第八話「セルヴァの二度目の訪問と、黄金揚げの罠」
引き継ぎお楽しみください
セルヴァが二度目に来たのは、最初の訪問から五日後だった。
今度は一人ではなかった。
同じ小ぎれいな身なりの男を二人連れていて、三人でテーブル席に座った。連れの二人は無口で、愛想笑いさえしない。体格がいい割に存在感を消すのがうまく、護衛というより監視役に近い雰囲気だった。
俺は厨房から、さりげなく三人を観察した。
セルヴァは相変わらず笑顔だ。今日は前回より少し余裕がある。値踏みの視線ではなく、すでに計算が済んだ人間の目をしている。
(話をまとめに来た、ということか)
ゼノフさんに目配せすると、ゼノフさんはにこにこしながら三人のテーブルに近づいた。
「いらっしゃい、何にしますか」
「どんぶりを三つ。それと、揚げ物も」
「はいはい、少々お待ちを!」
ゼノフさんは厨房に戻ってきて、俺の横で小声で言った。
「来たね」
「はい。今日は話をしてくるつもりだと思います」
「わかった。俺が対応する。トウヤくんは厨房にいてくれ」
「ゼノフさん一人で大丈夫ですか」
「大丈夫だよ。二十八年やってきた店だからね」
ゼノフさんはにっこりと笑った。
俺は頷いて、料理の準備に入った。
どんぶりと揚げ物を出してから、しばらくして。
セルヴァがゼノフさんを手招きした。
「少しよろしいですか、ゼノフさん」
「はいはい」
ゼノフさんはカウンターから出て、テーブルの横に立った。
俺は厨房で手を動かしながら、耳を澄ませた。
「単刀直入にお話しします」
セルヴァの声が聞こえてくる。
「我々ベルク商会は、この街の優良な飲食店と提携関係を結んでいます。提携していただければ、食材の安定供給、集客のサポート、そして売上の一定保証を提供できます」
「ほうほう」
「この店の評判は耳に入っています。特に最近、料理の質が上がったと聞きまして。我々と組んでいただければ、もっと大きな商いができる」
「大きな商い」
「そうです。今は七、八卓の小さな食堂ですが、我々の支援があれば、この街を代表する食堂にもなれる。投資もします」
ゼノフさんの返事が聞こえた。
「……それは、どういう提携ですか」
「看板に我々の商会名を入れていただく。食材はすべて我々から仕入れる。売上の二割を手数料として納めていただく。それだけです」
「なるほど」
ゼノフさんの声は穏やかだった。
「売上の二割というのは、毎月ですか」
「そうです。ただ、我々のサポートで売上自体が上がりますから、実質的な負担は感じていただけないと思います」
「食材はすべて、御社から?」
「そうです。品質は保証します」
「値段は?」
「市場価格と同等です。ご安心を」
しばらく間があった。
「……一つ聞いていいですか」
「何でも」
「提携を断った場合は、どうなりますか」
空気が、かすかに変わった。
セルヴァの笑顔は崩れなかった。
「もちろん何もありません。我々は強制するつもりは一切ございません」
「そうですか」
「ただ——」
セルヴァは少し間を置いた。
「この街の流通は、少しずつ変わっています。以前と同じ仕入れ先が、今後も使えるとは限りません。そういう意味では、早めにお決めいただいたほうが、ゼノフさんのためになるかと」
それは脅しだった。笑顔で包まれた、柔らかい脅しだった。
ゼノフさんは少し間を置いてから、穏やかに言った。
「ありがとうございます。よく考えてみます」
「いつまでにご返事をいただけますか」
「一週間、いただけますか」
「もちろん。ではまた一週間後に」
セルヴァは満足そうに頷いた。
三人が帰り際、セルヴァは厨房の俺に目を向けた。
「料理人の方、腕がいいですね」
「ありがとうございます」
「我々と組めば、もっと大きな舞台で腕を振るえますよ」
俺は笑顔で答えた。
「嬉しいお言葉ですが、今のこの店が好きなので」
セルヴァはにっこりと笑って、扉を出た。
三人が完全に見えなくなってから、店内の空気が緩んだ。
ハンスが「なんか、嫌な感じの男だったな」とぼそりと言った。ヨハンも「同意」と頷いた。エレナさんは本に視線を落としたまま、静かにページをめくった。
ゴルドは何も言わなかったが、三人が来てからずっと、エールを一口も飲んでいなかった。
俺はゼノフさんの横に立った。
「どうしますか」
「断るよ、当然」
ゼノフさんはあっさりと言った。
「ただ、一週間もらったのは、少し準備をしたかったからだ」
「準備?」
「トウヤくん、グレイくんに頼んでいた仕入れルートの件、どうなっているかい」
「明後日、話を聞きに行く予定です」
「急いでもらえるかい。断った後、すぐに仕入れを止められる可能性がある」
「わかりました」
俺はゴルドのほうを見た。
「ゴルドさん、ラドク隊長に話が通せますか。今日のやりとりを」
「今夜、会う機会がある」
