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満腹あひる屋へようこそ! ~元バイトリーダーは異世界でも厨房に立つ~  作者: 膝栗毛


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第四話「黄色い魔薬と、カツ乗せ革命」

引き継ぎお楽しみください

試作は、夜明け前に始めた。

 他の誰もいない厨房で、俺はスパイスの瓶を一列に並べた。十二本。それぞれの香りを確かめながら、頭の中で配合を組み立てていく。

 前世の記憶を辿る。

 全国のカレーを食べ歩いた日々。北の濃厚なスープカレー、南の甘みの強いルウ、スパイスを何十種類も重ねた本格派の一皿。どれも違う顔を持っていて、でも根底にある「体が喜ぶ感覚」は共通していた。

 異世界のスパイスは、前世のものと完全には一致しない。でも「役割」は似ている。辛みを出すもの、香りを立てるもの、深みを加えるもの、甘みをまとめるもの——その組み合わせの理屈は、どこでも変わらない。

 俺は少量ずつ、乳鉢で粉を合わせ始めた。


 一時間後。

 鍋の中で、黄色い煮込みがゆっくりと煮えていた。

 牙猪の肉と根菜を炒め、スパイスを加えて、水と甘醤で伸ばして煮込む。シンプルな工程だが、スパイスの香りが熱を通すことで何重にも重なり、厨房の空気を全部塗り替えていく。

 ゼノフさんが降りてきたのは、ちょうどその頃だった。

「おや、今日は……」

 鼻をひくひくさせて、立ち止まる。

「……なんとも不思議な匂いだねえ」

「スパイスの煮込みです。今日の試作品です」

「色が……黄色いね」

「はい」

「……毒は、入っていないかい」

「入っていません」

 ゼノフさんは恐る恐る鍋を覗き込んだ。どろりとした黄色い液体の中で、肉と野菜が柔らかく煮えている。

「一口、食べてみますか」

「……うん、まあ、トウヤくんが作ったものだからね」

 ゼノフさんはおそるおそる匙を取り、一口。

 咀嚼。

 また咀嚼。

 目が、ゆっくりと大きくなった。

「……」

「どうですか」

「……辛い」

「はい」

「辛いんだけど……」

 もう一口。

「……止まらないね、これ」

 それが、「黄色い魔薬」と後に呼ばれることになる料理との、最初の出会いだった。


 昼前にゴルドが来た。

 今日は珍しく、入ってくるなり厨房のほうをじろりと見た。

「……今日は変わった匂いがするな」

「新しいものを作りました。食べてみますか」

「何だ」

「スパイスの煮込みです。麦飯にかけて食べます」

 ゴルドは少し眉を寄せた。

「……黄色いやつか」

「見えてたんですか」

「匂いでわかる」

 それはそれで鼻が良すぎる気もしたが、俺は黙って器を用意した。

 麦飯をどんと盛り、黄色い煮込みをたっぷりとかける。湯気が立ち上り、スパイスの香りが広がった。

 ゴルドはしばらく器を眺めていた。

「……見た目が、物騒だな」

「一口だけ食べてみてください」

「……」

 長い沈黙の後、ゴルドは覚悟を決めたように匙を取った。

 一口。

 咀嚼。

 動きが、止まった。

「……」

「……ゴルドさん」

「……辛い」

「はい」

「辛いのに——」

 ゴルドの眉間に、深い皺が刻まれた。怒っているのではなく、何かを必死に理解しようとしている顔だ。

「——次の一口が、勝手に動く」

「それです」

「なんだこれは」

「スパイスには、そういう力があるんです」

 ゴルドはもう一口。また一口。

 しばらくして、ぽつりと言った。

「……これに、カツを乗せろ」

 俺は思わず笑いそうになるのを堪えた。

「昨日そう言ってましたね」

「乗せられるか」

「できます。少し待ってください」


 漬け込んであった爆発鳥を揚げながら、俺はゴルドの器を横目で確認した。

 もう半分近く減っている。

(ちゃんと食べてる)

