【第二話】覚醒
空気が変わった。
「制御ーー解除」
風が止まり、世界が一拍だけ沈黙し次の瞬間なんとも言い難い圧力がきた。
目に見えない重圧が四方へ広がり、窓のガラス片が一斉に砕け散り、日本の姿が変わる。
白を基調とした和服は、白と深紅の軍装へ変わり髪には旭日のような赤が差し、目は完全な紅へ染まる。だが刀は抜かれていない。代わりに、拳が握られている。今までの日本はそこにはもうなかった。
アメリカは笑っていた。過去の記憶と恐怖、興奮が同時に走る。
「……それだ」
喉の奥から、震えた声が漏れる。
「やっと来たか」
その存在は、日本自身が封じた過去。
戦争そのもの。
【大日本帝国――日帝】
「……来い」
日帝の声は短い。先程までの日本と同じく温度はないが、先程の日本とは似て非なるものだった。
アメリカはニヤリと笑った。
「言われなくても!」
グローブが最大出力へ近づく。
だがそれでも、もう遅い。日帝が踏み込んだ瞬間空間が消える。それくらい速かった。
次の瞬間には、日帝の拳がアメリカの腹部にめり込んでいた。
「……がっ!?」
アメリカの身体がくの字に折れ、衝撃が遅れて内側から爆ぜ、彼女は吹き飛んだ。
それでもアメリカは、倒れたまま笑っていた。
「……やっべぇ」
咳き込みながらも、彼女は立ち上がろうとする。
そこに日帝がゆっくりと近づくその歩みに無駄はない、迷いも、躊躇いもない。
「遅い」
短い一言、アメリカが舌を鳴らした。
「その言い方、ちょっと傷つくな」
「事実だ」
「日本より口悪くない?」
「日本じゃない」
その返答に、アメリカの青い瞳が細まる。
「……はは」
「何が可笑しい」
「いや」
アメリカは頬の血を拭う。
「本人も分かってんだなって」
日帝は答えず、再び踏み込む。
アメリカは全力で迎え撃つ。
防御。
射撃。
高速機動。
全てを瞬間的に入れ替える。だがそれも遅い。日帝はそれらを力でねじ伏せた。
防御の上から殴り、射撃を真正面から砕き、高速機動を上回る初動で懐に潜る。
「っ……!」
アメリカの肩に拳。
膝に蹴り。
顎へ掌底。
連撃のひとつひとつが重く、鋭く、無駄がない。だがそれは剣術ではない。言うなれば拳法だ。
軍勢と支配と圧倒を一つの身体で再現するような戦い方。
大東亜共栄拳。
かつて日本が封じた、もう一つの武の形。
「ぐ……」
アメリカは初めて明確に押されていた。グローブの装甲が軋み体勢を戻す暇もない。それでも、彼女は笑う。
「最高……!」
「狂ってるな」
「よく言われる!」
日帝の拳が頬を掠める。
アメリカはぎりぎりで逸らし、そのまま離脱しようとした。だが日帝はそれすら読んでいたように一歩先へ出る。
「逃がさない」
拳がアメリカの防御の上から叩き込まれその衝撃で彼女の膝が沈む。
「っはは……マジで、強ぇな……!」
「お前こそ」
「お、褒めた?」
「評価しただけだ」
「そういうの好き」
「変態か」
「戦闘に関しては否定しない」
会話が成立していること自体が異様だった。だが、この二人だからこそ成立するのかもしれない。
過去を背負う者と、未来へ突き進む者。
暴力を知り尽くした者と、暴力を使いこなす者。
互いに正反対で、互いに近い。
数度の激突の末、ようやくアメリカが後ろへ大きく跳んだ。
「……っはぁ」
呼吸が荒い、グローブの片方が火花を散らしている。
日帝はその様子を見て、わずかに目を細めた。
「もう終わりか」
「いやいや」
アメリカは息を整えながら笑った。
「終わってたまるかよ」
そう言って構え直す。だが、その構えにはさっきまでの軽さがなく変わりに明確な敬意と、警戒があった。
「お前、やっぱヤバいな」
「知ってる」
「知ってて封じてたのか」
「だから封じてた」
短い会話だがその言葉の重みに、アメリカは一瞬だけ黙る。
「……そっか」
「何だ」
「いや。ちょっと納得した」
「何を」
「お前が、あんな顔で戦ってた理由」
日帝は答えない。
答える必要もないと考えているようだった。
アメリカはふっと笑う。
「でも、それでも」
彼女はグローブを解除して、両腕をだらりと下げた。
「今日はこの辺にしとく」
日帝の眉がわずかに動く。
「逃げるのか」
「逃げるんじゃない。満足撤退」
