第三十二話「諸国料理祭典、二度目の朝」
諸事情でなかなか書き始められなかったのですが、皆さん、ぜひご一読ください!!
祭典の朝、宮廷厨房に着くと、いつもと様子が違った。
料理人たちがざわついている。
俺たちのブースに向かうと、リーナが青い顔で待っていた。
「問題が起きました」
「何ですか」
「今朝、配布される予定だった食材の一部が——届いていません」
「一部、というのは」
「あなた方が予定していた、東門の猟師からの肉です。輸送中に問題があったようで」
俺は少し焦った。
今日のメニューは、煮込みとどんぶり——肉が主役だ。それがない。
「代わりの肉は、市場で買えますか」とエルナに聞いた。
「行ってみます」
時間は、開始まで三時間。
市場までは、急いで往復一時間。
「俺も行きます」
「私も」とゼノフさんが言った。
「ゼノフさんは仕込みを進めてください。エルナと俺で行きます」
市場は、朝から混雑していた。
祭典の日だけあって、各国の料理人たちが食材を買い漁っている。
いい肉は、もうほとんど売れていた。
「エルナ、お願いします」
エルナは目を閉じた。
しばらくして、「あちらです」と指差した。
少し離れた、目立たない露店だった。
行ってみると——確かに、いい肉があった。
「これ、ください」
店主は驚いた顔をした。
「お客さん、目利きですね。この肉、実は今朝届いた特別なものなんですが——他の店は素通りでして」
「なぜですか」
「見た目が、少し地味なので。脂が少なくて、見栄えがよくないんです」
エルナが「これが一番いいです」と言った。
「脂が少ない分、肉そのものの味が濃いです。煮込みに向いています」
店主が「わかる人にはわかるんですね」と嬉しそうに言った。
肉を抱えて、宮廷厨房に戻った。
残り二時間。
ゼノフさんが受け取って、すぐに調理に入った。
「いい肉だ」
「エルナが見つけました」
「これは——」
ゼノフさんは肉を確認しながら、少し笑った。
「予定していた肉より、いいかもしれない」
「そうですか」
「脂が少ない分、煮込み時間を変える必要があるけどね」
「時間、足りますか」
「足りるよ。やってみよう」
ゼノフさんが手早く調理を始めた。
俺は出汁を引きながら、エルナに聞いた。
「焦りましたね」
「焦りました。でも——」
「でも?」
「市場で、感じ取れました。だから——なんとかなりました」
「能力に感謝ですね」
「能力だけじゃないです」
「何ですか」
「焦った時に、何をすればいいか——それが、わかっていました。トウヤさんが教えてくれたことです」
「俺、何を教えましたか」
「「問題が起きたら、まず観察。次に、できることを一つずつ」」
「言いましたね、それ」
「いつも言っています」
残り一時間。
ゼノフさんの煮込みが、いい香りを放っていた。
予定より少し時間が押していたが、調理は順調だった。
俺はどんぶりの準備を進めた。麦飯を炊いて、タレを温めて。
エルナは——「その日の汁」の準備をしていた。
「今日は、どんな汁にしますか」
「祭典に来る人たちは、緊張していると思います。あと——長旅で来ている人も多い」
「合わせる食材は?」
「体を温めて、リラックスさせるものです」
「決まっていますか」
「だいたい。あとは——会場に来た人を見て、最終調整します」
残り三十分。
全ての準備が整った。
ゼノフさんが煮込みの最終確認をした。
「……できた」
香りが、テーブル一面に広がった。
去年の祭典で賞を取った、あの香りだった。
祭典が始まった。
会場には、各国の代表料理が並んでいた。
華やかな盛り付け、珍しい食材、複雑な調理法——どれも見事だった。
俺たちのブースは——シンプルだった。
どんぶり、煮込み、深味汁、卵焼き、そして「その日の汁」。
最初、人通りは少なかった。
他のブースの華やかさに、人々の目が向いていた。
最初の客が来たのは、開始から十分後だった。
老齢の女性だった。
ゆっくりと、煮込みを一口食べた。
目を閉じた。
しばらくして、開いた。
「……懐かしい味だね」
「お口に合いましたか」
「孫がね、小さい頃に風邪をひいた時に作っていた料理に似ている。今は遠くに嫁いでしまって、なかなか会えないんだけど」
「それは——」
「ありがとう。久しぶりに、孫のことを思い出した」
女性は深く頭を下げて、去っていった。
二人目の客は、若い男だった。
「その日の汁、というのは何ですか」
「あなたの今の状態に合わせて作る汁です」
「俺の状態?」
「少し、お聞きしてもいいですか」
エルナは男に近づいて、しばらく目を閉じた。
「……長旅の疲れと、緊張が混ざっています。今日、何か大事な場に出るんですか」
男は驚いた顔をした。
「……なぜわかるんですか」
「感じ取れます」
「実は、これから王家の方への献上品の審査があって」
「審査の前に、温まる汁を作ります。緊張を和らげる効果があります」
エルナが汁を作って渡した。
男は一口飲んで、しばらく黙った。
「……肩の力が抜けました」
「お役に立てたなら、よかったです」
男は何度も頭を下げて去っていった。
その様子を、近くのブースの料理人が見ていた。
昨日話した、南の代表の男だった。
「あの汁、何で作ってるんですか」
「決まったレシピはありません。来た人に合わせています」
「毎回違う?」
