第三話「黄金揚げとエールの夜、闇商人は甘いものが好き」
引き継ぎお楽しみください
朝の仕込みは、前日より一時間早く始めた。
理由は単純だ。昨日の昼に「牙猪どんぶり」が想定以上に出て、タレの仕込みが追いつかなくなりかけたからだ。
バイトリーダーとして働いた経験上、「仕込み不足で回らなくなる」のは最悪の事態だ。どれだけ旨い料理でも、出せなければ意味がない。
(仕込みで八割が決まる)
師匠——俺が最初にアルバイトした定食屋のおやじさんが口癖のように言っていた言葉だ。異世界に来ても、その教えは骨の髄まで染みついている。
タレを仕込みながら、俺は昨日から温めていた構想を頭の中で整理した。
今日、試したいのは「揚げ物」だ。
「ゼノフさん、一つ聞いていいですか」
朝食を食べているゼノフさんに声をかけた。
「なんだい、トウヤくん」
「爆発鳥って、どんな魔獣ですか」
ゼノフさんは麦粥を食べる手を止めて、丸眼鏡を押し上げた。
「ああ、知らないかい。この辺りに多い魔獣でね——鶏に似ているんだけど、怒らせると翼から小さな爆発を起こすんだよ。普段はおとなしいんだけどね」
「食用には?」
「よく使うよ。焼いて、塩をふって食べるのが一般的かねえ。脂が多いから、焼きすぎると固くなるのが難点で……」
なるほど。
(脂が多くて、焼くと固くなりやすい。それなら揚げるほうが向いている)
「今日、爆発鳥を仕入れることはできますか」
「朝市に行けば買えるよ。ちょうど今日、買いに行こうと思ってたところだし」
「一緒に行っていいですか。できれば、骨つきのぶつ切りで」
朝市は賑やかだった。
石畳の広場に露店がずらりと並び、野菜、肉、魚に似た何か、薬草、雑貨……ありとあらゆるものが所狭しと積まれている。人と荷馬車と、時折魔物を引き連れた行商人が行き交う、混沌とした空間だ。
ゼノフさんはここでは顔らしく、「あらゼノフさん!」「今日は何にしますか!」と声がかかるたびに「はっはっは!」と笑いながら挨拶していく。その後ろをついて歩きながら、俺は食材を観察した。
肉屋の前で足を止める。
爆発鳥はすぐわかった。鶏よりやや大きく、羽根の根元に焦げたような跡がある。皮の色は黄みがかっていて、脂のりはよさそうだ。
「ゼノフさん、これのぶつ切りを……五羽分ほど」
肉屋のおじさんは慣れた手つきで鳥を捌き始めた。骨ごとざくざくと切り分けていく。
俺はその間に、隣の香辛料屋を覗いた。
並んでいる瓶を一本ずつ嗅いでいくと——あった。胡椒に似た辛み、生姜に近い刺激臭、そして深みのある香りの根茎。
「これ、少しずつもらえますか」
香辛料屋の老婆は「珍しい組み合わせだね」と言いながらも、量り売りをしてくれた。
店に戻ると、俺はすぐ仕込みにかかった。
まず漬け込みだ。
切り分けた爆発鳥の肉を大きめの器に並べ、地酒をたっぷり回しかける。酒で臭みを抜きながら肉を柔らかくする。
次に香辛料を合わせる。胡椒に似た粉、生姜に近い根茎のすりおろし、それに甘醤を少し。これを肉にしっかり揉み込む。
「トウヤくん、それは何をしているんだい?」
ゼノフさんが首を傾けながら覗き込んだ。
「漬け込みです。味を肉の中まで染み込ませます。このまま昼まで置いておけば、焼くよりずっと旨くなります」
「漬けるのかい、揚げるの前に」
「はい。この一手間が全部です」
ゼノフさんはしきりにうなずきながら「ふうん、ふうん」と言っていた。
次に衣だ。
麦粉を水で溶いて、ゆるめのどろっとした衣を作る。これを漬けた肉にくぐらせてから、熱した油に静かに滑り込ませる。
二度揚げが肝だ。
一度目は中温でじっくり。中まで火を通す。取り出して少し休ませてから、二度目は高温で短く。外をカリッと仕上げる。
シンプルな技術だ。でもこの「二度」という手順を知っているかどうかで、仕上がりは全然違う。
昼前。
一度目の揚げを終えた爆発鳥の試作品を、俺はまな板の上に並べた。
衣はまだべたっとしている。色は薄い。これをもう一度、高温の油に入れると——
じゅわっ。
泡立つ油の中で、衣が一気に色づいていく。狐色から、深い黄金色へ。表面がぱちぱちと弾けるように固まっていく音が、厨房に響く。
