第十八話「ギルド認定の日と、まさかの審査員」
引き継ぎお楽しみください
ギルド認定の審査は、穏やかな晴れの日に行われた。
前日から、俺とカイルとマリアの三人で準備をした。
といっても、特別なことは何もしなかった。
いつも通りの仕込みをして、いつも通りの料理を用意する。それだけだ。
「何か特別なものを作らなくていいんですか」とカイルが聞いた。
「いつも通りがいちばんです」
「でも審査ですよ? もっと凄いものを出したほうが——」
「いつも出しているものが凄くなければ、凄いものを一時的に出しても意味がないです」
カイルは少し考えてから、「確かに」と言った。
「いつも通りが、この店の実力だから」
「そうです」
マリアはノートに何かを書いていた。
後で見ると「特別な時こそ、いつも通り」と書いてあった。
審査当日の朝。
ヘルガさんが来たのは、開店と同時だった。
いつもの仕事着ではなく、少しきちんとした装いだ。でも顔は相変わらず、実務的でぶっきらぼうだった。
「始めるぞ」
「よろしくお願いします」
ヘルガさんの後ろに、二人の審査員が続いた。
一人は三十代の男で、帳面を持っている。もう一人は——
俺は思わず目を丸くした。
アデラだった。
「あら、驚きましたか」
「少し」
「フォン・ライム家は、ギルドの認定審査に協力する取り決めがあります。今回は私が担当することになりました」
アデラは少し楽しそうに言った。
「個人的に来たい気持ちもありましたが、今日は公式の立場です」
「……わかりました。よろしくお願いします」
ゼノフさんはにこにこしながら「たっはっは! 豪華な審査員だねえ!」と言った。
審査の内容は、大きく三つだった。
食材の安全確認。衛生管理の確認。料理の品質評価。
最初の二つは、帳面の男性——名前はオーレンといった——が担当した。
食材の仕入れ先、保管方法、使用期限の管理。厨房の清潔さ、手洗いの徹底、食器の管理。
オーレンは丁寧に確認しながら、帳面に書き込んでいく。
俺は一つ一つ、正直に答えた。
「仕入れ先はグレイさんの取引先経由で、農家三軒と猟師一名と、乾物の卸問屋一軒です」
「全て文書化されていますか」
「エレナさんが管理している帳簿に、全て記録されています」
「見せてもらえますか」
「カイル、エレナさんの帳簿を持ってきてもらえますか」
「はい!」
カイルが走って取ってきた帳簿を、オーレンはゆっくりと確認した。
「……記録が完璧ですね」
「毎週確認しています」
「これを、最初からやっていたんですか」
「あひる組合を始めた頃から、エレナさんに依頼しています」
オーレンはまた帳面に書き込んだ。
衛生管理の確認では、少し緊張した。
前世の感覚では、飲食店の衛生管理は厳しい。でも、この世界の基準がどの程度かはわからなかった。
オーレンは厨房をくまなく見た。かまどの周辺、まな板、包丁、食器棚、貯蔵庫——全部を確認した。
「まな板が、肉と野菜で分けられていますね」
「はい。食材によって使い分けています」
「珍しいですね。ほとんどの食堂では、一枚のまな板を使います」
「前にいた場所では、当たり前のことでした」
オーレンはまた書き込んだ。
厨房の確認が終わると、オーレンはアデラに何かを耳打ちした。
アデラは小さく頷いた。
料理の品質評価は、アデラが担当した。
「いつも出しているものを、普通に出してください」と言った。
「はい」
俺は朝のメニューから始めた。
深味汁麺。どんぶり。揚げ物。煮込み。デザート。
一つ一つ、いつもの手順で作った。
特別なことは、何もしない。
アデラは全部を少量ずつ食べた。
食べながら、何かを考えるような表情をしている。
全部食べ終えてから、しばらく沈黙した。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「この料理たちは、全部あなたが考えたのですか」
「大元は俺ですが——深味汁のヒントはグレイさんの卵焼きから来ていますし、デザートはマリアが考えました。どんぶりはゴルドさんの「つゆだく」という一言から広がりました。全部、この店に集まる人たちとの会話から生まれています」
アデラは少し目を細めた。
「料理が、人との関係から生まれているんですね」
「そうだと思います」
「それは——」
アデラは静かに言った。
「本物の料理人の考え方です」
審査が終わって、三人が少し離れて話し合った。
俺たちはカウンターで待った。
ゼノフさんは「緊張するね! はっはっは!」と笑っていたが、笑い方がいつもより少し大きかった。
カイルが「どうだと思いますか」と俺に聞いた。
「わかりません。でも——」
「でも?」