 最初の壁を越えれば、あとは勝手に進む。それがこの料理の恐ろしいところだ。

 揚げたてのカツを、俺はざっくりと切り分けた。煮込みの上に、どさりと乗せる。

 カツに煮込みが染み始め、衣がほんの少しだけとろりとする。その瞬間に持っていくのが、肝だ。

「お待たせしました」

 ゴルドは黙って受け取り、カツを一切れ食べた。

「……」

「……ゴルドさん」

「……黙れ」

 それは怒っているのではなく、集中しているときの顔だと、俺はもう少しで理解できそうだった。

 ゴルドはカツをもう一切れ食べ、煮込みを一口飲み、麦飯を匙でひとすくいした。

 それから、ゆっくりと顔を上げた。

「トウヤ」

「はい」

「お前は……何者だ」

 俺は少し考えて、答えた。

「ただの、料理好きです」

 ゴルドはしばらく俺を見てから、「そうか」とだけ言って、器に向き直った。


 問題が起きたのは、それから一刻ほど後のことだった。

 昼の混雑が落ち着き始めた頃、見慣れない三人組が入ってきた。

 革鎧に身を包んだ、二十代前半くらいの男たちだ。冒険者風の装いだが、どこかざわついた空気を連れてきた。

「おっさん、何か食わせろ」

 先頭の男——金髪で、顔に古い傷のある——がカウンターに肘をついた。

 ゼノフさんはにこにこしながら「はいはい、今日のおすすめは——」と言いかけたところで、男は鼻をひくつかせた。

「……なんだ、その匂い。薬草でも煮てるのか?」

「新しい煮込みですよ、スパイスを使った——」

「スパイス?」ともう一人が鼻で笑った。「魔法使いの飯屋じゃあるまいし、変なもん食わせるんじゃねえよ」

 店内が、少し静かになった。

 エレナさんが本から目を上げた。ハンスとヨハンがちらりと顔を見合わせた。

 俺は厨房から黙って様子を見ていた。

 ゼノフさんは変わらず笑顔だったが、その目の奥が少しだけ真剣になった。

「まあまあ、一口食べてみてからでもいいじゃないですか。美味しいものは食べてみないとわかりませんよ」

「いらねえよ、そんなもん。普通の肉と黒パンを出せ」

 ゴルドが、ゆっくりと振り向いた。

 男たちは気づかなかった。

「大体この店、入ってきたら変な匂いがするし、客も妙な奴ばかり——」

「おい」

 ゴルドの声は静かだった。静かだったが、それだけで店の空気が変わった。

 男たちが硬直した。

 ゴルドは椅子を引いて立ち上がった。鎧を外した今日の姿は、確かに細身だ。だが身長と、肩の厚みと、その立ち方が——並の戦士でないことを、一目で伝えていた。

「ゼノフさんの店に文句があるなら、外で言え」

 静かで、淡々とした声。

 男たちは互いの顔を見合わせた。先頭の男が一歩引いたのは、ほんの数秒のことだったが、それで全てが決まった。

「……っ、別に、大したことは言ってねえだろ」

「そうか。ならいい」

 ゴルドは座り直して、また煮込みに向かった。

 男たちはしばらくもぞもぞとしてから、結局「普通の肉と黒パン」を注文して、静かに食べて帰った。


「ゴルドさん」

 男たちが出ていってから、俺はゴルドの隣に立った。

「ありがとうございました」

「礼はいらん。ゼノフさんの店で騒ぐ奴が嫌いなだけだ」

 ぶっきらぼうな答えだったが、その前にゴルドはちらりと俺の顔を見た。

「お前の料理を馬鹿にされた気がしたのもある」

 俺は少し驚いて、それから「ありがとうございます」ともう一度言った。

「だから礼はいらんと言っている」

 ゴルドは素っ気なく言いながら、煮込みをもう一口食べた。

 カウンターの端で、グレイが串焼きを食べながら静かにこちらを見ていた。目が合うと、すっとフードの向こうに視線を戻した。

 ゼノフさんは厨房から「まったく、せっかくの新メニューの日に、はっはっは!」と笑い飛ばしていた。


 夕方近く。

 意外な方向から、事態が動いた。

 あの三人組が、戻ってきたのだ。

 先頭の金髪の男が、一人で。