「……いい音がするねえ」
ゼノフさんが目を輝かせながら言った。
「もうすぐです」
取り出して、油を切る。
カウンターに並べると、その黄金色の塊からもうもうと湯気が上がった。衣は隙間なく均一に上がっていて、触れるとかりっとした感触が指先に伝わってくる。
「食べてみてください」
ゼノフさんは恐る恐る一つ取り、かぶりついた。
さくっ、という音が静かな厨房に響いた。
沈黙。
「……」
「ゼノフさん」
「……皮がね」
「はい」
「かりっとしてるのに、中はふわっとしてて……しかも」
ゼノフさんはもう一口。
「香辛料が、ちゃんと中まで入ってる。焼いた時のパサパサが全然ない」
「地酒で漬けると、肉が柔らかくなるんです。それに二度揚げで外だけ強く火を入れるので、中に水分が残ります」
「二度揚げ……」
「はい。手間は増えますが、仕上がりがまるで変わります」
ゼノフさんはもう一つ手を伸ばしかけて——ぴたっと止めた。
「お客さんの分がなくなってしまうね、はっはっは!」
笑いながら手を引っ込めるゼノフさんに、俺は「試食用に取ってあります」と答えた。
ゼノフさんは「気が利くねえ!」と破顔した。
昼になった。
今日は昨日より客の入りが早かった。どんぶりの話が広まったのか、見慣れない顔も混じっている。
カイルはいつも通り飛び込んできて「腹ペコ! 新しいやつある!?」と叫んだ。ハンスとヨハンが「いつもの!」を唱えながら座った。エレナさんが静かに隅の席を確保した。
そして——ゴルドが来た。
「今日は何だ」
「揚げ物です。爆発鳥を使いました」
「爆発鳥? あれを揚げるのか」
「はい。食べてみてください」
ゴルドの器に揚げたての爆発鳥を盛り、どんぶりと並べてカウンターに出した。
ゴルドは一つ手で摑んで、かぶりついた。
さくっ。
咀嚼。
また咀嚼。
ゴルドの動きが、ゆっくり止まった。
「……」
「どうですか」
「……爆発鳥が」
「はい」
「……こんな食い物になるのか」
「なります」
ゴルドはしばらく天井を見て、それから俺を見た。
「エールを持ってこい」
「……揚げ物に合わせますか」
「合う気がする」
俺はゼノフさんに目配せした。ゼノフさんは嬉しそうにエールの入ったジョッキを持ってきた。
ゴルドはエールを一口飲んでから、揚げ物をかじった。
また沈黙。
「……合う」
「よかったです」
「もう一杯持ってこい」
その声が届いたのか、隣のテーブルのカイルが「俺にもエール! いや、まだ未成年だった、果実水で!」と叫んだ。ハンスとヨハンが「俺らにもエール!」と追随した。
ゼノフさんが「たっはっは! エールが売れる売れる!」と嬉しそうに笑いながら奥に引っ込んだ。
夕方になった。
昼の賑わいが落ち着き、店内はゆったりとした空気に変わっていた。
ハンスとヨハンは仕事終わりに再び戻ってきて、「今日も終わったな」とエールを傾けている。エレナさんはいつの間にか本のページが進んでいないことに気づいたのか、少し眉を寄せながらもスープを飲み続けていた。
そんな中——
俺は一人の客が気になっていた。
昼から、ずっといる。
隅の一番目立たない席。常に壁を背にして座り、深いフードで顔を半ば隠している。体格はそれほど大きくないが、周囲への気配の消し方が異様にうまい。気を抜くと存在を忘れてしまいそうになる。
注文したのは串焼きだけだ。それを一本一本、丁寧に、ゆっくりと食べている。
ゴルドが帰り際に俺の耳元で「あれはグレイだ。あまり目を合わせるな」とぼそりと言い残していった。
俺は少し悩んで——
結局、試作品の皿を持って近づいた。
「……あの」
グレイは顔を上げなかった。
「なんだ」
低い、静かな声。怒っているわけではなさそうだが、愛想のかけらもない。
「今日、新しいものを作ったんですが——よかったら試食していただけますか。率直な感想が聞きたくて」
沈黙。
「……俺に聞くのか」
「はい。他の方はわりと反応がストレートで……別の角度からの意見が欲しかったので」
また沈黙。
グレイはゆっくりと顔を上げた。フードの奥の目が俺を見た——感情を読むのが難しい、静かな目だ。
しばらくして、グレイは皿に目を落とした。
「……揚げ物か」