「お願いします」
ゴルドは静かに頷いた。
翌朝、俺はグレイに会いに行った。
場所はグレイが指定してきた、街外れの小さな倉庫だ。
中に入ると、グレイはすでにいた。テーブルの上に、いくつかの書類が広げてある。
「早かったな」
「急ぎの事情ができました」
グレイに昨日のセルヴァの話をすると、グレイは黙って聞いた。
「一週間で動く気か」
「そう思います」
「仕入れルートの件は、ほぼ目処がついている」
グレイはテーブルの書類を一枚取り上げた。
「西の農村に、ベルク商会と取引のない農家が三軒ある。肉は東門の外に独立した猟師がいて、そこから直接仕入れられる。海藻と干し魚は、俺の取引先から卸せる」
「値段は」
「市場価格より少し高いが、安定性がある。ベルク商会に抑えられる心配がない」
「わかりました。ゼノフさんに話します」
グレイは書類を折り畳んで俺に渡した。
「それともう一つ」
「はい」
「ベルク商会が、お前を狙っている可能性がある」
俺は少し驚いた。
「俺を?」
「ゼノフの店が最近変わったのは、お前が来てからだと、連中も把握している。店ごと抑えるより、料理人を引き抜くほうが早いと考えてもおかしくない」
「……昨日、セルヴァが俺に声をかけてきました」
「そうだろう。断ったか」
「当然です」
グレイはしばらく俺を見た。
「なぜ断った」
「ゼノフさんの店が好きだからです」
「それだけか」
「それだけです」
グレイは何も言わなかった。
ただ、フードの奥の目が、わずかに和らいだように見えた。
「……そうか」
店に戻ると、珍しい顔が来ていた。
ルルちゃんだ。
いつもより少し遅い時間で、目が赤かった。
「ルルちゃん、どうしたの」
ゼノフさんが膝をついてルルちゃんの目線に合わせた。
「……お花屋さんが、困ってるの」
「どうして?」
「お花を仕入れてる人が、来なくなったって。お父さんとお母さんが、心配そうにしてる」
俺はすぐに察した。
ベルク商会だ。
花屋も、流通を抑えられたのかもしれない。
「ルルちゃん、お父さんとお母さんはお店にいる?」
「うん」
「後で俺、挨拶に行っていいかな」
ルルちゃんは少し考えてから、こくんと頷いた。
「……ゼノフおじいちゃんも来る?」
「もちろん!」
ゼノフさんは立ち上がって、厨房に向かった。
「まずアヒルクッキーを焼こうか。ルルちゃん、一緒に作るかい?」
ルルちゃんの顔が、少しだけほころんだ。
昼過ぎ、ゼノフさんとルルちゃんが作ったアヒルクッキーを袋に入れて、俺はルルちゃんの両親が営む花屋に向かった。
花屋は「満腹あひる屋」から二軒隣にある、小さな店だ。色とりどりの花が並んでいるはずの店先が、今日はいつもより寂しかった。
中に入ると、三十代くらいの夫婦が帳簿を広げていた。
「あの、満腹あひる屋のトウヤです。ルルちゃんからお話を聞きまして」
夫婦は顔を上げた。
「ああ、ゼノフさんのところの……」
「少し、お話を聞かせてもらえますか」
話を聞くと、やはりベルク商会だった。
花の仕入れ先だった農園が、一週間前から突然納品を止めた。理由は教えてもらえず、別の仕入れ先を探しているが、この街周辺の農園はほぼベルク商会と契約済みで、手が打てないでいるという。
「うちだけじゃないんです」
母親が疲れた顔で言った。
「近所の八百屋さんも、薬草屋さんも、同じことになってて……みんな困ってます」
「どのくらいの店が影響を受けていますか」
「私が知っているだけで、五、六軒は」
俺は少し考えた。
(一軒ずつ個別に対応するより、まとめて動いたほうがいい)
「少し時間をください。一人で動くより、みんなで動いたほうが解決が早いかもしれません」
「でも、何ができるんですか」
俺は正直に答えた。
「まだわかりません。でも、一つずつ手を打てば、必ず道はあります」
夫婦は少し不安そうだったが、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
店に戻ると、ゴルドが来ていた。
昨夜ラドク隊長に会った話を聞かせてくれた。
「ラドクは把握していた。商会の動きは衛兵隊として調査中だが、証拠が薄い。ただ、今回の流通妨害については、商業規制の観点から動ける可能性があると言っていた」
「動いてもらえますか」
「証拠を集める必要がある。影響を受けている店の状況を、文書でまとめてほしいと言っていた」
「わかりました。今日だけで五、六軒の話を聞きました。明日から回ります」
「俺も一緒に行く」
「ゴルドさんが?」
「俺の顔を見れば、話しやすくなる奴もいるだろう」
それはつまり、怖くて断れない、ということだと思うが——俺は黙って頷いた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。どんぶりをもう一杯くれ」
