第316話《嘲笑》
石畳は抉れ、噴水は根元から倒れ、中央区画の面影は瓦礫の下に埋もれていた。
黒泥のような瘴気が地面を這い、踏み込むたびに靴底へまとわりつく。
上空の黒い巨体が、ゆっくりと身を揺らす。
無数の目が開き、街を見下ろす。
笑っている。
音はない。
だが確かに、愉しんでいる。
その瞬間、空気が沈んだ。
見えない圧が降り、瓦礫が震え、崩れた壁が軋む。
「……っ!」
依子が膝を沈める。
拳を地面に打ち込み、身体を支える。
バルゴが戦斧を地面に突き立て、体勢を保つ。
銀翼の呼吸が乱れる。
剣先がわずかに下がる。
雷神が巨大武器を肩に押し当て、歯を食いしばる。
ザヴェルが地を踏み抜く。
黒雷が拳に走り、圧を弾き返す。
サバリネの腐食が足元へ広がるが、すぐに闇へ飲まれた。
魔王だけが、動かない。
聖剣ルミナリスが白く脈打つ。
その光が、辛うじて闇を押し止めている。
黒い穴から、再び塊が落ちる。
一つ。
二つ。
十。
黒い塊は着地と同時に形を整える。
強化フォレストウルフが牙を剥く。
強化スケルトンが槍を構える。
グールが低く呻き、囲いに回る。
レッサードラゴンが翼を震わせる。
赤いベアーの強化体が、重く息を吐く。
依子が前へ出る。
拳が唸り、ベアーの顎を打ち抜く。
黒い殻が砕け、内部が崩れる。
だが塊は、完全には消えない。
バルゴの戦斧が横薙ぎに走る。
群れがまとめて吹き飛ぶ。
叩き落とし、踏み砕く。
銀翼が滑る。
銀色の軌道が二度、三度。
関節を断ち、首を落とし、崩す。
雷神が武器を展開する。
変形機構が鳴り、質量が振り下ろされる。
衝撃が地面を割り、強化体をまとめて砕く。
ザヴェルが間合いを詰める。
黒雷を纏った拳が、頭蓋を粉砕する。
肘が肋を砕き、蹴りが翼をへし折る。
破壊は肉体から叩き出される。
サバリネの腐食が走る。
魔物の脚から崩れ、群れの動きが鈍る。
だが。
空を裂く斬撃が巨体を抉っても。
裂け目は閉じる。
泡立ち、蠢き、繋がる。
削れたはずの部分が、何事もなかったように埋まる。
倒したはずの塊の横に、新たな塊が落ちる。
湧く。
終わらない。
◆
時間が経つ。
息が荒くなる。
足が重くなる。
銀翼の踏み込みが浅くなる。
雷神の振り下ろしが遅れる。
依子の拳に鈍さが混じる。
バルゴの斧が僅かにぶれる。
ザヴェルの黒雷が散る間隔が短くなる。
サバリネの腐食が薄くなる。
黒いクジラだけが、変わらない。
むしろ。
濃くなっている。
魔王の視線が、戦場の外へ向く。
瓦礫の陰。
崩れた屋根の下。
逃げ遅れた人々。
泣き声。
震える呼吸。
祈り。
絶望。
その感情が、瘴気に溶けている。
そして。
黒い巨体の裂け目へ、吸い込まれていく。
魔王の目が細まる。
「サバリネ」
視線を外さないまま問う。
「奴の、根源は何だ」
サバリネが応じる。
「魔王様、当初は瘴気と見られておりました」
黒い断面が閉じる。
「ですが……あれは瘴気を纏っているのではありません」
わずかに目を細める。
「負の集合体そのものかと」
魔王が、再び巨体を裂く。
裂け目へ、街の恐怖が流れ込む。
閉じる。
速い。
理解が落ちる。
魔王が低く告げる。
「……奴の再生能力は」
聖剣が白く輝く。
「この街全体に渦巻く恐怖という負の念を喰らい、それを力へ、そして、生命力に変えているのか」
依子が息を呑む。
「……だから減らねぇのかよ」
バルゴが空を睨む。
銀翼が唇を噛む。
雷神が武器を握り直す。
ザヴェルが舌打ちする。
サバリネが静かに頷く。
黒いクジラは、無言のまま。
目だけが、細く歪む。
まだ、余裕がある。
戦力差ではない。
感情差。
魔王が剣を構える。
「ならば」
白い光が広がる。
「恐怖を断つ」
黒い目が、一瞬だけ揺れた。