「毎回違います」
男は少し考えてから、「面白いですね」と言った。
「俺は技術にこだわって料理を作ってきました。でも——あなたたちは、違うものにこだわっている」
「何にこだわっていますか」
「人に、ですかね」
「そうかもしれません」
昼前になると、噂が広まり始めた。
「あひる屋の汁は、飲むと体が軽くなる」
「煮込みを食べると、懐かしい気持ちになる」
行列ができ始めた。
行列が長くなると、エルナの感じ取りに時間がかかるようになった。
一人一人にしっかり時間をかけたいが——待っている人も増える。
「トウヤさん、時間がかかりすぎています」とエルナが言った。
「大丈夫です。並んでいる人たちには、別の料理を出します」
俺はどんぶりと深味汁を、待っている人たちに配り始めた。
エルナは、本当に「その日の汁」を必要としている人に集中できるようになった。
「ありがとうございます」
「チームですから」
昼過ぎ、リーナが来た。
「王家の方が、視察に来られます」
「王家の方が?」
「審査も兼ねています。緊張せずに、いつも通りにお願いします」
しばらくして、護衛を連れた一団が来た。
その中に、若い男性がいた。
昨日、献上品の審査に行くと言っていた男だった。
「あの方は——」
「殿下です」とリーナが小声で言った。「先ほど、ここで汁を飲まれた方です」
俺は思わずエルナを見た。
エルナは少し驚いた顔をしていたが、すぐに落ち着いた。
「いつも通りで大丈夫です」と俺が言った。
「はい」
殿下が近づいてきた。
「先ほどの汁、もう一度いただけますか」
「もちろんです」
エルナは殿下を見て、目を閉じた。
「……先ほどより、緊張がほどけていますね」
「審査が、無事に終わりました」
「それはよかったです」
「先ほどの汁が——効いたのかもしれません」
エルナは今度は、リラックスした状態に合わせた汁を作った。
軽めの、爽やかな汁だ。
殿下は飲んで、目を細めた。
「……これは、また違う味ですね」
「状態が変わったので」
「同じ人間でも、状態に応じて変わる料理、ということですか」
「そうです」
殿下はしばらく考えてから、煮込みも食べた。
「これは——去年も食べました」
「覚えていてくださいましたか」
「忘れられない味でした。「最も温かみのある料理」と言ったのは——私です」
俺は少し驚いた。
(手紙に書いてあった、王家の方の言葉——この人だったのか)
「今年も、変わらない味でしょうか」
「変わっています」とゼノフさんが言った。
「どう変わっていますか」
「去年より、もっと多くの人の気持ちが入っています」
「多くの人?」
「この一年で、店に新しい人間が増えました。新しい料理が生まれました。その全部が——今日のこの一皿に入っています」
殿下は煮込みを、もう一口食べた。
「……確かに。去年より、深い」
殿下が去る前に、エルナに言った。
「あなたの能力は——素晴らしいものですね」
「ありがとうございます」
「研究院の話は、聞いています。ここで、いい使い方をしているようで——よかったです」
「はい」
「これからも、その料理を続けてください」
「続けます」
殿下は一団と共に、次のブースへ向かった。
夕方、祭典が終わった。
審査結果は、明日発表される。
でも——ブースの前には、まだ人が並んでいた。
最後の客まで、エルナは丁寧に汁を作った。
最後の一人が去った後、エルナは少し座り込んだ。
「疲れましたか」
「少し。でも——」
「でも?」
「すごく、楽しかったです」
その夜、宿に戻る道で、ゼノフさんが言った。
「今日は、いい一日だったね」
「はい」とエルナが言った。
「結果はどうでもいいよ、はっはっは!」
「賞のことですか」
「賞を取れたら嬉しいけど——今日、たくさんの人が「また食べたい」って言ってくれた。それで十分だよ」
「俺もそう思います」とエルナが言った。
翌日、結果が発表された。
諸国料理祭典、最優秀賞。
二年連続だった。
でも——その夜、宿に戻ってからの会話の方が、俺には大事だった。
「エルナ、今日のこと、ノートに書きますか」
「書きます。たくさん」
「何を書きますか」
「殿下が「これからも続けてください」と言ってくれたこと。料理人としての自分が、誰かに認められたこと。それから——」
「それから?」
「焦った時に、トウヤさんと一緒に市場に行ったこと」
「焦りましたね、本当に」
「でも——焦った時も、一人じゃなかったです」
「そうですね」
「それが——今日、一番大事なことだった気がします」
窓の外、王都の夜空に、月が出ていた。
うちの街でも、同じ月が見えているはずだ。
「明日、帰りますか」とエルナが聞いた。
「明日、帰りましょう」
「やっと——」
「やっと、帰れますね」
「帰りたいです」
「帰りましょう」
窓の外の月を見ながら、エルナが静かに言った。
「トウヤさん」
「はい」
「二年連続の賞——次の祭典は、どうなりますか」
「来年も、招待されるかもしれません」
「来年も、一緒に来られますか」
「来られると思います」
「楽しみです」
俺は少し笑った。
「来年のことを、もう考えていますか」
「発酵と同じです。先のことを考えると——今は、温かい気持ちになります」
俺はその言葉を聞いて、何も言わなかった。
ただ、同じ月を見ていた。
次回もお楽しみに




