異変、未知のため
都心の中でもここ天宮町は緑があるほうだ。
初めてこの町に訪れた人達は揃って線路沿いのラベンダー畑に目が行ってしまうが
他にも自然と触れ合えるような場所もある。
例えば公園。
住宅街の間を縫うように所々公園が乱立している。
遊具半分、自然半分といった具合の都会に埋もれた公園らしい公園だ。
伊達に中途半端に発展していない。
中でも駅から数分離れた場所に位置する公園は、ちょっとした森林公園かと見間違うほど
茂りに茂っている。
天宮町自然公園。
その敷地の半分近くが山林地帯となっており、昼間は野鳥の観察のため多くの愛好者が訪れる。
木立にはホトトギスの仲間のツツドリや、オオルリ、エゾビタキなどヒタキ科の鳥が見られる。
冬はツグミ科のトラツグミやシロハラ、ホオジロ科のミヤマホオジロなど多種の野鳥を見ることができるそうだ。
それだけこの公園一帯は都心とは思えないほど空気も澄んでいて自然の環境を保ってきている。
市長も重宝するこの町の隠れた観光スポットと言えよう。
ーーいつからか。
自然公園に訪れる客足が減少傾向にあった。
ー野鳥の観察時期の問題か?
いや、今は春真っ盛り。
花咲く梅の枝間を忙しなく動く小鳥ーメジロの愛らしい姿を捉えることが出来よう。
ーでは、なぜか?
その野鳥達が忽然と姿を消してしまったことによる。
誰が言ったか。
あの公園には魔物が出る、と。
特に夜は絶対に近づくな、と。
情報封鎖されていることだが、少し前から公園内で奇妙な事件が立て続けに発生していた。
犯人は不明。
そもそも犯人が何か、ということすらわかっていない。
野犬?ーー野犬であれば荒々しさが残るはず。現場には群れをなして暴れまわった痕跡はない。
猛獣?ーーそれも、ない。なかなかの大自然だが、熊はおろか猿すらも発見された事例はない。
じゃあ、人間か。
可能性は高いがあり得ない。
絶対とは言えないかもしれないが、道徳的に、倫理的に、常識的に、ない。
…上記の3つが揃ってしまうとやはり絶対という言葉を使わざるを得ないのだが。
今のところ有力な情報はなく、犯人候補としてはー笑うところなのかどうか微妙な内容だがーUMAではないか、とのことだった。
もちろんこの事件は報道されたわけではないので捜査班内での判定だ。
とは言え彼らもふざけて候補をそれとしたわけではない。
いたって真面目なのだ。
現場の状況とした照らし合わせた上で捜査対象を未確認生命体として調査を進める…。
実に馬鹿らしく、恐ろしい。
その感想は彼、この道一筋のベテランである特別捜査班長を務める山下課長が痛感している。
特に、前者。
元々この捜査案件というのは環境保護団体から被害届が出され、事件性を危惧した上で捜査機関が動いていた。
しかし、早々に第1次捜査は打ち切られ、緊急2次捜索として特別捜査班に明け渡されたのだ。
だが。
そもそも特別班とは、テロリストの私服調査や海外指名手配犯の追跡等重度の危険が伴う。
それが、何だ?
未確認生命体?UMA?