「やれることは全部やりました。それだけです」
マリアが「私は大丈夫だと思います」と言った。
「なぜですか」
「アデラさんが、デザートを食べた時に目が細くなりました。美味しいと思った時の顔です」
「よく見ていましたね」
「料理を食べる人の顔を見ることを、教えてもらいましたから」
五分ほどして、ヘルガさんたちが戻ってきた。
ヘルガさんが前に立った。
「結果を伝える」
全員が静止した。
「冒険者ギルド推薦店として、「満腹あひる屋」を正式に認定する」
一瞬の沈黙の後、ゼノフさんが「たっはっは!!」と一番大きな声で笑った。
カイルが「やった!!」と叫んだ。
マリアが静かに、でも深く、頭を下げた。
俺は——少し、胸が詰まった。
「おめでとうございます」とアデラが言った。
「ありがとうございます」
「食材管理と衛生管理は、この地域で見た中で最高水準でした。料理の品質も言うまでもない。特に——」
アデラは少し間を置いた。
「それぞれの料理に、作った人間の顔が見える。そういう料理は、評価基準の外にあるものを持っています」
「評価基準の外?」
「数字では測れない何かです。温かさ、というか——来た人が戻ってきたくなる理由、とでも言えばいいか」
オーレンが「私の審査項目にはない種類の旨さでした」と、珍しく砕けた言い方をした。
審査員たちが帰った後、常連たちが徐々に集まってきた。
噂が広まるのは早い。
昼前には「認定おめでとう」という顔をした常連たちで、テーブルが埋まっていた。
「ギルド推薦店か! これからもっと客が来るぞ!」とハンスが言った。
「嬉しい反面、大変になりそうです」と俺が答えた。
「大変なのはお前だけで、俺らは食べるだけだから問題ない」とヨハンが言った。
「それはそうですね」
ゴルドが来て、どんぶりを注文しながら「認定が取れたか」とだけ言った。
「はい」
「当然だ」
それだけだった。でも、エールを一口飲んだ後に、「よくやった」と小さく言ったのを、俺は聞き逃さなかった。
グレイは夕方来て、串焼きを食べながらぼそりと言った。
「証明できたな」
「何をですか」
「この店の料理が、本物だということを」
「前から本物でした」
「そうだ。だが、本物であることと、それが認められることは、別の話だ」
俺はその言葉を、静かに受け取った。
「……そうですね」
「認定を取ったことで、遠方からの客が増える。それに備えろ」
「はい」
「仕込みの量と、スタッフの人数を、もう一度見直したほうがいい」
「考えています」
「シグが使えるかもしれない。あいつ、最近この街に居着いている」
「シグさんが、厨房を手伝うんですか」
「本人に聞いてみろ」
その夜、シグが来た。
どんぶりと深味汁を注文して、食べながら俺に言った。
「ギルド認定、おめでとう」
「ありがとうございます。少し聞いていいですか」
「なんだ」
「この店でアルバイトをしてみませんか」
シグはどんぶりを食べる手を止めた。
「……俺が?」
「はい」
「冒険者を雇うのか」
「冒険者でも、腹が減りますよね」
「まあ、減るが」
「依頼がない日だけで構いません。カイルと同じ形です」
シグは少し考えた。
「……俺、料理はできないぞ」
「配膳と、力仕事と、あとは店の前に立っていてもらうだけで十分です」
「店の前に立つ?」
「認定を取ると、遠方からの客が増えます。中には、礼儀のない客も来るかもしれない。ランクの高い冒険者が店の前にいるだけで、抑止になります」
シグはしばらく俺を見た。
「……俺を用心棒として雇うのか」
「正式名称は「ホールスタッフ」ですが、実態はそういうことです」
「正直だな」
「嘘をつくのが苦手なので」
シグは少し笑った。
「……まあ、いいか。飯代と、少しの小遣いをくれるなら」
「出します」
「じゃあ、やる」
シグが加わったことで、店の体制が整った。
厨房——俺、マリア、カイル、ゼノフさん。
ホール——カイル(兼任)、シグ。
経理——エレナさん(週三回)。
情報収集——グレイ(非公式)、リン(旅の合間)。
前世でいえば、小さいながらも機能的なチームだ。
役割が明確で、誰が何をするかがわかっている。誰かが欠けても、他の誰かがカバーできる。
認定から三日後。
予想通り、遠方からの客が増え始めた。
ギルドのネットワークで「満腹あひる屋」の名前が広まり、他の街から来た冒険者や商人が、わざわざ立ち寄るようになった。
シグは店の入口に立って、来た客を静かに迎えた。
その存在感だけで、騒がしい冒険者グループが自然と静かになる場面が何度かあった。
「シグさん、効果絶大ですね」とカイルが言った。
「俺は何もしていない。立っているだけだ」
「それがいいんです」
