第389話《裁定》
王都の夜が明けてから、数日が過ぎた。
閉ざされていた門は開かれ、臨時評議会の命令は取り消された。
捕らえられていた貴族や近衛兵達も、順に解放されていった。
王都の通りには少しずつ人が戻り始めたが、誰もがまだ声を潜めて歩いていた。
アニシア・ユラ・アンダルシアンは、アンダルシアン公爵家の一室で静養していた。
魂は戻った。
死灰の毒の水も、悪魔契約も、ロスルドが仕掛けた術式も消えた。
けれど、失われかけたものが大きすぎたため、すぐに元気になることはできなかった。
それでも、数日後には、アニスは短い時間なら起き上がれるようになった。
白い顔のまま、背筋だけはまっすぐに伸ばしている。
その姿は痛々しかったが、公爵令嬢としての品位は失われていなかった。
隣にはリリエラが控え、ナユも少し離れた場所に立っていた。
今日は、裁定の日だった。
王城の広間には、国王陛下、アンダルシアン公爵、有力貴族達、近衛兵、そしてナユ達が集められていた。
王都クーデターはロスルドの策であり、アニシアは死灰の毒の水と術式で操られていた。
その証拠は、使用人達の証言、リリエラの証言、ミラの解析、そしてアニス本人の状態からも明らかだった。
けれど、それだけでは終わらなかった。
国民の手前がある。
王都が封鎖された事実がある。
臨時評議会の旗印として、アニシア・ユラ・アンダルシアンの名が使われた事実がある。
アニス本人が望んだことではない。
けれど、何もなかったことにもできない。
国王は、重い声で告げた。
「アニシア・ユラ・アンダルシアン。そなたが操られていたことは、余も理解している。だが、王都を混乱させた旗印となった事実は、国民の前で無視できぬ」
アニスは静かに頭を下げた。
「承知しております」
声はまだ弱い。
だが、逃げる声ではなかった。
「いかなる裁定であっても、受け入れる覚悟です」
ナユの指が、ぴくりと動いた。
アニスは何も悪くない。
操られていた。
魂まで削られた。
死にかけた。
それなのに、まだ何かを背負わせるのか。
そう思った瞬間、ナユの周囲の空気が、すっと冷えた。
リカリーネが横目で見る。
「ナユ?」
マリエルの表情が引きつる。
「ナユさん。お気持ちは分かりますけれど、今は広間ですわ」
ティトが小声で言う。
「香気魔法、落ち着く香りを出しましょうか」
シズネは淡々と呟いた。
「魔力出力、上昇中です」
レナが短く言う。
「怒っているな」
セバスチャンは穏やかな顔のまま、ほんの少しだけ視線を伏せた。
「お嬢様。王城の床は高価でございます」
ナユははっとした。
床を壊すつもりはなかった。
なかったはずだった。
国王陛下の額には、うっすら汗が浮かんでいた。
「ナ、ナユよ。最後まで聞くのだ。まだ何も言い切っておらぬ」
王の声が、少しだけ裏返った。
広間の空気が微妙に揺れる。
近衛兵達が、見てはいけないものを見てしまったように視線を外した。
アンダルシアン公爵は、深刻な顔を保とうとしていたが、肩が少し震えていた。
ナユは小さく息を吸った。
「……失礼しました」
そう言いながらも、目はまだ少し怖かった。
国王は咳払いをした。
「裁定を告げる。アニシア・ユラ・アンダルシアンは、二年間、辺境にて幽閉とする」
その言葉に、広間が静まった。
ナユの周囲の空気が、また少し冷えた。
それは殺気にも似たものであった。
「へ、辺境といってもだな」
国王が慌てて続ける。
「迷宮都市ナユタである」
ナユは瞬きをした。
「……ナユタ?」
「そうだ。そなたが統治する迷宮都市ナユタだ」
国王は、今度は少しだけ威厳を取り戻したように言った。
「条件は、二年間、迷宮都市ナユタから外へ出ぬこと。王都への帰還、公的行事への参加、アンダルシアン公爵家の政治的活動への関与を禁ずる。ただし、ナユタ内部での生活、療養、学問、交流、移動については、そなたの監督下で認める」
ナユは黙った。
迷宮都市ナユタ。
広い。
とても広い。
町があり、人が住み、施設があり、学ぶ場所も、働く場所も、休む場所もある。
街から出てはいけない。