「言い方を変えただけだろ」
「ニュアンスが違う」
「同じだ」
「厳し」
アメリカは苦笑し、それから日帝を真っ直ぐ見る。
「でも、本当に今日はこれでいい」
「理由は」
「これ以上やると」
アメリカは自分の胸を指差し、それから日帝を指した。
「お前も戻れなくなりそうだから」
その一言に、空気が少しだけ変わる。
日帝の紅い瞳が、ほんの僅かに揺れた。
「……」
「図星?」
「黙れ」
「はいはい」
アメリカは軽く両手を上げる。
「勝負預けでいいだろ? 今日は私の負け寄りの引き分けってことで」
「勝手に決めるな」
「でもお前も追ってこないじゃん」
それは事実だった。
日帝はまだ立っているまだ追撃もできる。
それでも一歩を踏み出さないのは、アメリカの言葉は正しかった。この姿は長時間してはけない。
「……失せろ」
日帝が低く言う。
アメリカはそれを拒絶とは受け取らずむしろ許可に近いものだと理解していた。
「また来る」
「来るな」
「無理」
「知ってる」
アメリカは笑う。
「じゃあな」
踵を返し、数歩進んでからふと立ち止まった。
「……なあ」
振り返らずに言う。
「何だ」
「お前、日本に戻ったら覚えてんの?」
少しだけ間があった。
日帝は答える。
「全部ではない」
「そっか」
アメリカは少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあ言っといてくれ」
「何を」
アメリカはそのまま空を見上げる。
「お前、めちゃくちゃ強かったって」
「……」
「あと、私はまだやる気だって」
「面倒だな」
「だろ?」
最後にそれだけ言って、アメリカは空へ跳んだ。光が噴き、金髪が空に溶ける。しばらくその軌跡を見ていた日帝は、やがて小さく息を吐いた。
その瞬間全身から力が抜け、赤が引いていく。
軍服が揺らぎ、白い和服へ戻る。
目の色も、髪の赤みも消えていく。
そしてそこに立っていたのは、いつもの日本だった。
「……っ」
膝が折れそうになる。日本は近くの鉄骨に手をついて、なんとか体勢を保った。
呼吸が苦しい。頭が重い。そして何より、妙な喪失感があった。
自分の中の何か大きなものが暴れて、また奥へ沈んでいった後の空虚。
「……嫌」
小さく呟く。
「最悪」
その言葉は誰に向けたものでもないり自分にか、過去にか、あるいは今の状況にか、自分でも分からなかった
戻った時、中国は壁にもたれて座っていた。
日本が近づいた瞬間、その金色の瞳が細まった。
「……戻った」
「戻った」
「ちゃんと?」
「一応」
中国はしばらく日本を見つめていたが、やがてほっとしたように肩の力を抜く。
「よかった」
「…そんなに信用ない?」
「あるけど、ない」
「どっち」
「両方」
中国は地面を軽く叩いた。
「座りなさい」
日本は素直に従う。
座った途端、張っていた糸がぷつりと切れたように全身の疲労が押し寄せた。
「っ……」
「ほら見なさい」
中国が呆れたように言う。
「無茶した」
「した」
「反省は」
「してる」
「えらい」
日本は少しだけ顔をしかめた。
「子供扱いしないで」
「今のあなたはちょっと子供っぽい」
「……そう?」
「ええ。だいぶ」
中国はじっと日本の顔を覗き込む。
「ねえ」
「何」
「何が出たの?」
日本は少しだけ目を伏せた。
「……昔の私、覚えてるでしょ。」
「それだけ?」
「それだけで十分でしょ」
「足りない」
中国は即答した。
「私はちゃんと知っておきたい」
「なんで」
「あなたの隣にいるから」
あまりにも自然に言うので、日本は返す言葉を失っただが中国は続ける。
「知らないままじゃ困るの。昔のあなたはどこまで落ちた。今はどこで止まるかも、私が見ておきたい」
「……ひどい言い方」
「優しい言い方にすると、あなたが壊れそうなら止めたい、ってこと」
日本はしばらく黙る。
中国は口元を少しだけ上げた。
「怖かったけど、強かった」
「褒めてるの?」
「半分くらいは」
「残り半分は」
「止めたくなった」
「正直」
「いつもでしょ」
日本は力なく息を吐いた。
「……ありがとう」
「何に対して?」
「戻ってきた時、普通に話してくれたこと」
中国は少しだけ目を丸くし、それから視線を逸らす。