シグは少し複雑な顔をしたが、否定しなかった。
遠方客の中に、一人、気になる人物がいた。
五十代くらいの、小柄な女性だ。
旅装束だが、どこか違和感がある。装備は地味だが、所作が洗練されすぎている。話し方も、普通の旅人とは違う落ち着き方をしていた。
カウンターに座って、全品を少量ずつ注文した。アデラが最初に来た時と、同じ頼み方だ。
全部食べ終えてから、女性は俺を呼んだ。
「料理人さん、少し話せますか」
「どうぞ」
「私はリーナといいます」
「トウヤです」
「知っています」
リーナは静かに言った。
「少し遠いところから来ました。この店のことを、いくつかの経路から聞いて」
「遠いところとは?」
「王都です」
俺は少し驚いた。
この国の首都——ということだ。
「王都から、わざわざ」
「ええ。用件は二つあります」
リーナは小さな封書を取り出して、テーブルに置いた。
「一つ目は、これです」
俺は封書を手に取った。
開けると——王家の紋章が入った書状だった。
内容は、短かった。
「王都で開催される「諸国料理の祭典」に、「満腹あひる屋」として参加していただきたい」
俺はしばらく書状を見た。
頭の中を、いくつかのことが回った。
王都の料理祭典。各地の料理が一堂に集まる場。この世界で、最も多くの人に料理を届けられる機会の一つだ。
でも同時に——この店を長く空けることになる。
(どうする)
「二つ目の用件は?」
俺は封書を置いて、リーナを見た。
「二つ目は——個人的な相談です」
リーナは少し間を置いた。
「王都の宮廷料理人の一人が、先月倒れました。高齢で、もう厨房には立てないと言っています。その代わりを探しています」
「俺に来いということですか」
「あなたに、ではありません」
リーナはゼノフさんを見た。
「あの方に、話を聞いてほしいのです」
俺はゼノフさんを呼んだ。
リーナがゼノフさんに封書を見せて、話した。
ゼノフさんは黙って聞いた。
全部聞き終えてから、ゼノフさんは静かに言った。
「……俺に、王都の宮廷料理人になれということかい」
「そういうことではありません。ただ——あなたの料理を、王都でも食べられるようにしてほしいということです。形は相談しながら決められます」
「この店は?」
「それも含めて、相談できます。店を続けながら、という形も考えられます」
ゼノフさんはしばらく黙っていた。
それから、丸眼鏡を外して、拭いた。
「……少し、時間をいただけますか」
「もちろんです。急ぎません」
「一週間、考えさせてください」
「わかりました」
リーナが帰った後、店内が静かになった。
常連たちは、話を聞いていたわけではないが、何かを察しているような空気があった。
ゴルドだけは、どんぶりを黙々と食べていた。
俺はゼノフさんの横に立った。
「どう思いますか」
「……難しいね」
「正直な気持ちを聞かせてください」
ゼノフさんは少し考えてから、言った。
「嬉しいとは思う。この歳になって、王都から声がかかるとは思わなかった」
「でも?」
「この店が好きだ。この場所が好きだ。女房と一緒に始めたこの店を、離れることが——少し怖い」
「離れることになるかどうか、まだわかりません」
「そうだね」
ゼノフさんは窓の外のアヒル看板を見た。
「トウヤくんは、どう思う」
「俺は——」
俺は少し考えた。
「ゼノフさんが決めることです。でも一つだけ言わせてください」
「なんだい」
「どんな形になっても——この店は続きます。俺が守ります」
ゼノフさんはしばらく俺を見た。
それから、ふわっと笑った。
「……頼もしいねえ」
「俺とカイルとマリアがいます。シグもいます。グレイさんも、ゴルドさんも、エレナさんも、リンも——みんないます」
「そうだね」
「ゼノフさんが何を選んでも、この場所はなくなりません」
その夜。
閉店後、俺は一人で厨房に残った。
かまどの前に立って、今日のことを頭の中で整理した。
ギルド認定。シグの加入。リーナの来訪。王都の祭典。宮廷料理人の話。
一日で、たくさんのことが動いた。
でも、今夜は考えすぎないことにした。
リンが言っていた言葉を思い出した。
「たまには、ただ飯を食う側に回れ」
俺は厨房の隅に残っていた深味汁を一杯、温めた。
カウンターに座って、一人で飲んだ。
静かな厨房に、深味汁の香りが広がった。
前の世界の台所の香りに、少し似ていた。
でも——もうそれは、懐かしさだけじゃない。
この世界で生まれた、この店の香りでもある。
(どこまで行っても、ここが起点だ)
アヒルの看板が、夜風に揺れていた。
「満腹あひる屋」の夜は、静かに更けていく。
でも、明日に向けての熱は——もう、始まっていた。
次回もお楽しみに




