【第3話「商業ギルドを出し抜け」】
三ヶ月が経った。
ヴェルドラ——今はアリシアが「クライン工業領」と改称しつつある土地——の景色は、別物になっていた。
五軒だった家が三十軒を超えた。噂を聞きつけた流民や職人崩れが月に十人単位で移住してくるようになり、クラウスが突貫で宿舎を建て続けた。水路は村全体を網羅し、魔石ランプが夜道を照らす。製鉄炉は二基に増設され、昼夜を問わず稼働している。
そして工房から生まれた製品たちが、周辺領地に流れ始めていた。
魔石ランプ。農業用強化鍬。保存食用密閉容器。どれも品質は市場の二倍、価格は半分。
売れない理由がなかった。
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「お嬢さん」
男が執務室に入ってきたのは、昼前のことだった。
太った男だった。金の指輪を四本重ねている。商業ギルドの紋章を胸につけ、笑顔だが目が笑っていない。
「ルドルフ・ハウゼンと申します。この地域の商業ギルドを束ねている者でして」
「アリシア・フォン・クラインです」とアリシアは言った。書類から目を上げなかった。「ご用件は」
「いやあ、単刀直入に言いましょう。あなたの工房の製品、無許可の商売ですよね」
アリシアは書類を置いた。
「商業登録は三ヶ月前に完了しています。書類はここに」
差し出した書類を、ルドルフが受け取って眺めた。眉が一瞬動いたが、笑顔を崩さない。
「なるほど。しかし、こちらの廃坑についてはいかがですか。魔石鉱脈を採掘されているようですが——王家の土地に何の許可もなく、というのはいけませんな」
「鉱山採掘権は取得済みです」
「それが……こちらの調べでは、その権利書に不備がございまして」
「どのような不備ですか」
ルドルフは懐から書類を取り出した。王家の紋章入りの印が押されている。
「魔石鉱脈の含まれる土地は、旧来より王家の直轄地に含まれます。私どもが王家より管理を委託されており……この土地での採掘は、すなわち我がギルドの許可が必要になるわけです」
アリシアは書類を受け取り、一行ずつ読んだ。
偽造だ。紋章のインクが薄く、押し方が微妙にずれている。本物の王室文書はもっと均一な力で押印される。しかし素人には見分けがつかないだろう。
「なるほど」とアリシアは言った。「つまり、ギルドに通すか、採掘をやめるかと」
「賢いお嬢さんだ。それと、工房製品の販売についても……独占流通権をいただけますと、今後の摩擦がなくなりますな」
独占流通権。要するに、利益の大半をルドルフに渡せということだ。
アリシアは笑顔を作った。底冷えするような、笑顔を。
「検討する時間をいただけますか。三日後に返答します」
「もちろん。ではご賢明な判断を期待しておりますよ」
ルドルフが出ていった後、扉の外からリリアが顔を出した。
「お姉さま、聞いてました。あの人、ひどい!」
「ええ」
「どうするんですか」
「証拠を集めます」とアリシアは言った。すでに頭の中で、計画が動き始めていた。「リリア、あなたの鑑定スキルで調べてほしいものがあります。あの男が今日つけていた時計と指輪——何か感じましたか」
リリアが目を丸くした。「……すごいです。よく気づきましたね。あの時計、鑑定したら『盗品、王都の宝石商から三年前に紛失』って出ました」
「そうですか」
アリシアはノートを開いた。
「それから、彼が提出した王室文書について。私が複製を送るので、王都の法務官に確認を取れる人間を探してください。伝手があります」
「誰ですか」
「前に王室工房にいたクラウスさんが、法務部に知人がいます」
リリアが目を輝かせた。「お姉さま、準備してたんですか?」
「してませんでした。でも、こういう人間は必ず証拠を残します。自分が完全に安全だと思っている時ほど、丁寧に」
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三日後、法廷が開かれた。
といっても、近くの街の行政館の一室を借りた、非公式の調停だ。ルドルフは地域の商業ギルド長として役人を二名連れ、アリシアはクラウスとリリアを連れてきた。
ルドルフは上機嫌だった。自分が有利な場だと思っているのが表情に出ている。
「では、アリシア嬢のご返答を」と役人が促した。
「はい」とアリシアは言った。「まず一点。こちらの鉱山採掘権について」
書類を提出した。
「正規の王室土地管理局が発行した採掘権状です。管理番号と照合していただければ、有効であることが確認できます」
ルドルフの顔から笑顔が、すっと引いた。
「次に、ルドルフ殿が提出された王室文書について」
アリシアは静かに続けた。
「王室文書の印章は、専用の純銀製スタンプで押されます。インクの粒子密度と圧力痕を専門家に鑑定していただきました。結論——あちらの文書は偽造です」
役人の一人が、音を立てて椅子から立ち上がった。
「偽造、ですか」
「はい。王都の鑑定師に書面での証明もいただいています」
ルドルフが口を開いた。「それは——でっち上げだ! お前のような小娘が——」
「それから」
アリシアは遮った。声を荒げなかった。ただ、一音一音を丁寧に置くように言った。
「ルドルフ殿が本日お持ちの懐中時計。あちらの鑑定により、王都の宝石商『メルカス商会』から三年前に紛失届が出ている品であることが確認されました。盗品の所持ですね」
ルドルフの顔が、みるみる赤くなった。
「さらに、こちらがギルドの過去三年分の納税記録の異常箇所をまとめた一覧です。私的流用の総額は金貨三百枚を超えます。詳細な帳簿の突合については、上位ギルドに調査を依頼済みです」
室内が、しんと静まり返った。
ルドルフは立ち上がった。椅子が倒れる音がした。
「この小娘があああ! どこでそんな——どうやって——」
「小細工は私の前では無意味です」
アリシアは言った。表情は変わっていない。
「邪魔をするなら証拠ごと潰すだけです。それだけのことです」
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一週間後。
ルドルフは地域ギルド長を罷免された。刑事告発は進行中だ。
空いたギルド長の席に、行政の推薦でアリシアが就いた。本人は「面倒ですが」と言いながらも受け入れた。製品の流通経路を自分でコントロールできるなら、悪くない話だった。
得た資金で、道路の建設を始めた。
クライン工業領と隣の街を結ぶ、石畳の直線道路。幅五メートル、馬車二台がすれ違える設計。リリアが採取した良質な石材をクラウスが整形し、新たに雇った職人十二人が敷き詰めていく。
工事現場を見下ろしながら、アリシアはメモを取った。
「次は交易所の設計です。クラウスさん、基礎工事の見積もりをお願いできますか」
「すでに出してあります」とクラウスは言った。義手の指で書類をめくる動作が、もう自然になっていた。
「リリア、周辺の石材の在庫確認を」
「してます! 収納に三十トン分あります!」
「完璧です」
アリシアはノートに書いた。
『クライン工業領——人口二百名、工場二基、製鉄炉三基、道路建設中、交易所計画中』
三ヶ月前の廃村から、ここまで来た。
アリシアはペンを止めて、空を仰いだ。
実家の広間の燭台が、頭の隅に浮かんだ。揺れていた三本の炎。父の声。義妹の笑い声。
アリシアは、ふっと口元を緩めた。
まだ序章だ。
【第3話・了】




