第十二話「冒険者ギルドと、トウヤの正体疑惑」
引き継ぎお楽しみください
冒険者ギルドに行ったのは、繁盛が始まってから一ヶ月が経った、穏やかな午前中だった。
朝営業を終えて、仕込みの合間に一時間だけ抜けさせてもらった。
「行ってらっしゃい」とゼノフさんは笑顔で送り出してくれた。「ゴルドくんに案内してもらいな」
ゴルドは「俺が行く必要があるのか」と言いながら、結局一緒に来た。
冒険者ギルドは、街の中心部に近い、大きな石造りの建物だった。
扉を開けると、独特の空気が流れ込んできた。
革鎧の男女が何人もいて、壁には依頼書が所狭しと貼られている。受付カウンターには若い女性が二人座っていて、ひっきりなしに冒険者の対応をしている。
酒場も兼ねているのか、昼前なのにすでにエールを飲んでいる男もいる。
俺は少し圧倒されながら、入口で立ち止まった。
「思ったより、大きいですね」
「この規模の街にしては標準だ」とゴルドが言った。「入るぞ」
中に入った瞬間、何人かの視線が俺に集まった。
俺の顔を見て、ひそひそと話している。
(……有名になっている、というのは本当みたいだ)
居心地が悪いわけではないが、少し落ち着かない。
「ゴルドさん、シグという人物を探しているんですが」
「シグ……」ゴルドは少し眉を上げた。「あいつがお前に声をかけたのか」
「知っているんですか」
「名前くらいは。ランクの高い冒険者だ。詳しくは知らん」
俺が周囲を見回していると、カウンターの受付の女性が俺に気づいて声をかけてきた。
「あの、満腹あひる屋のトウヤさんですか」
「そうですが」
「少々お待ちください!」
受付の女性は奥に引っ込んで、すぐに戻ってきた。
「ギルドマスターが、お話したいとのことです」
「ギルドマスター?」
案内されたのは、建物の奥にある小さな部屋だった。
木の匂いがする、落ち着いた空間だ。壁には地図と依頼書が貼られている。
奥の椅子に座っていたのは、五十代くらいの女性だった。
白髪交じりの短い髪。鋭い目。でも口元には、わずかな笑みがある。腕には古い傷の跡が何本も走っていて、元は相当な冒険者だったとわかる。
「初めまして。ギルドマスターのヘルガだ。座りな」
俺はゴルドと並んで椅子に座った。
「ゴルド、久しぶりだな」
「ヘルガさん」
「老けたな」
「あなたもです」
「はっ、正直な奴め」
ヘルガは俺を見た。
「トウヤとか言ったな」
「そうです」
「満腹あひる屋で働いているとか」
「はい。一ヶ月前からゼノフさんのお世話になっています」
「ゼノフの店か。あそこは俺も昔よく行った。最近変わったという話は聞いていた」
ヘルガは少し前のめりになった。
「それで——お前に一つ確認したいことがある」
「なんでしょうか」
「お前、冒険者登録をしていないな」
「していません」
「なぜだ」
「特に必要性を感じていなかったので」
ヘルガは俺をしばらく見た。
「この世界に来て、どのくらいになる」
俺は少し驚いた。
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だ」
ヘルガは静かに言った。
「お前の料理は、この世界の料理じゃない。食材はこの世界のものを使っているのに、調理法と発想が根本的に違う。俺は長年、いろんな場所を旅した。見たことのない料理を平然と作る人間が、何を隠しているかくらいはわかる」
俺は少し沈黙した。
ゴルドがじっと前を向いて、何も言わない。
「……隠すつもりはなかったんですが、上手く説明できなくて」
「別に全部話せとは言わない。ただ——」
ヘルガは静かに続けた。
「この世界には、「転移者」という概念がある。別の世界から来た人間のことだ。稀に、そういう者がいる」
「……知りませんでした」
「そうだろう。あまり広まっていない話だからな」
ヘルガは机の上で手を組んだ。
「転移者には、大抵二つのパターンがある。一つは、強大な魔法や戦闘能力を持って来る者。もう一つは——お前みたいに、特殊な「知識」を持って来る者」
「俺は魔法も戦闘力もないです」
「知っている。だが——」
ヘルガは少し笑った。
「「知識」は、時に剣より強い。お前がこの一ヶ月でやったことを見れば、それはわかる」