「そんなの、当たり前でしょ」
「当たり前じゃない」
「私の中では当たり前なの」
その言葉に、日本はまた少しだけ救われた気がした。戦う理由は色々ある。
守りたいものも、背負っている過去も、それぞれ違う。けれど今この瞬間だけは、少なくとも一人ではないのだと思えた。そこへ、再び通信端末が鳴った。
今度は日本のものだけでなく、中国の端末も同時に。
二人は顔を見合わせ日本が先に応答する。
「……何」
返ってきた報告を聞くうちに、日本の顔からわずかな安堵が消えていく。中国も同じだった。
「EU方面」
二人同時に口にした。
「異常反応……増大」
日本がぽつりと呟き中国が低く言う。
「しかも、ドイツとフランスだけじゃない」
「イギリスも動いてる」
「嫌な予感しかしない」
「同感」
中国はベッドの上で小さく舌打ちした。
「よりによって今なのね」
「向こうも、何かが始まってる」
「でしょうね」
日本は立ち上がる。
さっきまでの疲労がまだ残ってるが立つしかない。
中国がその背中を見る。
「行くの?」
「様子だけでも見たい」
「私はまだ動けない」
「分かってる回復の時間は待つ」
「当然でしょ」
中国は少しだけ笑う。
「東の面倒女王としては、欧州の面倒も見ないとね」
「意味分からない肩書き」
「今つけたの」
「いらない」
「じゃあ“東の守護者”にする?」
「もっといらない」
そんな軽口を交わしながらも、空気は重かった。
日本は扉の前で立ち止まり、振り返る。
「中国」
「何」
「今度は、庇わなくていい」
中国は数秒、日本を見ていた。それから静かに言う。
「無理」
「なんで」
「あなたが前に出るから」
それはさっきと同じ答えだった。
けれど、今度はその意味が少しだけ違って聞こえる。
「……じゃあ」
日本は小さく息を吐いた。
「今度は私が、ちゃんと横も見る」
「そうして」
「努力する」
「その言い方だと不安しかない」
「ひどい」
「事実よ」
二人は少しだけ笑いあった。その笑いが消えた頃には、もう戦う顔に戻っている。
日本は仮拠点の扉を開ける。
仮拠点からはうっすら戦いの匂いがした。
欧州。
異常反応。
ドイツ、フランス、イギリス。
その中に、自分たちの戦いが飲み込まれていく未来が見えた。
「……また、始まる」
日本の呟きは、風に溶けるように小さかった。
けれど確かに、戦いの始まりを告げていた。
同じ頃。
欧州の会議室では、三人の少女がそれぞれ別の形で沈黙していた。
ドイツは資料を見つめている。
フランスは組んだ足を解き、窓の外を見ている。
イギリスだけが、ほんの少し楽しそうに微笑んでいた。
「日本が動いた」
低く、平坦な声が響く。銀髪の少女【ドイツ】が、資料を見下ろしたまま言った。
「完全に?」
白と青と金を基調にした軍服姿の少女が、椅子に浅く腰掛けながら言う。銀に近いブロンドを揺らし、足を組み替える。その仕草だけで気品と戦慄を同時に漂わせるのは、彼女が【フランス】だからだ。
「いや。記録上は“未完全”だ」
「それであの出力?」
「異常だ」
「面白いね」
ロングコートに手袋、紳士風の意匠を纏った金髪の少女【イギリス】が、窓際でくすくすと笑っていた。
「何が可笑しいの」
フランスが嫌そうに睨む。だがイギリスは肩を竦めた。
「止まってた国が、また拳を握ろうとしてる」
「だから?」
「歴史って、そう簡単に終わらないんだなって」
ドイツはその言葉に眉をわずかに寄せた。
「お前は時々、何を見ているのか分からない」
「全部だよ」
イギリスは窓の外を見たまま言う。
「全部見たい。全部繋ぎたい。全部、もう一回」
イギリスのその言い方は、狂気そのものだった。
歪んだ自己承認欲求。この国は自分が管理する側だと本気で思っていた。
その言い方に、フランスが背筋を薄く震わせる。
「……本気で言ってるなら、相変わらず最悪ね」
「ありがとう」
「褒めてない」
「知ってる」
欧州の空は、東アジアのものより重かった。雲の隙間から差す光は冷たく、どこか世界の裏側そのものみたいに見える。
その光の下で、確かに何かが静かに動き始めている。まだ形を持たない異常。
まだ名もない脅威。
だが確実に、それは近づいていた。




