こうして彼は黒色の階段を上った
これは昔に集めたガラクタ。
でも磨くしかない。
次の日、約束通りエリックはやってきた。僕を見つけてうれしそうな笑顔を浮かべた彼に対して昨日何度も練習した言葉を告げる。
「今日は見せたいものがある。ついてきて」
「楽しみだな」
エリックはそう言って天使のような笑顔を浮かべる。本当にきれいな男の子だな。
連れてきたのは、教会の屋上。町中を見渡せるくらい高い場所。
ずっと前に詩織に教えられた場所だった。僕だったらいつでも自由に入っていいよとまで詩織は言ってくれた。
ここにエリックを連れてきたのは、ある計画を実行させるためだった。
ここからの景色はきれいだ。町の少し遠いところまで見渡せる。
そしてこの部屋は、窓さえ閉めてしまえば叫び声はどこにも届かない。
つまり誰かを誘拐するのにピッタリの場所だった。
エリックは窓から見える景色を気に入ったみたいで、熱心に窓から眺めていた。
そんなエリックにそっと近づき素早く手を縛り上げる。すぐに窓を閉め、側においてあった紐で彼の足もしっかり縛り上げる。
エリックは悲鳴をあげるのも忘れていたようで青ざめてガタガタ震えていた。
おかげで思っていたよりも計画が上手くいった。
「ど、どうしてこんなことをするの?」
彼は泣きそうな声でそう言った。
「ごめんね。僕は君を誘拐した」
「お金が欲しかったの?僕の家はお金もちだから大丈夫だよ」
「欲しかったのはお金じゃない」
用意していた受話器をとる。シャドウ・ブラウンの電話番号を書いてある紙を手に取ったが手が震えた。
不意に弱気な気持ちになってしまう。自分のしようとしていることが怖くてたまらなくなった。
やっぱりやめようかな。計画を実行したって詩織は帰ってこない。
受話器を床に置きかけた僕に対してエリックが無邪気に尋ねてくる。
今、彼の頭では誘拐ごっこでもしている気分になっているのだろう。
「パパに恨みでもあるの?まあパパなら当然かもしれないけど」
当然……彼は僕のことを知っているのだろうか?それともシャドウは悪い人間なのだろうか?
「君にとってお父さんはどんな人?正直に答えて」
「パパは、悪い人だけど優しいよ」
「悪い人?」
「うん。パパは今までいっぱい人を殺してきた。数えきれないほど人を殺してきた。
かっこいいでしょう。僕のママもかっとして怒ったパパに殺された。いい人も悪い人もいっぱい殺した。
だから僕はお金持ちになれた。欲しいものは何でも買ってくれる優しい人だよ」
それを聞いて僕は決心がついた。
シャドウ・ブラウンを殺そう。
迷いはもうなかった。
彼の連絡先は知っている。
震える手で紙に書いてある番号を一つずつ押していく。
もうここまで来たら後戻りはできない。もう一人の自分がそう言っている気がした。
電話はつながった。しっかりしろ、詩織を思い出せ。
詩織はあいつに殺された。
「も、もしもし。浅野 純也です」
「ああ、君か。私は子供の遊びにつきあうほど暇じゃない」
殺意以外の感情を排除しながら受話器の向こう側にいる相手に向かって告げる。
「もしも僕の言った通りに行動できなければあなたの息子であるエリック・ブラウンをすぐに殺します」
「……そんな冗談やめろ、生意気なガキが」
「冗談じゃありません。エリックはここにいます」
「すぐ返してくれ。悪いが私は」
僕の言葉を本気に受け取らない相手に怒りを覚えて思わず大きな声で言ってしまう。
「僕は、詩織を殺したあなたを絶対に許しません」
「……」
「この計画が失敗したらエリックを殺して自分も死ぬつもりです」
それは半分嘘だった。エリックは殺すつもりは一切なかった。
エリックの口元に受話器を当てのど元にカッターナイフを近づける。
「ギャー。パパ、怖いよ。助けて!僕、このままじゃ殺される」
五、六歳の子供だけあって、刃物を向けられた恐怖のあまり泣き叫んでいる。
青い瞳から涙がボロボロと落ちていく様子はとても美しかったが、胸が痛んだ。
「この人頭がおかしいよ。狂っている。早く助けてよ!」
エリックは青ざめながら父親に助けをこう。
ごめんね、こんな怖い思いをさせて。
どうしても詩織の仇をうちたかった。
窓から双眼鏡を使えばシャドウ・ブラウンのいるマンションが見えた。
僕は、再び電話を自分の耳に当てた。
すると先ほどとは違って焦ったようなシャドウの声が聞こえた。
「エリックは無事か。ケガをしていないか?あの子は素晴らしい子だ。傷一つつけないでくれ。頼む、私にはあの子が全てだ」
「僕にも詩織が全てだった」
僕は冷たく彼にそう告げた。
「どうすればいい?お金だったらいくらでもあげる。どんなものだって買ってあげる。絶対に君を訴えたりしないから。悪いようにはしないから早まってバカなことはしないでくれ」
