純也の涙
文学の世界に溺れていたい。
僕の周りに僕より劣っている人間は一人もいない。
僕の周りに僕より失敗した人間は一人もいない。
僕の周りに僕よりも〝かわいそう〟な人は一人もいない。
きっと僕の気持ちは誰にもわからない。
自分よりも下である人間がいるということは慰めになる。
ああ、あいつほど終わってないからよかったと自分を励ますことだってできる。
だけど……誰もいない。
みんな僕とは次元が違うんだよ。
だから、比べたらいけない。
比べたら胸が痛くなるだけだ。
何度その言葉を繰り返してきただろう。
もう何がおもしろく何がつまらないのかわからなくなってきた。
同じことの繰り返し。
ただそれだけ。
ただただ繰り返す。みんなが僕に求めているものが提供できるように。
何が素晴らしくて何が残るものか何が認められるかわからないまま繰り返す。
そんな日々を送っていた時に由良さんに出会った。
彼女はとても性格が悪くて、素直な人だったけれども、僕をみんなと同じように見てくれた。そのことがとても嬉しかった。
その目がもうすぐ僕を軽蔑する目になると思うと胸がいたかった。
悪いのは自分だ。
そんなことわかっているのに。
そうだ、わかっていた。
みんなが心の中で僕をバカにしていることくらい。
由良さんは、約束通り来た。
沈黙が訪れる。
この空気を壊したくて質問してみた。
「由良さんには友達がいたんですか」
彼女は目を閉じて首を振った。
そして目を開いてからどこか寂しそうな口調で語り始めた。
「私にはいつもゴリラがいた。嫌なゴリラだったけど……いつも側にいてくれた」
ゴリラ……。これは比喩なのか本物のゴリラのことを指しているのか?
……とりあえず人間とゴリラの両方に共通することを言っておけば問題ないだろう。
「え、じゃあ今度そのゴリラに僕からバナナをあげようかな」
「……こんなひどい暴言初めて聞いた」
「え?」
それから、しばらくとりとめもない話をしたが未だに自分の秘密を告白する勇気はなかった。
知らないということはなかったことにならない。
しゃべらないということもなかったことにできない。
もっと由良さんの隣にいたかった。
「ごめんなさい」
僕はいつでも土下座をできるように膝を床につけた。
「まさか、あなた結婚詐欺でもたくらんでいたの?でも、私あなたに一円たりともお金をあげていないけど」
僕は、もう地面に頭をつけた。由良さんの顔を見る勇気がなかった。
「僕は……オタクです。引きこもりです。友達もいません。家族に捨てられました」
顔だって全然かっこよくない。
由良さんだって僕をホームレス呼ばわりしていたし……。
ずっと一人で生きてきた。
こんな奴と結婚したい女なんて誰もいないだろう。
「それがどうしたの?私はそんなこと気にするような女じゃないわ」
ドクリ、ドクリ、ドクリ。
心臓が大きな音を立てる。
……泣きそうだ。これほどオタクの理想である女はいないだろう。
けれども……それだけではなかった。
「僕は……人殺しです。九歳の時に人を殺して二十歳になるまで刑務所に入っていました」
ところが僕に信じられない言葉が降ってきた。
「で、だから何?」
「へ?」
「刑務所から出て音楽活動をしてお金持ちになったのね。それは間違ってないでしょう」
「はい」
反射的に返事をしてしまったが間違ってなかった。
「で、あなたの言いたいことはたったそれだけ?」
……あなたは僕が嫌いですか……。そんな質問をしようとしても口が開かなかった。
「納得した。普通に育ってそれだけ変だったらその方がおかしいから」
……どうしてこんなことをスルーしてくれるのだろうか。
由良は、オルゴールよりももっと美しい声ではっきりと言った。
「私は純也がどんな人間であってもいいのよ。あなたにお金さえあれば」
なんていいセリフだろうと思った。……最後の一言がなければ。
こんなに素晴らしい言葉聞いたことがない。
最後の一言がなければ、どんないいセリフもこの言葉には勝てないだろうと思った。
こんなに胸が熱くなったのはあの初めてコンビニに入ったとき以来だ。
刑務所から出て初めて入ったコンビニエンスストアで出る時に『どうもありがとうございました。またのご来店をお待ちしています』って言われてこの僕にこんなに温かい言葉をかけてくれるなんてと感動のあまり泣きそうになったとき以来だ。
まあ、その後あれはただの社交辞令だと知ってショックを受けたけれども。
僕が真実を言った後、彼女が同情や優しさで僕と結婚してくれようとしても断るつもりだった。由良さんには、もっと素敵な人と結婚して欲しかった。
……でも……問題視されなかった。……嘘だろう……。
優しかった両親でさえ『もう俺たちに関われないでくれ。お前を生んだのは間違いだった』って言って僕を見捨てたのに……。
どうして由良さんはこう言ってくれるのだろうか。
天使のような詩織ですら、これ以上の言葉は言えなかっただろう。
何か温かい言葉を言ったとしても、彼女の人間味のない天使すぎる優しさは僕を傷つけたかもしれない。
だけど……この少女は……。
涙があふれてくる。男なのに情けないな。
目から洪水のような涙があふれてくる。
今までせき止めていた感情が心に広がっていく。
どうしてこの少女は平然とこんな大事なことを受け流せるのだろうか?
僕を〝普通の人〟と同じように扱ってくれる人なんてもういないと思っていた。
目の前にいた少女が天使に見えてくる。
生きていてよかった。
こんな感情、今まで知らなかった。
読んでくださりありがとうございます。




