対の指輪・2
いよいよ終わりです。
「……大丈夫か? ……」
私を気遣い、呼び掛ける声……良く知っている声だ。頭が、頭の奥が痛む。なぜだろうか?
目をゆっくり開けると、見慣れた顔が有る。良く知っている顔。だが……
「ああ、指輪はここに有る。君の分はほら、いつもの様に左の薬指に」
君? え? ああ? 病院?
「君がとっさに僕をかばったお蔭で、僕は殆ど無傷だったけれど、君のけがは酷かったんだよ。僕だけ生き残ったって意味無いじゃないか。置いて行くなって、幾度も思った」
あ、こんな言葉、確かに聞いた覚えがある。同じ顔をしているけれど、あの時はこの顔にしっかり髭が生えていたっけ……
「スルギ! スルギ! 私を置いて行くのか。私だけが生き延びても、生きる意味など無いに等しい」
うん。確かにこんな感じだった。私、あの人に何て言ったんっだけ……「生まれ変わっても、こうして睦まじく」……後、なんだっけ……大事な言葉だったはずなのに……
「この指輪って……」
「ハネムーンでお隣の国に行った時に、骨董屋で買った物じゃないか。昔は貴族の女の人が指に二本重ね付けしたみたいだって説明を聞いて、君も僕も何だか急に欲しくなって買ったんだよ。忘れちゃった?」
「とてもきれい。これ、梅の花よね」
「ルビーと真珠で紅白の梅の形を表現しているんだよね。真珠も結構珍しいけれど、このルビーが指輪の出来た当時は、大変な貴重品だったみたいだよ……どう?……思い出せそう?」
「何も。でも、この指輪の元々の持ち主の事、知ってる気がする」
「実はね、僕もなんだよ。君の手術の間、ものすごくリアルな夢だか幻だかを見たよ」
「髭生やしてなかった?」
「僕が?うん……生やしていた。隣の国の時代劇みたいな恰好で、叫んでたよ、必死で」
「スルギ、って呼ばなかった?」
「ああ。そういえば、そうだ。何だろうね、あれは。夢を共有したのかな?」
優しい夫は「明日出勤するまで、ずっとここに居る」と言ってくれた。どうやら私は交通事故に逢った後、病院に運び込まれて、かなり長い間集中治療室に入っていたらしい。今日難しい手術をして、それが成功して、意識を取り戻した。そういう事の様だ。
病室の付添人用のベッドで眠る夫の顔は、良くなじんだものだった。でも、どういう訳か髭の生えた顔の方がより馴染んでいるような気がしてしまうのだ。
「おはよう」
いつの間にやら、朝の回診時間だった。
「すごくリアルな夢を見たんだけど……私」
「僕も見たよ。スルギって君を呼んでいる夢」
半年後、私は退院した。どうやら子供は居ない。私は記憶障害に陥っていたが、夫は優しく、愛情深く、不安は何もなかった。前世、あるいは前々世の記憶のかけらは有ったが、どれもあいまいで、はっきりしなかった。ただ、この指輪の元々の持ち主はスルギで、かつての私であった存在だと言う事。
それだけは、おそらく確かだった。
「また、あそこの店に行ってみよう」
夫はハネムーンでかつて訪れたと言う隣国の首都に、私を伴った。そして空港から直接、その店を目指した。
大きなホテルからほど近い場所に立つ、あまり大きくは無い店。中には王朝時代の家具と骨董品が、まるでかつてのこの国の貴族階級の邸の一部のような感じで置かれている。
「何だか……物凄く懐かしく感じる」
とても良く知っている物たち……そんな気がする。
夫は流ちょうにこの国の言葉を話したが、私には一言もわからなかった。ただ、白髪で銀縁メガネをかけた店の御主人の言葉は、意味が分からないのに、妙に知っているような、不思議な感覚が湧いた。
「スルギと、その夫である王様の眠る墓に行ってみよう」
夫がお店の御主人に教えられた話によれば、何代目かの王様が自分のお妃をスルギと呼んで、大層大切にしたのだとか。スルギは王子を三人産んで、その子孫は今もこの国に住んでいるらしい。
「スルギが亡くなって、ちょうど丸一年目に王様が死んで、長男が次の王となった。二人の弟たちは兄を良く助けて、この国は空前の豊かで平和な時代を迎えた」
タクシーに乗って、芝生を張った公園の様な所に来た。
「ほら、ここがスルギと呼ばれた中宮と夫の輝祖が仲良く一緒に眠る墓だ」
輝祖? 初めて聞いた。やっぱり、歴史が変わったのだ。
巨大な土饅頭を幾つもの大きな石版で周りを囲って有る。その土饅頭の前には馬や跪く文官・武官の石像がズラッと列をなして並んでいた。そして、大きな石の亀が背負った石版には被葬者の二人の称号が刻まれている。
「ほら、仁聖恭孝至誠興徳大王っていうのが輝租のおくり名で、中宮は仁徳文武福徳淑烈王后って言うんだ。この女性のおくり名に武だの烈だの入ってるのが風変りだし、夫と同じ文字数っていうのも例外的な事らしいよ」
夫の王様が妻の葬式を仕切るのも例外なら、その喪が明けた途端に後を追うように王様が亡くなってしまったのも前代未聞の出来事だった。息子たちは、二人を是が非でも同じお墓に入れなくてはいけないと感じたらしい。
「へええ。でもなんでスルギって呼んだのかしら?」
「ええとね、この案内板によると、賢い妻を王様が親しんでそのように呼んだんだってさ」
歴史のゆがみ?
さあ、どうなったのだろうか?
「伊藤博文って、どうなったんだっけ、最後は」
「ん? 急にどうしたの?」
「いや、急に気になったの」
「百歳近くまで、枢密院かなんかで粘ったんじゃなかったか? 日本は植民地なんて絶対持たない方がいいって、死ぬまで言って頑張ったんだろ? 金がかかるのに儲からないし、恨みを買うだけだって言ってさ」
「あれ? ハルビンで何か、事件なかった?」
「ああ、あったな。暗殺未遂事件。あそこで伊藤博文が亡くなっていたら、この国と日本は随分困った事になっただろうね。軍部が暴走したかもな」
へええ、日帝三十六年は……存在しないのか……
「どうやら歪みの訂正に成功しましたね。では、あとは平和で穏やかな暮らしを十分に楽しみなさい」
頭の中でそんな声がして、今まで頭の中にモヤモヤと残っていたものが全て晴れた。
この話は、また後日、別のアングルで書き直しをしてみたいななどと思っています。
こちらの方も、誤字脱字の御指摘など、頂けましたら大変ありがたいです。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
光祖という名前じゃあ、実在の人物チョ・ガンジョの漢字表記の趙光祖に被るじゃないかと思い至りまして、3月6日に輝祖と直しました。輝宗じゃあ独眼竜の父上だし……また変更するかもしれませんが、一応、今はこうしておきます。