俺はしばらく考えてから、正直に話すことにした。
前の世界のことは、細かい部分は省いた。でも、飲食業で働いていたこと、料理と経営の知識があること、転移してからゼノフさんの店にたどり着いたことは、ある程度話した。
ヘルガは黙って聞いた。
全部話し終えると、ヘルガは「そうか」とだけ言った。
「俺がここに来たのは、お前を警戒しているからじゃない」
「では?」
「一つ、頼みたいことがある」
ヘルガは机の引き出しから、一枚の書類を出した。
「これを見てくれ」
書類を受け取ると、そこには「ギルド食堂改善計画」と書いてあった。
「ギルドの食堂ですか」
「ああ。うちのギルドには食堂が付いているが、正直なところ飯が不味い。冒険者から不満が出まくっている。仕事終わりに美味い飯が食えないと、士気に関わる」
「……それで、俺に?」
「お前の話が広まっている。満腹あひる屋で食べたことのある冒険者が、全員口を揃えて「ギルド食堂もあそこくらいうまくしてくれ」と言う」
俺は書類を一読した。
ギルド食堂の規模は、満腹あひる屋の三倍以上ある。スタッフは四人。予算は十分にある。でも料理の質が低く、提供スピードも遅い。
(問題は「仕組み」と「レシピ」だ。人は悪くないかもしれない)
「監修という形で関われますか。実際に厨房に立つのは難しいですが、レシピと仕組みを整えるお手伝いなら」
「それで十分だ。報酬は出す」
「ゼノフさんに相談してからになりますが」
「もちろんだ」
ヘルガは立ち上がって、俺に手を差し出した。
「よろしく頼む、トウヤ」
俺はその手を握った。
「よろしくお願いします、ヘルガさん」
部屋を出ると、廊下にシグが立っていた。
壁にもたれて、腕を組んでいる。
「来たな」
「待っていたんですか」
「まあな」
シグは俺を見た。
「ヘルガさんと話したか」
「しました」
「転移者の話も?」
「……聞きました」
「驚いたか」
「少し。でも、不思議と納得もしました」
シグは少し笑った。
「俺もそうだったから、わかる気がする」
俺は立ち止まった。
「……シグさんも?」
「三年前に来た。俺の場合は戦闘寄りのスキルが多かったから、冒険者をやっている」
俺はシグをもう一度見た。
垢抜けた雰囲気。現代的な物の考え方をするような言動。そういえば、昨日話した時から少し引っかかっていた。
「前の世界では、何をしていましたか」
「大学生。あとバイトをいくつか」
「俺もバイトをしていました」
「知ってる。飲食系だろ。料理を見ればわかる」
二人で少し笑った。
異世界で、同じ世界から来た人間と笑うのは、奇妙な感覚だった。
「シグさんが冒険者ギルドに来るよう言ったのは、ヘルガさんを紹介するためですか」
「半分はそれ。もう半分は——」
シグは少し真剣な顔になった。
「お前に、一つ教えておきたいことがあった」
「なんですか」
「ベルク商会の件、表向きは落ち着いてきているが——本部は諦めていない。今度は別の手を使ってくる可能性がある」
「どんな手ですか」
「人を使った評判崩しだ。美味い飯に難癖をつける「サクラ客」を送り込んで、悪い噂を広める。それだけじゃなく——料理人を引き抜こうとするかもしれない」
「引き抜き、ですか」
「お前の料理の話は、もう街の外まで広まってる。ベルク商会にも当然届いている。店を潰せないなら、料理人ごと奪えばいいと考えてもおかしくない」
俺は少し考えた。
(サクラ客による評判操作と、人材引き抜き——前世でも聞いたことがある手口だ)
「前の世界でも、似たことをする企業がありました」
「そうだろうな。やることは、世界が変わっても同じだ」
「対策は考えます。情報をありがとうございます」
シグは肩をすくめた。
「俺もこの街に少し世話になっているから、できることはする。お前の店の飯が食えなくなるのは困る」
「グレイさんと同じことを言いますね」
「あいつも同じこと言ったか」
「卵焼きが食えなくなると困る、と」
シグはぷっと噴き出した。
「闇商人が卵焼きに心奪われてるのか。あの店、面白い奴らが集まってるな」
ギルドを出て、店に向かいながら、ゴルドが口を開いた。