馬鹿馬鹿しい…。
何故スケジュールが数カ月先までびっしり詰められた中に、緊急優先任務としてこのわけのわからない捜査「ごっこ」をしなければならないのか。
用意されていた資料に目を通すのもほどほどに、彼は元のスケジュールに少しでも早く戻るため単身独断で下見調査へ向かうことにした。
時刻は0時。
天宮町に着任して20分と経っていない。
緊急で隊員よりも先に呼びだされ、終電であくびを噛み殺しながら到着したところ先の謎の資料を渡されホテル待機を指示されていたところだ。
地図は電車の中で暗記している。
多少賑やかな町並みを過ぎれば件の場所は見えてきた。
天宮町自然公園。
明らかに手のかかったプレートを認めるや否や、林のほうへ向かう。
公園の見取り図を見た限りでは、バードウォッチング向けのハイキングエリアと、屋根のついたベンチと広いグラウンドのあるピクニックエリアに分かれていた。
しばらく進むと、進入禁止の文字。
ここから先が所謂…UMAか。
どこにもぶつけようのないやるせない感慨を嘆息と共に漏らし、ろくに手入れもしていない髪を掻く。
彼の癖だった。
フラストレーションの排出。
部下からは不機嫌のサインとして重宝されていることは本人は知る由もない。
テープを払いのけ、奥へと進む。
つい最近まで人の手が入っていたのだろう。
しっかりと道は整備されている。
ふと、空を見上げる。
薄っすら雲がかかっているが、頭上に浮かぶ光源は欠けていないようだ。
「今日は、満月か」
昼夜仕事で各所を巡っている生活を続けていると、一般的な感慨を特別に感じてしまう。
ここに来るまでにいくらでも月を見る機会はあったのだが、気にもとめなかった。
「助かるな」
普段ならどうということはない。
ただ、今この場では道を明るく照らしてくれる存在は非常に有り難い。
標準装備として懐中電灯は持ちあわせているが、なにせ小型なため道中を任せるには心許ない。
いざというときにはもちろん、使うが。
とは言え今日のところはあくまでも下見だ。
資料にあった場所の近くをざっと確認できればまた後日改めることとする。
熊か野犬でも見つければその時点で上層部へ報告して、元のスケジュールに戻るだけ。
正直UMAだかなんだか知らないが迷宮入り確定案件に時間をかけるのは上策ではない。
木や草むらに注視しつつ先へ進む。
野生の生き物であれば必ずその環境に何かしらの痕跡が残る。
体を木に擦り付ける、草むらに糞をする、寝床の素材を集めている、など。
第1捜査班でもそういった知識や経験はあるだろう。
しかし見落としやそもそも新人が派遣されていた可能性もある。
決して慢心せず単純な作業であっても厭わない。
彼が班長たる所以だろう。
実際、彼に特別得意なことはない。
その分苦手とすることも少ない。
彼の同期には自身の長所を活かし、目まぐるしい成果を上げる者がたくさんいた。
ただ、揃って今は療養中だ。
その経緯はそれぞれだろう。
しかし共通していたのは、長所に頼りすぎていたこと。
つまり、慢心していたのが原因。
彼はその失敗を間近で見てきた。
また、彼にはそれらを謙虚に受け止める理解力があった。
結果としては何事も無理せず焦らず、安定した遂行力を評価された。
「…む」
突然、闇が差す。
見上げれば、濃い雲が満月を覆うところだった。
(しばらく月は開かないか)
密集した背の高い木々に囲まれているため、少し先であっても予測できないほど密度の高い闇がそこにある。
即座にライトを点灯し、懐の獲物に手を伸ばす。
(どうする)
見る限り手持ちのライトでも十分視界は確保できる。
装備はあと一つ。
護身用に持ってきた警棒。
彼ら特別捜査班はその名前から想像できないが、戦闘を前提とした部隊である。
1次捜査では侵しきれない領域を、2次的に強行捜査を執り行う。
そのため許可されれば銃器も扱う。
現在はまだ許可は降りていないが。
目測だと、資料にあった被害現場までは5分と掛からないはず。
ここまで来たら現場周辺の野生生物の痕跡も調べておくとしよう。
肚を決め細心の注意を払いながら前進する。
ー思えば。
この時点で彼は慢心していたのかもしれない。
一見なんの変哲もないこの場の、その異様さに呑まれて。
実際彼は気づいていない。
この山林地帯が一切の無音だということに。
この場には”生”の空気はそも流れていない。
先を塞ぐ闇よりも更に濃い”死”だけ。
何よりも安全を重視する彼が真っ先に感知するものだ。
草むらをかき分け怪しい部分にライトを照射する。
その目には妥協は全く感じられない。
手慣れた手つきで作業を繰り返す。