そう言われても、ナユタの中でなら、かなり自由に過ごせる。
リカリーネが小声で呟いた。
「それ、幽閉って言うの?」
マリエルも小さく頷いた。
「体面上は幽閉ですわね。実態は療養と保護に近いですわ」
国王は聞こえていないふりをした。
「なお、二年後には幽閉を解除する。その後、アニシアが王都へ戻ることも認める。公爵令嬢として復帰するか、距離を置くかも、本人の意思を尊重する」
アニスの目が、かすかに揺れた。
「私の……意思を……?」
「そうだ」
国王は静かに頷いた。
「そなたは利用された。だが、王都は傷ついた。ゆえに、何もなしとはできぬ。だが、これ以上そなたを政治の駒にする気もない」
アンダルシアン公爵が、深く頭を下げた。
「陛下。寛大なるご裁定、感謝いたします」
アニスは父を見た。
公爵の顔には、苦しみがあった。
娘を守れなかった苦しみ。
それでも、公爵家として王国に示さなければならない責任。
その両方が、そこにあった。
アニスは、ゆっくりと国王へ向き直った。
「謹んで、お受けいたします」
声は弱かった。
けれど、折れてはいなかった。
ナユはアニスを見た。
アニスも、ナユを見た。
ほんの少しだけ、アニスの口元が緩む。
「ナユの街に……行けるのね……」
小さな声だった。
ナユは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「うん」
ナユは頷いた。
「ナユタで、ゆっくり休もう」
国王が、ほっと息を吐いた。
その様子を見て、リカリーネが小声で言う。
「王様、完全にナユの反応見てたわよね」
マリエルが微笑む。
「おそらく、最初からそのおつもりだったのでしょう。けれど、言い方が悪いですわ」
シズネが淡々と続ける。
「危険な手順でした。ナユの魔力反応が一瞬上昇しました」
ティトが苦笑する。
「王城の床、無事でよかったです」
レナが短く言う。
「王は賭けに勝った」
セバスチャンは静かに微笑んだ。
「陛下も、お人が悪い」
国王は聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、遠い目をした。
「余も、命がけで王をしておるのだ」
広間に、少しだけ笑いが生まれた。
重すぎた空気が、ほんのわずかに緩む。
それでも、裁定は下された。
アニシア・ユラ・アンダルシアンは、二年間、迷宮都市ナユタで暮らすことになる。
それは罰であり、療養であり、保護でもあった。
そして、アニスにとっては、ナユのそばで自分を取り戻すための時間でもあった。
ナユは、アニスの手をそっと握った。
「アニス。ナユタには、いろんな場所があるよ。まだ全部、私も見きれてないくらい」
「そう……」
「だから、退屈はしないと思う」
アニスは小さく息を吐いた。
「幽閉なのに……少し楽しみにしてしまうのは……悪いことかしら」
「悪くないよ」
ナユは首を振った。
「アニスは、これから元気になるんだから」
アニスの瞳に、わずかな光が戻る。
「なら……案内してくださる?」
「うん。もちろん」
ナユは柔らかく笑った。
「わたしが案内するよ」
王都クーデターは終わった。
ロスルドは逃げた。
王都にはまだ傷が残っている。
アニスにも、すぐには消えない痛みが残っている。
けれど、裁定は下された。
アニスは罰として辺境へ送られる。
だが、その辺境は、ナユの街。
王都の人々に示すための裁き。
アニスを守るための幽閉。
そして、彼女が自由を取り戻すための二年間。
それが、国王陛下の選んだ裁定だった。
◆
「今日の記録:アニスへの裁定が下されました。操られていたとはいえ、王都クーデターの旗印になったことは、国民の手前、何もなしにはできないそうです。私は少し怒りそうになりました。王様は少し怯えていました。でも、裁定の内容は、二年間、迷宮都市ナユタで過ごすことでした。街の外へは出られませんが、ナユタの中では療養も生活もできます。二年後には幽閉は解除され、王都へ戻ることも、公爵令嬢としてどう生きるかも、アニス自身が選べるそうです。アニスがナユタに来ます。今度は、私が案内します。日報完了」




