第106話《成長》
朝の森に、鈴のような足音が走った。
白い外套のすそを揺らし、少女は風より速く駆ける。
六歳。
名はナユ=ハルメリア。
『《ブースト》十二重・常時維持、安定。筋出力、基準比二十%。《ルミナス・ヒール》常時展開、損傷ゼロ。表層六重、清浄・防汚・微生物遮断も正常稼働』
「うん、全部いい感じなのです」
地鳴り。
茂みを裂いて現れたのは、樹よりも太い腕を持つ魔獣――オーガ・ベアー。
牙が陽光を弾いた次の瞬間、ナユの姿が消える。
「――せいっ!」
小さな拳が、熊腕と交錯。
轟音。
巨躯が宙でくの字に折れ、背から倒れ込む。
土煙の中、ナユは足先でそっと姿勢を戻しただけ。外套ひとつ乱れていない。
『衝突応力、外装ダメージ判定ナシ』
「もう一回、起きてくるのです?」
唸りを上げて跳ね起きたオーガ・ベアーの顎に、今度は軽くボディを一つ。
地面に星形のひびが走り、魔獣は白目を剥いて沈黙した。
「……ふう。朝の体慣らし、完了なのです」
途端、森の空気がぬめり、薄煙が広がる。
霧――フォグウルフの群れ。あのとき逃げた個体を遥かに上回る気配が、十、二十……。
「今日はまとめて掃除なのです」
指先に光が集まる。
「《レイ・エッジ》――連装」
空に描いた直線が、雨のように落ちる。
音もなく狼影が裂け、霧が消える。
残った大きな影に向けて、ナユは一歩だけ詰めた。
「《レイ・ブレード》」
掌から伸びる光剣が、呼吸のように生まれ、消え、また生まれる。
一閃、二閃、三閃――間を置かない連続起動。
巨躯のフォグウルフが、倒れた大樹のように静かに崩れた。
『魔力残量、九一%。循環最適化、成功』
「いっぱい動いても、ぜんぜん苦しくないのです」
ナユは胸元に手を当て、微笑む。
そこに在るのは、光と――もう一つの静かな影。
『本日の基礎訓練、規定達成。追加メニューを提案しますか?』
「帰って朝ごはんなのです。ハク、クロ、見回りありがとう」
白銀と黒の影が低く鳴き、左右に寄り添う。
外套についた露は、薄膜の結界がふわりと弾いた。汚れひとつ付かない。
森の端で、セバスチャンが帽子のつばを押さえて一礼する。
少し離れてミナが、両手を胸の前で握りしめる。
「お嬢様、素晴らしいお手並みでございます」
「……お嬢様。今の“連続起動”、本当に綺麗でした」
「えへへ、まだまだ強くなるのです。――行くのです!」
朝日を浴び、三つの影が屋敷へと走る。
六歳になった小さな背は、もう幼子のそれではない。
研ぎ澄まされた身体、淀まぬ魔力、そして揺るがない心――。
学びの季節は、もう目の前だ。
「今日の記録:六歳になって初めての本気の朝練なのです!《ブースト》十二重を常時にしても平気。オーガ・ベアーは拳で止めて、フォグウルフは《レイ・エッジ》と《レイ・ブレード》でまとめて倒せたのです。外套と髪も《プロテクト・サークル》でぴかぴかなのです。もっと強く、もっと綺麗に――進むのです。……日報完了」




