ときたまシリアス、ほとんど笑い
バイト先から帰る時のことだった。
聞いたことのないようなかっこいい声で誰かが叫ぶ声がした。
こんなかっこいい声は初めて聴いた。
「詩織!」
思わず声のする方を向くと、絶対に知り合いではない男性が私の方へ駆けつけてくる。
安そうなジーパンに白いTシャツ。ボロボロになった服。痩せこけている頬、白い肌。
もう少しおしゃれをすればイケメンの部類に入れるかもしれないが、少しやせすぎている気がした。
筋肉なんてたいしてなさそうな細長い手。細マッチョともいえなくはないけど。
切羽詰まった目がまるで助けを求めているようだった。
顔は死体のように青ざめていて、生きていることが奇跡なくらいひょろひょろとした感じの男だった。
ホームレスみたいだな。きっともうすぐ死ぬだろう。
それが彼の第一印象だった。
彼はいきなり私に嵐のような勢いで話しかけてきた。
「ずっと会いたかった。どうして生きている?君は、ずっと前に死んだはずなのに」
何で初対面の男にこんな失礼なことを言われないといけないのか。
私は生きている人間なのに。
持っていたバックで相手の顔を殴りつける。これは正当防衛だ。知らない人が私になれなれしく話しかけてくるから悪い。
「あなた誰?」
そんな私の質問を無視して彼は情熱的に私に語りかける。
「詩織。僕は君に会うことをずっと生きる支えにしてきた」
「私には由良っていう名前があるのよ。悪いけど、人違いじゃない」
「……でも……詩織にそっくりだし……。
そうだ。生きていたら詩織と同じ年かもしれない。あなた何歳ですか?」
「初対面の女性に年を聞くとか失礼すぎ。そういうあなたが何歳なの?」
彼は真剣に考えだした。
「何歳だっけ」
……。この人はヤバい人間かもしれない。これ以上近づかない方がいい。
まあ見た目がすごく弱そうだからいざとなったらぶん殴って逃げればいいだけだと思うけれど。
「人を死人扱いするな。私にあなたみたいなホームレス系の知り合いなんて一人もいない。話しかけるな、この寄生虫。腕つかむな、エロおやじ!」
男は魂が抜けた顔をして立ち続けた。少し言い過ぎたかな……。
私は悪くない。
「あ、あなたは詩織じゃない。詩織がそんな恐ろしいことを言うはずがない」
よかった。ようやく納得してくれたみたいだ。
そして彼は私を化け物みたいに見てこう言った。
「こんなに性格が悪い人には初めて会った。きっと人間じゃない」
「それはこっちのセリフよ!いきなり人を死人扱いするなんて失礼すぎる。
もう二度と関わらないで」
きっぱり言い切って足早に去っていこうとした背中に声がかけられた。
「待ってください、由良さん。人違いをしてごめんなさい」
そうか。だけど私は謝るつもりもないし、仲良くなるつもりもない。
彼は必死に走りだしたが、あまりにも遅いため私の歩きに追いつかない。
「うわあ」
純也はこけたがまた起き上がって走り出す。
……小さい子供を見ているような気分になってきた。
私は少し歩く速度を落とした。このままマンションまでついてこられたら困るし。
「あの……僕は、由良さんと知り合いになりたいです」
熱心に私に話をかけている。まるで助けを求めているかのように。
「はあぁ。どうして?」
「なんとなく。僕は、純也と呼んでください」
「私はあなたと知り合いになりたくない。以上話は終わりよ」
彼はただ人違いをした。
それでこの話は終わるはずだった。
けれども……純也は意外と粘り強かった。
次の日も彼は現れた。この男……暇人なのか……?
「由良さん。会いたかったです」
「私があなたをどう思っているか教えてあげようか?」
「はい、ぜひ言ってください」
純也はどんなことを言われてもあなたの言葉ならいいですとでも言うように覚悟を決めたらしかった。
私は純也にきっぱりと告げる。
「生理的に気持ち悪い」
この言葉を言われると自殺するとか、トラウマを背負う人もいるみたいだけどこの人はもとから死にそうな顔をしているから関係ないよね。
相手をここまで気遣うなんて私ってばなんて性格がいいんだろう。
しかいこの言葉を聞いても純也は腕組みをしてちょっと考えてからこう言ってきた。
「それってどういう意味ですか?」
「……」
この人は……ある意味幸せな人間かもしれない。
人の気持ちに敏感な人間よりも、鈍感な人間の方が受ける苦しみはきっと少ない。
「あ、純也」
「すいません。もう一回名前を呼んでください」
「な、何なの。バカ!私を口説こうとしているつもり?」
「名前を呼ばれたのが久しぶりで」
……友達がいないのだろうか。
「今までは何て呼ばれていたの?」
「……フンドシ」
なんてインパクトのあるあだ名だろう!
