第317話《崩落》
黒い目が、揺れた。
だが。
それは恐れではない。
理解されたことへの。
苛立ち。
次の瞬間。
空が、落ちた。
黒い巨体の周囲に渦が生まれる。
瘴気が巻き上がる。
街を覆う。
視界を奪う。
泣き声が増す。
叫びが混じる。
それが。
吸われる。
黒い裂け目が。
喰らう。
「……ちっ」
魔王の舌打ちは低かった。
裂いた傷が、閉じない。
いや。
膨らんでいる。
再生ではない。
増幅。
黒い巨体が、ひと回り。
いや、ひと息ごとに大きくなる。
依子の目が見開かれる。
「おい……ふざけんなよ」
黒い塊が、降る。
だが、今回は違う。
着地と同時に。
混ざる。
喰い合うように。
溶け合うように。
フォレストウルフとスケルトンが絡み合う。
ベアーの腕にドラゴンの翼が裂けるように生える。
骨の鎧が何枚も重なり、殻が厚く、鈍く、禍々しく膨れ上がる。
質が変わった。
もう、ただの数ではない。
雷神が振り下ろす。
鈍い音。
割れない。
「硬ぇ……!」
銀翼の斬撃が走る。
滑る。
刃が弾かれる。
ザヴェルが拳を叩き込む。
黒雷が爆ぜる。
亀裂。
だが。
すぐに塞がる。
依子が全力で打ち込む。
腕が痺れる。
「……っ!」
逆に、弾かれる。
バルゴが前に出る。
戦斧で受ける。
衝撃。
足元が割れる。
押される。
その横で。
サバリネが、静かに指先を上げた。
薄紫の霧が、細く、しなやかに伸びる。
融合体の脚へ絡みつく。
「少しは、お止まりなさいな」
黒い肉が崩れる。
骨が軋む。
だが。
瘴気が。
腐敗を、喰う。
紫が、削られる。
崩れた脚が、黒い殻を盛り上がらせて立ち直る。
サバリネの瞳が細まる。
「……まあ。
なんて行儀の悪い」
ザヴェルが横から割り込む。
だが数が違う。
上から。
横から。
背後から。
さらに降る。
さらに混ざる。
さらに膨れる。
魔王が斬る。
聖光が走る。
裂け目が広がる。
だが。
街の恐怖が、そこへ流れ込む。
止まらない。
依子が吹き飛ぶ。
瓦礫に叩きつけられる。
銀翼の肩が裂ける。
血が滲む。
雷神が膝をつく。
ザヴェルの黒雷が散る。
バルゴの戦斧が弾かれる。
薄紫の霧さえ、黒に削られていく。
戦線が。
崩れる。
黒い融合体が、一歩踏み出す。
重い。
空気が、軋む。
依子が立ち上がる。
だが。
足が震えている。
「まだ……だろ」
拳を握る。
だが。
黒い巨体が、笑う。
音はない。
それでも確かに。
嘲笑。
◆
瓦礫の影で。
ミナは、その光景を見ていた。
救助を終えた子どもを抱えたまま。
その小さな体ごと、震えている。
「……そんな」
依子が。
バルゴが。
銀翼が。
雷神が。
ザヴェルが。
押されている。
そして。
あの魔王でさえも。
恐怖が広がる。
人々の目が戦場を見る。
その視線が。
黒い巨体へ吸い込まれていく。
ミナは歯を食いしばる。
「やめて……」
それ以上。
怖がらさないで。
でも。
止められない。
空が暗くなる。
黒い融合体が、さらに増える。
依子が、膝をつく。
銀翼が、片足を引く。
雷神の武器が、重く沈む。
ザヴェルが吼えるが、押し返せない。
サバリネの霧も、薄い。
魔王の聖光が、薄い。
ミナの胸が、締め付けられる。
ナユ様。
今、どこにおられるの。
あなたなら。
あなたなら。
きっと。
でも。
遠い。
間に合わないかもしれない。
黒い巨体が、腹を開く。
巨大な影。
今までで最大。
戦場を覆う。
依子が顔を上げる。
覚悟の目。
バルゴが前に出る。
銀翼が剣を握る。
雷神が歯を食いしばる。
サバリネが、静かに指先を持ち上げる。
ザヴェルが笑う。
魔王が静かに構える。
全員が。
終わりを理解している。
ミナの喉が震える。
「……早く、来てください」
声が、掠れる。
「ナユ……様」
巨大な塊が、落ちる。
ミナは目を閉じる。
「お願いです」
涙が落ちる。
「……助けてください!!」
空が。
闇に呑まれた。