夕方になって、リンが久しぶりに現れた。
「なんか、街がざわついてる」
カウンターに座りながら、リンは麺を注文した。
「ベルク商会の話、広まってきてるね。旅人の耳にも入ってくる」
「街の何軒かが、仕入れを止められています」
「うちも来た?」
「昨日来ました」
「で、断ったんだろ」
「当然です」
リンはふっと笑った。
「お前、いいな」
「何がですか」
「迷わない。俺はこういう時、いつもぐるぐる考えすぎて動けなくなる」
俺は少し驚いた。
「リンさんが?」
「意外?」
「少し」
リンは麺をすすりながら、静かに言った。
「俺が旅をしてるのもさ、ある意味逃げてる部分があるんだよね。一か所に留まると、面倒なことに巻き込まれる。だから動き続ける」
「……故郷には帰れないと言っていましたね」
「うん」
リンはそれ以上は言わなかった。
「でも」
「はい」
「この街には戻ってくる。この店があるから」
俺は何も言わなかった。
言葉より、次の麺の準備をするほうが、今は正しい気がした。
その夜遅く。
閉店後、俺は厨房の隅のテーブルで、紙に街の店の名前を書き出していた。
被害を受けている店。仕入れルートを変えられる可能性がある店。ラドク隊長に提出する証拠資料として使えるもの。
頭の中で、いくつもの線が繋がっていく。
ベルク商会の狙いは、この街の流通を丸ごと抑えることだ。一軒ずつ個別に締め上げて、選択肢をなくして、従わせる。
でも——
(一軒ずつバラバラに対応していたら、各個撃破される)
前世でもあった話だ。大手チェーンが地域に進出してくる時、個人店が一軒ずつ対抗しても勝てない。でも、複数の店が協力して動けば、話は変わる。
(この街の店が、横に繋がることができれば)
俺はペンを置いて、少し考えた。
今すぐ動けるのは、ゼノフさんの店だ。グレイが手配してくれた仕入れルートがある。他の店にも、同じルートを使ってもらえないか。
コストを分散すれば、一軒あたりの負担が下がる。ベルク商会に依存しなくても済む店が増えれば、商会の圧力は弱まる。
(共同仕入れ、という形にできるかもしれない)
前世でいう、商店街の共同組合に近い発想だ。
この世界にそういう仕組みがあるかどうかはわからない。でも、仕組みがないなら作ればいい。
俺はもう一度紙に向かって、考えを整理し始めた。
「トウヤくん、まだ起きているのかい」
ゼノフさんが二階から降りてきた。
「また遅くまで考えているね」
「すみません、少し思いついたことがあって」
俺は紙をゼノフさんに見せた。
ゼノフさんは丸眼鏡を押し上げながら、静かに読んだ。
「……共同仕入れ?」
「この街の独立した店が、一緒に動けば、ベルク商会の圧力に対抗できると思います。仕入れを一本化するだけでなく、有事の時に情報を共有する仕組みも作れれば」
「でも、そういう話をまとめるのは大変だよ。みんな、それぞれに事情があるから」
「そうですね。だから——」
俺は少し間を置いた。
「ゼノフさんに、取りまとめ役をお願いできませんか」
ゼノフさんは目を丸くした。
「俺が?」
「ゼノフさんはこの街で一番長くやっている食堂主です。みんな、ゼノフさんのことを知っている。俺が話すより、ゼノフさんが声をかけたほうが、みんな集まりやすい」
ゼノフさんはしばらく、紙を見ていた。
「……俺は、料理しかわからないよ」
「だから、俺が横にいます」
ゼノフさんはゆっくりと顔を上げて、俺を見た。
丸眼鏡の奥の目が、柔らかく細まった。
「……トウヤくんは、本当に面白い子だね」
「面白いですか」
「異世界から来た子が、この街のことをこんなに一生懸命考えてくれている。俺の女房が見たら、きっと喜んだと思うよ」
俺は少しだけ胸が詰まった。
「……ゼノフさん」
「わかった、やってみよう。俺が声をかける。トウヤくんが考えを整理する。二人でやれば、なんとかなるだろう」
「はい」
「ただし!」
ゼノフさんは人差し指を立てた。
「何があっても、飯の質は落とさない。それだけが俺の条件だよ」
俺は迷わず答えた。
「当然です。それが一番大事なことです」
ゼノフさんはにっこりと笑った。
「じゃあ、決まりだね! はっはっは!」
アヒルの看板が夜風に揺れていた。
明日から、少し忙しくなる。
でも俺の胸の中には、不思議と落ち着いた熱があった。
前世でバイトリーダーとして、何度もピンチの現場を回してきた。人が足りない時、食材が足りない時、クレームが来た時——どんな時も、まず「今できることを一つずつ」やっていけば、なんとかなってきた。
ここでも、きっと同じだ。
(一つずつ、やっていく)
俺は紙を丁寧に折り畳んで、明日のために厨房の棚にしまった。
「満腹あひる屋」の夜は、静かに、でも確かな熱を帯びながら更けていった。
次回もお楽しみに