いじめられていたのだろうか。まあ……いかにも『いじめてください』というような顔をしているからしょうがない。
「どうしてそんな変なあだ名をつけられたの?」
「……すもう大会で……」
「優勝したの?」
こんなへなへなのしなびたたくわんみたいな腕で……。
すごい。奇跡って本当にあるのか。
「……いえ。フンドシが大きすぎたみたいで……試合中にハラリと」
「うぁぁぁぁ。もうしゃべるな、それ以上しゃべったら犯罪行為だからね。刑務所行きよ!」
静寂が訪れた。
そんな夜の美しい静寂を打ち破るように純也がしゃべりだした。
「そういえば、由良さん今日は温かそうな〝ぼうおんタイツ〟をはいていますね」
「ぼうおんタイツ……。
音を防ぐ防音という言葉は、あっても防温という言葉はあまり聞いたことがないんだけど……」
「防温タイツという言葉はちゃんと存在します」
こ、この男に常識力で負けた……。
しかし、この言葉は本当なのだろうか?わからない……。
その日は、しばらくしゃべってから別れた。
次の日も、裏口を出た途端いきなり話しかけられた。
「僕はストーブではない」
人間はストーブにはなれない。
「あ、間違えた。僕は、ストーカーではない」
「さようなら。私、明日からもうここには来ないの」
「どこへ行くの?」
……この男……ついていくつもりなのか……。
大体私が彰の申し出を受けたのは、この怪しげな男が話しかけてくるからということもあるのだ。
「あなたは、私の友達でも家族でも下僕でもないでしょう。そんな人にどうしてそんなことを教える必要があるの?」
ここで純也は大人しく引き下がると思っていた。ところが彼は私の想像をはるかに上回る変な奴だったらしい。
少し考えた彼は真面目な顔で言ってきた。
「……じゃあ、結婚しよう」
何が〝じゃあ〟なの?こいつの頭は本当におかしいのかもしれない。
私、生まれてから一度も告白とかされていないのに、それをすっとばしてプロポーズをされた。これは誰かを騙すという〝ドッキリ〟だろうか。
「はあぁ。え、ちょっと待った。あなたって私のこと好きなの?」
「……正直に言うと、由良さんみたいに性格が修正不可能なくらい悪く、思いやりの精神の欠片もなく、自己中心的な女の子は全くタイプではないです」
この人、本当に私と結婚したいのだろうか?
プロポーズをしているというより喧嘩をうっているようにしか見えない……。
「だいたい、私があなたと結婚して何の得があるって言うのよ」
彼は真剣になって考え始めた。がんばっている。こういう努力は報われないものだ。
「……うーん。由良さんは、毎日僕の子守歌を聴いて眠れる」
純也は真剣な顔で名案を思い付いた子供みたいにそう言った。
小さい子供みたいに〝僕を褒めて〟的なキラキラした目で私を見てくる。意外と子供っぽいな。
「ばかにしているの?この年で子守歌……。ふざけるな!」
「え……。本気だけど。自分のアピール……。ああ、そうだ。あれを使おう」
純也は、深呼吸をしてから話し出した。
「僕は昔からひっこみじゃわんで、他人としゃべることが苦手でした。けれども」
「引っ込み思案よ」
彼はしまったという顔をしたが、気を取り直したようにしゃべりだした。
「面接のときはスルーされたのに……」
「面接のときのスピーチをプロポーズに使わないでよ」
彼は困ったように私の顔を見た。
さすがにもうネタが尽きたか……。残念だけどそろそろ帰ることにしよう。
ところが純也は手をポンとうってしゃべりだした。
「ああ、そういえば僕はお金持ちだった」
「どう見てもお金持ちには見えない」
詐欺をしたいならせめてまともな恰好をするべきだと思う。ボロボロの靴からは今にも靴下が見えそうだった。
「本当に、お金持ちだよ。僕は、アイドルだから」
冷たい風が二人の間を通り抜ける……。
この人はどこか精神的な病気があるのかもしれない。
純也のぶっとんだ言葉が私の頭で何度もリプレイされる。
こんな予想外の答えを言ってくるとは思わなかった。
「あなたが……アイドル……。私には明日死ぬかもしれないホームレスにしか見えない。
あなたがアイドルになれるくらいだった大仏だって歌って踊れるアイドルになれるわよ。
そんな嘘で私は騙されたりしないわ」
そんな私に彼はとんちんかんなことを言い出した。
「……僕は、アイドルだから大仏も歌って踊れる時代になったということか」
「あなたがアイドルのわけがないって言っているの!」
「でも、CDはミリオン余裕で超えました」
「それは、きっとあなたの脳内で」
「でもちゃんといっぱいお給料をもらいました」