 さっきとは明らかに様子が違う。肩をやや丸めて、視線を泳がせながら入ってきた。

「……あの、さっきは」

 ゼノフさんがにこにこと迎えた。

「まあまあ、また来てくれたんですね! 何にしますか?」

「……その、さっきの黄色いやつ」

 男は言いにくそうに、でもはっきりと言った。

「食ってみたい」

 ゼノフさんは「はいはい!」と即答した。

 俺は厨房で、静かに器を用意した。

 男は隅の席でしばらく器を眺めてから——一口食べた。

 咀嚼。

 また咀嚼。

 少しして、「……なんだこれ」と男はぼそりと言った。

 怒った声ではなかった。

 俺は厨房から黙って、その器がきれいになっていくのを見ていた。


 その夜。

 片付けを終えて、俺は厨房の椅子に座っていた。

 今日だけで、煮込みは昼の分が完売した。カツ乗せの追加注文が三件。エールは昨日に続いてまた増えた。ゼノフさんは「たっはっは!」を十回以上言った。

 でも、俺の頭にあったのは別のことだった。

(この街は、どんな場所なんだろう)

 来てまだ三日しか経っていない。わかっていることより、わからないことのほうがずっと多い。

 この店に来る客だけを見ても——冒険者、重戦士、司書、花屋の娘、吟遊詩人、闇商人、石工、大工。これだけ違う立場の人間が同じ食堂に集まる街というのは、いったいどんな場所なのか。

 ゴルドはこの街を「拠点の街」と言っていた。冒険者や傭兵が仕事の合間に逗留し、商人が立ち寄り、職人が住み着く、そういう性質の街らしい。

 ということは——

(いつか、もっと外から人が来るかもしれない)

 そうなった時、この店にできることは何か。

 俺はぼんやりと、でも確かな輪郭で、一つの絵を思い描いていた。


「トウヤくん、まだ起きているのかい」

 ゼノフさんが厨房の入り口に顔を出した。

「すみません、考え事をしていました」

「何を考えていたんだい」

 俺は少し迷ってから、答えた。

「この店を、もう少し大きくしたいと思っていました。……勝手なことを考えてすみません」

 ゼノフさんは目を細めた。

「大きく、というのは?」

「席数ではなくて——来た人が、もっとここに来たくなるような仕掛けを増やしたいということです。料理の種類とか、食べ方の選択肢とか、あとは——」

 俺はちょっと言葉を選んだ。

「この店の雰囲気が、外にもっと伝わるといいと思っています。美味しいだけじゃなくて、来ると落ち着ける場所だと、知られていくと」

 ゼノフさんはしばらく俺を見ていた。

 それから、ふわっと笑った。

「トウヤくんは、面白いことを考えるねえ」

「ご迷惑でしたか」

「迷惑? とんでもない!」

 ゼノフさんは丸眼鏡を押し上げながら言った。

「この店をね、俺は長いこと一人でやってきたよ。でも俺には、料理を旨くする才能はあっても、こういうことを考える頭がなかった。だからトウヤくんがそんなことを考えてくれているなら——」

 ゼノフさんは静かに、でもはっきりと言った。

「存分にやってみてくれ。この店は、俺とトウヤくんの店だ」

 俺は少し、胸が詰まった。

「……ありがとうございます」

「礼はいらんよ。それより明日の仕込みをしっかり頼むよ、はっはっは!」


 その夜遅く。

 街の外れにある宿の一室で、グレイは羽ペンを走らせていた。

 薄明かりの下、几帳面な文字が紙を埋めていく。

『満腹あひる屋、新規雇用人。名はトウヤ。出自不明。年齢は十代後半と見られる。料理の技術は明らかに異質。スパイスの調合、提供の速度、客の扱い——いずれも、この街の水準を大きく超えている。出所を調べる価値あり』

 グレイはペンを止めて、甘い卵焼きの最後の一切れを口に入れた。

 窓の外に、「満腹あひる屋」のアヒル看板が、遠く小さく見えた。

『取り急ぎ、要観察とする』

 そう書き添えてから、グレイは静かに紙を折り畳んだ。


次回もお楽しみに

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