確認しては前へ。
確認しては前へ。
首を回し周囲を確認し前へ。
前へ前へ前へ。
何かに取り憑かれたかのように決まった動きを繰り返す。
月が心を惑わすのか。
自然が五感を狂わすのか。
明らかに山下は何かを期待している。
今までこんなことはなかった。
どう考えても自分は身を危険に晒している。
もちろんUMAなぞ信じるに値しない。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
全ての怪奇現象は言わばこれに帰結する。
いるわけないのだ、未確認生命体など。
思考に反して汗ばむ掌。
長年の勘が何かを知らせているのか。
一心不乱に、前へ。
事態に変化がないまま数分。
それは突如訪れた。
ライトが今まで違う光景を映し出す。
見慣れた物だ。
…ただひとつを除いては。
(鳥、だな)
鳥。
羽が有り尾っぽが有り、足が2本、指は3本。
鳥だ。
ただ、残るあとひとつさえあれば。
(首がない)
努めて冷静に状況を観察する。
血に塗れた肢体。
首から上は、引き千切られたような跡。
ソレに近づく。
断面にライトを当ててみる。
刃物で両断されたような綺麗な部分はなかった。
と、なると…。
(やはり野犬だろう)
無意識に止めていた呼吸を再開する。
知らぬ間に緊張していたらしい。
(まあ、そんなことだろうとは思っていたが)
現場の証拠写真を納めるためスマートフォンを取り出す。
ロックを解除しカメラモードに。
その際ふと画面上部の電波マークに目が行った。
圏外。
…圏外?
別段山奥ではないはず。
何か電波を阻害する要因があるのだろうか。
通常何か撮影した際には専用オンラインドライブにアップされ、撮影者、位置、時間が即座に本部に伝わるようになっている。
と言っても繋がらないものは仕方ない。
後ほど別途報告するとしよう。
スマートフォンをポケットにしまう。
(ん?)
スマートフォンの明かりで何か見えた気がした。
その方向へライトを向ける。
鳥、だ。
先ほどと同じような首のない鳥だった。
気が付かなかったがもう一つあったようだ。
こちらもカメラに納める必要がある。
ポケットを弄りながら近づく。
そして更にライトで視界が広がった。
大量の、鳥。
2つどころではなかった。
数えるのも億劫な程、そこには鳥の死体が敷き詰められていた。
奇怪だ。
さすがにこのような経験はしたことがない。
目の前にまるで公園中から集めてきたと言わんばかりの数を
皆同じ格好ー首なしの無骨な断面ーで並べてあるのを見せつけられたのだ。
正気でいろというのが無理な注文だろう。
今すぐにでもこの場から逃げ出し、誰かと他愛のない話をしたい。
あれ程退屈な現実に早く戻りたい。
人生でも数える程度しかないであろう感慨を胸に、しかし特別捜査班班長としての義務感が勝った。
スマートフォンを取り出し、写真をろくに確認もせずに数枚撮影する。
さあ、帰ろう。
あらんばかりの勇気を絞り切り、このイカれた場所を後にする。
ー否。
後にする、はずだった。
帰路に着かんと勢い良く振り返る。
そこには誰も居ないはずだった。
さっきまでは。
空に昇った満月はまだ雲に隠れて見えない。
恐ろしい程濃い木々の間の闇よりも更に濃く、ソレは佇んでいた。
ー佇んでいるのか?立っているのかどうかもわからないー
背格好は彼とあまり変わらないように見える。
ー本当にそうか?なぜかはっきりわからないー
否。否。
そんなことはどうでもいい。
そんなことはどうでもいい。
問題は今見ている光景がホンモノかということだけだ。
動けない。
声を出すこともできない。
鼓動の音さえも今は煩わしい。
信じられない。
あり得ない。
直立を維持できなくなり、思わず半歩下がる。
ザッ
その音はこの静寂に思いの外大きく関与した。
瞬間。
彼はソレと目が合う。
目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。
夥しい数の目と。
ソレの全身には小さな目が隙間なくついていた。
その全ての目が彼の姿を認める。
そして全身を大きくうねらせたかと思うと、
「ピギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイーーー」
冗談のように、その口から鳥類を思わせる鳴き声を発した。
「あァああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
走る。走る。走る。
何も考えられない。
時折草むらに足を取られながらも全力で駆けて行く。
怖い。怖い。怖い!
