです。帝国は、その人だけではなく、契約している精霊王の力まで奪っています。女性は私達に気づいて、逃げるように言いました。でも、置いてはいけません。進藤さんも、エルフの女性も、捕らえられている人達も助けます。そのために、まず地下第七区画の仕組みを調べます。日報完了」