頭に浮かぶのは、裁判中に『あんな風に飛び出す女の子がバカだ』と詩織をバカ呼ばわりしていたこいつの声。もう優しさなんて捨てろ。こいつは悪い人間だ。
「僕の願いはただ一つ。あなたが今すぐ死ぬこと」
あなたが決心するまでエリックの爪を一枚ずつ剥いでいきましょうか?」
「……エリックは……自慢の息子だ。
頼む、絶対に傷つけないでくれ」
泣きそうな声。しかしどこか嘘泣き臭いようにも聞こえる。
「私が今すぐピストルで自分を撃って死ぬ。それでいいだろう」
こいつはきっと死んだふりをする気だ。ピストルの音さえ出せば子供なんてすぐに騙されると思っている。
「あなたはマンションの屋上かベランダから飛び降りてください。
僕は今あなたのいるマンションが見える位置にいます。
とても高い所です。あなたが飛び降りなかったらエリックを窓から放り投げます」
「わかった。屋上へ行く、少し待ってほしい」
ためらいのない声に逆に不安が湧き上がっている。まさか……僕のいる位置がばれたか?少なくとも時間稼ぎをしている可能性がある。
ドクリ、ドクリ、ドクリ……。
上手くいきすぎているような気がして不安が湧き上がってくる。
「一分以内に屋上へ行ってください。
じゃないとエリックの背中をカッターナイフで切りつけます」
エリックの喉ものにナイフを突きつけながら受話器を彼の口に当てる。
「パパ、こいつ本気だよ。怖いよ、助けて。僕はまだ死にたくない」
エリックは泣きながらそう言った。
こいつが怖がりでよかった。おかげで計画は順調に進んでいく。
双眼鏡を除くと彼の姿が見えた。何人か人がいる。全部で四人だ。
「屋上に全部で四人の人がいますね。あなた一人だけになってください」
「そこまで見えているのか……」
絶望的な声が受話器の向こう側から聞こえた。双眼鏡からは彼の顔まではっきりと見えた。
彼の部下らしき人がいなくなって、シャドウ・ブラウンは屋上に一人でたっている。
あれは間違いなくシャドウ・ブラウンだ。
僕は、彼を許したい気持ちと憎む気持ちで押しつぶされそうだった。
今になって少しずつ迷いだした。
シャドウは、屋上からぼんやりと町を眺めていた。
彼は今何を考えているのだろう?詩織のことを少しは反省しているのだろうか?
詩織の魂に謝れば許してあげることにしようか?
「エリックにケガはないか」
エリックはさっきから窮屈そうに縛られた手を動かしている。それを見ていい考えを思いついた。
「……今のところきつめに紐で縛られているので手が赤くなっているだけです」
これは嘘だった。手は少しも赤くなっていない。けれども『何もない』というと僕には人を物理的に傷つける勇気がないことがばれてしまうのが怖かった。
「息子に愛していると伝えておいてほしい」
「わ、わかりました」
そう僕が言ったとたんシャドウ・ブラウンはためらいなく屋上から飛び降りた。
その潔さを見て『待ってください。生きて』と思わず言ってしまいそうになった。
けれどもあっという間に彼は落ちていく。
受話器も屋上から落ちたみたいでツーツーツーと電話が終わる音がした。
彼も人間だった。誰かを愛している一人の人間だった。
悪魔でも化け物でもなく一人の人間を僕が殺した。
もう後戻りはできない。
一気に罪悪感と後悔が押し寄せてくる。
僕は詩織の笑顔を思い出しながらうずくまって泣いていた。
そういえば詩織は僕がちょっとしたいたずらをしたときにこう言っていた。
「悪いことをしたら神様におこられちゃうよ」
彼女はそう言って僕の額に軽くデコピンをした。
僕は人殺しをした。詩織が知ったら怒るだろうな。
彼女は、人殺しは悪いことだと言っていたから。
きっと詩織には嫌われてしまったな。
もう死のう。
死んだら詩織に会えるかもしれない。
窓を開ける。春の風が温かくて気持ちよかった。ここから飛び降りたら死ぬだろうな。
ふと詩織のかわいらしい声が蘇る。いつだったか彼女はこんなことを言っていた。
「あなたには音楽の才能があるわ。
いつかきっとプロのミュージシャンになるの。
そしてあなたの音楽をみんなが好きになるの」
詩織の野に咲く可憐な花みたいな笑顔が頭に浮かぶ。
どうして一番歌を歌ってあげたい人はもうどこにもいないの?
それでも僕は……。
まだ死にたくない……。
死ぬのが怖い。怖くてたまらない。
そんなふうに死ぬのをやめる僕を見て金髪の少年が冷たく微笑んだ気がした。
一一〇番に通報して自首した一か月後、僕は懲役一一年を言い渡された。
二十歳になるまで刑務所で過ごすことになった。
両親からは縁を切られた。
読んでくださりありがとうございます。