「爆発鳥を二度揚げしました」
「食べていいのか」
「どうぞ」
グレイは細い指で一つ摑み、静かにかじった。
咀嚼。
俺は反応を待った。
「……」
「……いかがですか」
「悪くない」
短い。でも悪くないという言葉は、この人にとって相当な評価な気がした。
「もう一点だけ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「ゼノフさんの料理で、一番好きなものは何ですか」
グレイの手が、一瞬だけ止まった。
ほんの僅かな間の後、グレイはフードを少し深く被り直して、ぼそりと答えた。
「……卵焼きだ」
「卵焼き?」
「ゼノフが時々作る、甘い卵焼き。あれだけは、他で食ったことがない」
俺は少し驚いて、厨房のゼノフさんを見た。ゼノフさんはちょうどこちらを向いていて、俺とグレイのやりとりに気づいたのか、にっこりと笑った。
「グレイくん、今日はうちの甘い卵焼き食べていくかい? ちょうど卵が新鮮なのが入ったんだよ」
グレイはわずかに身じろいだ。
「……いくらだ」
「いつものお代でいいよ、はっはっは!」
グレイはしばらく沈黙してから、小さくうなずいた。
フードの奥の表情は読めない。でも、耳の先が少しだけ赤かったのを、俺はたぶん見間違えていないと思う。
「ゼノフさん」
後片付けの時間に、俺は棚の前に立っていた。
「グレイさんって、よく来るんですか」
「そうだねえ、週に三、四回は来るよ。いつも串焼きと卵焼きだね」
「……怖い人って言われてるみたいですけど」
「そうかい? 俺にはわからないねえ」
ゼノフさんはのんびりと言いながら、鍋を洗い始めた。
「飯を食べに来る人間は、みんなただの腹ペコだよ。怖い人も、偉い人も、変な人も——腹が減ったら、みんな一緒だ」
俺は少し考えて、それからふっと笑った。
「……そうですね」
「それより、トウヤくん」
「はい」
「今日のエール、昼だけで普段の三倍売れたよ」
「揚げ物に合うんで、自然と注文が増えたんだと思います」
「たっはっは! 揚げ物でエールが売れるとは思わなかったよ! 嬉しい誤算だねえ!」
ゼノフさんは嬉しそうに笑いながら、鍋をごしごしこすっている。
「ゼノフさん、あと一つ提案があるんですが」
「なんだい?」
「揚げ物に合わせて、卓上に香辛料を置いてみたいんです。客が自分で味を変えられるように」
ゼノフさんはきょとんとした。
「自分で?」
「はい。辛みのある粉と、酸みのある汁と、あと塩。この三つだけでいいです。卓上に置いておくと、好みに合わせて食べ方が変わります」
「……そんな文化、聞いたことないねえ」
「前にいた場所では当たり前だったんです」
ゼノフさんは少し考えてから、「面白そうだね! やってみよう!」と即答した。
その即決が、なんとなく嬉しかった。
夜、片付けを終えた後。
俺は厨房のかまどの前に一人で座って、スパイスの瓶を並べていた。
さて、次だ。
昨日から構想していた、黄色い煮込み。
スパイスの組み合わせは頭の中でほぼできている。あとは一度試作して、バランスを調整するだけだ。
でも——それをゼノフさんの店に出すには、一つ問題がある。
(最初は絶対に「見た目が怖い」と言われる)
前世でも経験があった。スパイスをふんだんに使った煮込みは、見た目が鮮烈すぎて、食べ慣れない人には一瞬、戸惑いを与える。
大事なのは「最初の一口」をどう届けるか、だ。
(誰に最初に食べさせようか)
俺は考えた。
カイルは何でも食べる。でも、良し悪しの基準が「旨い」か「めちゃくちゃ旨い」かの二択だ。
エレナさんは味に敏感そうだが、新しいものへの警戒心が強そうだ。
ゴルドは——
俺はそこで思い出した。
昼に、ゴルドが揚げ物を食べながらぼそりと言っていた言葉。
「これにカツを乗せろ」
カツ——揚げ肉を、煮込みの上に乗せる。
(それは確かに、合う)
煮込みに浸った揚げ衣の、あのとろりとした食感は——想像しただけで、腹が鳴った。
俺は一人で小さく笑って、メモを取り始めた。
明日も、早起きだ。
窓の外、アヒルの看板が夜風にゆっくり揺れていた。
「満腹あひる屋」の夜は、また静かに更けていった。
次回もお楽しみに