振り向くことなんてできない。
ただ感覚でわかる。
来ている。
追ってきている。
あの人型のわけのわからないモノが。
今自分がどこへ走っているかもわからない。
何も考えられない。
とにかくこの場から逃げーー
ふと衝撃を感じる。
奇妙な浮遊感があったかと思うと地面にうつ伏せになっていた。
吹き飛ばされたことに気づく。
地に伏して多少は頭が回ったか、懐の警棒に手を伸ばし立ち上がる。
一方的にやられるくらいなら立ち向かい、そのうえで逃げるチャンスを窺う。
警棒を地面に向けて振るう。
伸びきった感触を手に感じ、前方に構える。
相変わらず目の前のソレの正体は窺い知れない。
しかしうまくいけば生け捕りにする。
腹を決める。
尋常じゃないスピードで迫るソレとの距離は6m弱。
頭を狙い、振り上げる。
残り2m。
振り下ろす。
見事狙い通りの位置に殴打。
よし、と気絶するほどの一撃の感触を感じるーーことはなかった。
彼が迎え撃つ選択をしたのは正しい。
足では敵わないからだ。
その反撃が成功するかどうかは別としても、望みはあるだろう。
しかし、行動に移すのが遅かった。
いや、厳密にはもっと前。
帰り道にソレがいた時に逃げた方向。
奥の方に進んでしまったことがまずかった。
膝から崩折れる山下課長。
正確には、だったモノ。
静かな山林地帯に響く咀嚼音。
頭蓋を砕く音だ。
倒れ伏す彼の背後で顎ーと思われる部位ーを動かすもう一体のソレ。
そう、敵は一体だけとは限らない。
冷静に帰り道に回り込んでいれば、或いは。
周囲の鳥達と同じ末路を辿らなくて済んだのかもしれない。
ー結果。
第2次捜査は決行されることはなかったという。
着任早々行方不明になった山下課長とこの事件性を直接紐付けたのかどうかは定かではないが、どちらかというと捜査をする必要性がなくなったためというのが正しい。
自然公園には野鳥が戻ってきた。
環境保護団体も今後は今まで以上に現在の環境を良くし、野生生物が住みやすい環境をキープすると声明していた。
が、というのは後々のお話。
実際なぜ、野鳥が戻ってきたか。
それは元凶が絶たれたからに他ならない。
山下が絶命した直後、その場には異形のソレ2体だけとなった。
外殻たる頭蓋骨を荒々しく噛み砕き、中身の脳みそと目玉を丁寧に掬い取る。
ソレらはその部分を欲していたようだ。
事実寝そべっている身体には目もくれない。
咀嚼中はどことなく恍惚とした表情のように思えた。
突如として、空気が震える。
それはまるで春一番。
思いもしない方向から突風が吹く。
風たなびく草むらに、咀嚼していた顎ごとソレの首が落ちた。
突風が来たのではない。
何かが来て突風が後に起きたのだ。
突然のことに残されたもう片方は全身の目を忙しなく動かし周囲を見ている。
狼狽えているのだろうか。
イマイチ喜怒哀楽の色は読み取れない。
さっきは急すぎてわからなかったが、今度また現れたら首を落とされる前に食べてやろう。
臨戦態勢に入り猛る。猛り狂う。
それは仲間を失ってのことか、戦いへの興奮か。
ーしかし。
その時にはもう既に勝敗は決していた。
光が見えた。
そしてソレの胸にはナイフが生えていた。
否。
投擲されたナイフが胸に刺さったのだ。
木に背を預けていたことが災いし、この刃物で木に縫い付けられた格好となる。
とは言え胸を射抜かれたぐらいなんともないのだ。
こんなものすぐに抜いてしまえばー。
ソレがナイフに手を伸ばす前に、気づけば目前に迫った何者かの獲物は引き抜かれ、ついでにと言わんばかりにもう一閃、光が迸った。
斜めに裂かれた首がズレる。
切れ味が良いのか、切り口が鋭いのか。
獲物が傷口を通り抜けてから首が落ちるまでタイムラグがあったようだった。
最後にソレが見たのは雲を抜けた満月と、得体のしれない機械を手に言葉を話す少女の姿だった。




