【第2話「錬金術と工学の奇跡」】
朝の光が、ヴェルドラ村に差し込んできた。
アリシアはすでに起きていた。正確には、一度も眠っていなかった。ノートに書き込んだリストは夜明けまでに三ページを埋め、今は村の外周を歩きながら地形を確認している。
東の丘。西の湿地。北の廃坑跡——。
足が止まった。
廃坑、だ。
アリシアは斜面を駆け下りた。入口は崩れかけているが、坑道そのものは残っている。懐から魔石の破片を取り出して、触媒として地面に押し付ける。反応が返ってくるまで十秒。
指先が、ぴりっとした。
「……鉄鉱石」
それだけではない。より深い層に、もっと強い反応がある。
「魔石鉱脈」
声が、震えた。抑えたつもりだったのに、体が正直だった。魔石は精錬すれば動力源にも素材にもなる万能資源だ。品質次第では王都の工房でも喉から手が出るほどほしがる。これが本当にあるなら——。
「どうかしましたか」
背後から声がして、アリシアは振り返った。
男が一人、廃坑の入口に立っていた。
年齢は三十代半ばだろうか。鍛えた体に旅埃を被った外套。左の袖が、肩から先で空になっていた。縛られて固定されているのではなく、そもそも腕そのものがない。それでも姿勢は真っ直ぐで、目に力があった。
「あなたは」
「クラウスと申します」と男は言った。「元は王都の工房に勤めておりました」
「王室工房?」
「ええ。三年前まで。今は……流れ者です」
アリシアは男を見た。左腕の欠損。王室工房出身。旅の途中でこんな辺境に立ち寄る理由。
「腕は、いつですか」
クラウスが少し目を細めた。「二年前。工房で事故がありまして」
「痛みはありますか」
「今は。断端部が時々。義手をつけていた頃は肩が凝りましたが、今は何もつけていないので」
「義手の素材は」
「木と革です。よくある品です」
「使い物になりませんね」とアリシアは言った。
クラウスが眉を上げた。
「私が作ります。動く義手を」
沈黙が落ちた。
クラウスはアリシアを見た。見返した。その目の中に、何かを測るような光があった。職人が職人を値踏みする目だと、アリシアにはわかった。
「……信じてもいいですか」
「信じなくて構いません」とアリシアは答えた。「作った後で判断してください」
クラウスが、ゆっくりと息を吐いた。
「この廃坑を調べていたのですか」
「魔石鉱脈があります。かなりの規模で」
「……本当ですか」
「確かめますか。一緒に」
クラウスは一瞬だけ迷ってから、頷いた。
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地下十五メートル。
坑道の奥に、それはあった。
壁面に光る、青白い鉱脈。魔石の原石が岩盤に沿って走っている。幅三メートル、確認できる範囲で長さ二十メートル以上。クラウスが無意識に息を呑む音が、狭い坑道に響いた。
「これは……」
「A級相当の品質です」とアリシアは言った。触媒石を当てた感触から推定した数値だ。「精錬すれば王都の相場で一石あたり金貨二十枚は下りません」
「A級が、こんな辺境に」
「誰も調べなかったからです。来た人間が三日で逃げ帰る土地なら、当然そうなりますね」
アリシアはランプを壁面に近づけた。鉱脈の走り方を目で追いながら、頭の中で採掘計画を組み立てていく。人手は今のところ五人。重機はない。しかし爆薬の代わりに錬金術の膨張反応を使えば、少人数でも効率よく採掘できる。
「クラウスさん」
「はい」
「採掘の経験は」
「王室工房では金属の精錬を担当していました。採掘そのものは……多少は」
「十分です。現場監督をお願いできますか。私は設計と製造を担当します」
クラウスがまた、あの値踏みする目をした。今度は少し違う成分が混じっていた。興味、かもしれない。
「あなたは、何者ですか」
「昨日も同じことを聞かれました」
「村長も聞きましたか」
「ええ」
「それで、なんと答えたのですか」
「クライン工業領の領主だと」
「……今日は?」
アリシアは少し考えてから、言った。
「職人です」
クラウスが、初めて笑った。目尻に皺が寄る、地味だが本物の笑いだった。
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義手の製作に、三日かかった。
アリシアは眠らなかった。食事は村長の老妻が持ってきてくれるものを立ったまま食べた。廃屋を臨時工房に改装し、精錬した魔石と鉄を組み合わせ、骨格を作り、関節を設計し、魔力伝達の経路を刻んだ。指が五本、動く。手首が曲がる。肘が折れる。
人体の構造と、魔力回路の理論と、前世で読んだ義肢工学の論文の断片を、アリシアは一点に集中させた。
三日目の夜明け前、完成した。
「つけてみてください」
クラウスは無言で左肩に装具を嵌めた。金属と魔石でできた義手が、断端部に固定される。魔力経路が体内の魔力と接続される瞬間、クラウスの顔に微かな緊張が走った。
それから。
指が、動いた。
一本ずつ。ゆっくりと。まるで本物の腕を取り戻したように、クラウスは手のひらを開いて閉じた。
アリシアは黙って見ていた。
クラウスは長い間、その手を見つめていた。光の加減で、目が光っているように見えた。
「……痛みは」
「ない」とクラウスは言った。声が、かすかに震えていた。「二年ぶりに、ない」
「慣れるまで一週間ほどかかります。無理に負荷をかけないでください。調整が必要であれば——」
「アリシア様」
クラウスが、床に膝をついた。
アリシアは目を丸くした。
「私の残りの人生を、あなたに捧げます」
「……それは過剰では」
「過剰ではありません」とクラウスは言った。顔を上げると、その目は真剣だった。「この二年、私は職人として死んでいました。あなたは私を生き返らせた。これを恩と呼ばずして、何と呼ぶのですか」
アリシアはしばらく、答えを探した。
見つからなかったので、正直に言った。
「……では、働いてください。やることが山積みです」
「喜んで」
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一週間後。
ヴェルドラの空に、煙突が立った。
クラウスの指揮のもと採掘された鉄鉱石を、アリシア設計の簡易製鉄炉で精錬する。燃料は村周辺の廃材と魔石の補助熱。炉の温度は千三百度まで上がる。吹き込む空気の量を調節することで炭素量を制御し、軟鉄と硬鋼を使い分ける。
煙突から黒煙が上がった。
住人たちが、一様に空を仰いだ。
村に来て半月も経っていないのに、どうしてこんなことが起きているのか。理解が追いつかない顔で、しかし全員がその煙を嬉しそうに見ていた。
そこに、声が聞こえた。
「あの——っ!」
村はずれから、誰かが走ってくる。
十六歳ほどの少女。栗色の髪が乱れていて、頬に泥がついている。息を切らしながら走り込んできて、アリシアの前で急停止した。
「あなたがここの領主様ですか!」
「そうですが」
「私、リリアといいます! スキルは鑑定と収納です! 雇ってもらえますか!」
アリシアは少女を見た。元気が顔から溢れ出している。服は古いが清潔で、目がまっすぐだ。
「鑑定の精度は」
「Aランク素材まで品質と産地が出ます! 収納は上限なしです!」
「上限なし」
「はい! 今まで入れたもので一番大きいのは馬車です!」
アリシアは一拍おいて、言った。
「採用です」
「やったああ!」
リリアが飛び上がって喜ぶのを、クラウスが遠目に眺めて「賑やかになりますね」と呟いた。
「そうですね」
アリシアは煙突を見上げた。
黒煙が、夕空に溶けていく。
まだ始まったばかりだ。でも確かに——動いている。
【第2話・了】