「それもあなたの脳内で」
「僕は〝J・S〟という名前で歌手をやっているけど」
「嘘だ!」
……知っている。日本一どころか世界トップレベルの歌手だ。顔写真や経歴などはいっさい公開していないがその圧倒的歌唱力と表現力と魅力的な声で世界が誇るスターとなっている。
普通、一人の歌い手でここまでCDを売る人間はいないけれども、J・Sだけは圧倒的な実力ゆえにCDの売り上げは余裕でミリオンを超えている。その辺の国民的なアイドルグループ以上の売り上げを誇っている奇跡の歌い手だ。
実は、私も全てのCDを持っていたりする。
純也は、かなりイケボだった。声は似ている。でも、きっとこれは詐欺の手口だ。
私はその辺のバカ女と違って騙されたりしない。
「じゃあ、歌いなさいよ」
命令口調でびしっと彼にいってやる。
「こんなところで?」
「こんなところでプロポーズをしたのはあなたでしょう」
常識のあるまともな人間ならこんな路上でプロポーズしたりなんかしない。
聞こえてきた光の粒のような音に耳を疑った。
ああ、なんてきれいな声だろう。この世のものとは思えない美声。なめらかで人間とは思えない。
これほど美しいものを私は他に知らない。
その音に、メロディーにひきこまれていく。
本物だ……。
CD以上にきれいだった。
『実は僕は人間ではなくて悪魔だ』って言っても信じられる気がした。
純也の歌声は完璧だった。完璧すぎるくらい完璧だった。
「でも、〝J・S〟なら性格が悪いはずよ。もっとナルシストで、他人の悪口ばかり言っている奴だってみんなが噂している。ブログがあまりにもひどすぎて炎上してしまったらしいし」
「僕にもその理由がわからなくって。少し有名なアーティストのCDで音がずれていたとか、この曲はあの歌のパクリっぽいとか、人生について思うこととか、この歌詞はこの歌と同じとか書いただけなのに……」
そうか……。そういうことだったのか。謎はすべて解けた。
「あなたみたいな人をK・Yっているのよ」
「KYKYKY………。ああ、吉田 兼好のことか」
こういう奴を真のK・Y〔空気読めない人〕というのだろう。
「すごいわ。あなたには人に嫌われる天性の才能がある」
「ほめないでください。その才能なら由良さんにもあると思う」
「死ね!……あのさ、どうして私なの?」
私にプロポーズする物好きな男性なんてこの世に存在しないと思っていた。
「世の中には、私よりももっときれいでかわいい子なんてたくさんいるじゃない」
「……なんとなくゆらさんがいいと」
……はいそうですか。もう少しましな回答を期待した私がバカだった。
「僕でもいいと少しくらいは思ってくれましたか?」
……。
性格は残念すぎる。しかし純也にはお金がある。
彼は私の前にひざまずいた。
そして私の方に向かって右手を差し出す。
神様から与えられたこの世で最も美しい声で私に語りかける。
「僕は、あなたに音楽を捧げます。だから僕と結婚してください」
ようやくまともな言葉を発した。
その時、脳裏にある一言が蘇った。
『……由良を好きになる男なんていないと思うけど』
昔……彰が私に言っていた。
私だって……結婚くらいできる。
結婚くらいしてやるわよ。
私は彼の手に自分の手を重ねた。
「感謝しなさい、この私に。純也と結婚してあげるわ」
次の瞬間純也がやっぱり後悔したように青ざめた。何か問題でもあるのだろうか?
「ほら、だって純也って早死にしそうだし生命保険金だって手に入るかもしれないし。
覚悟しなさい。私があなたを不幸にしてあげる」
そんな風に結婚の決意を固める私に対して純也は青ざめた顔で呟いた。
「やっぱり……結婚はできない」
なんて失礼な奴だ。地獄に落ちてしまえばいい。
「……僕は、一つ言い忘れていたことがあった。とても大事なことを……。
由良さんがあまりにも普通に接してくれるから少しだけ忘れてしまった
んだ」
「だけど……もしも僕があのことを言っても……結婚してくれたら……。でも……」
なんだかもういらいらしてきた。
「結婚したいの?したくないの?」
「したい」
よかったね。したくないって言っていたら、私は一発殴っているところだった。
「じゃあ、男だったらごちゃごちゃ言わないで今度会うまでに指輪を買っておきなさい」
「あ、はい、あ、でも……」
彼は何かを言いたそうな瞳で私を見た。けれども次の瞬間絶望的な表情で下を向いてうつむく。……なんか殴りたくなってきた。
「私は疲れたから帰る。あなたの話は今度聴く。金曜日の午後六時にこの場所」
そう言って彼とさよならした。