「転移者の話、驚いたか」
「少し。でも、ゴルドさんは気づいていましたか」
「薄々はな」
「なぜ何も言わなかったんですか」
「必要なかったからだ」
ゴルドは淡々と言った。
「お前がどこから来ようと、ゼノフさんの店で旨い飯を作っている事実は変わらない。人間を見るのに、出自は関係ない」
俺は少し胸が詰まった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん。帰ったらどんぶりを食わせろ」
「わかりました」
店に戻ると、ゼノフさんに全部話した。
転移者の話。ヘルガさんからの依頼。シグの警告。
ゼノフさんは黙って全部聞いた。
話し終えると、しばらくの沈黙があった。
「……トウヤくん」
「はい」
「転移者というのは、つまり——別の世界から来た、ということかい」
「そうです。詳しいことは上手く説明できませんが」
「帰る方法は、あるのか」
俺は少し間を置いた。
「わかりません。今のところ、探していないです」
「なぜ」
「……帰りたい、と強く思っていないから、かもしれません」
ゼノフさんは俺をじっと見た。
「この世界に、居場所ができたということかい」
「そう、なのかもしれません」
ゼノフさんは丸眼鏡を押し上げて、深くうなずいた。
「……そうか」
それだけ言って、ゼノフさんは厨房に向かった。
少しして、「トウヤくん」と呼ぶ声がした。
「はい」
「昼飯の仕込み、手伝っておいたよ。お前が出かけている間にね」
俺は厨房を覗いた。
野菜は切り揃えられ、肉は下処理済みで、タレは計量されて並んでいた。
「ゼノフさん、ありがとうございます」
「礼はいいよ。さあ、昼が始まるよ!」
昼の営業が始まった。
今日もテーブルは埋まっていく。カイルが飛び込んできて、ハンスとヨハンが「いつもの!」と叫んだ。エレナさんが静かに隅の席に着いた。
いつもと同じ光景だ。
でも俺には、今日から少し違って見えた。
自分がどこから来た存在なのか、少しだけはっきりした。でも、それがわかったからといって、今ここで自分がすべきことは変わらない。
仕込みをして、料理を作って、出す。
早く、旨く、温かく。
それだけだ。
夕方、リンが竪琴を鳴らし始めた頃、シグが来た。
今度は客として、どんぶりを頼んだ。
食べながら、リンの演奏を聞いて、それから俺に言った。
「この店、なんかいいな」
「そうですか」
「落ち着く。前の世界に似た空気がある」
「どういうところが?」
シグは少し考えてから、答えた。
「誰もが、ここに来た理由を持っている。でも、その理由を誰も聞かない。ただ、飯を食って帰る。それだけが許されている」
俺はその言葉を、静かに噛みしめた。
「……前の世界では、そういう場所が好きでした」
「俺もだ」
シグはどんぶりをもう一口食べた。
「だから、この店をなくしたくない」
「俺もです」
二人でしばらく黙った。
リンの竪琴の音が、店内に溶けていく。
その夜、閉店後。
俺は厨房の小さなテーブルで、紙に向かっていた。
今日考えたことを、整理していく。
サクラ客対策——料理の品質記録をつけ始める。クレームの内容と日時を記録することで、「意図的な難癖」と「本物のフィードバック」を区別できる仕組みを作る。前世でいうQCDの管理だ。
引き抜き対策——ゼノフさんとの関係をさらに深める。ここにいる理由を、給料でも条件でもなく、「この場所が好きだから」という部分で作る。前世の経験から言えば、金や条件だけで繋ぎ止めようとする職場は、必ず崩れる。
ギルド食堂の改善——今週中に一度見に行く。まず現状把握から始める。問題点をリストアップして、優先度をつけて改善していく。
ヴェルナー商会との提携——月に一度、隣街の食堂を見に行く程度から始める。無理のない範囲で。
(やることは多い。でも、焦る必要はない)
前世のバイトリーダー時代に学んだことが、ここでも生きている。
やることを全部一度に片付けようとしない。優先順位をつけて、一つずつ確実にやる。
それだけで、たいていのことは前に進む。
「トウヤくん、まだ起きているのかい」
ゼノフさんが降りてきた。
今日は湯飲みではなく、アヒルのクッキーを二枚持ってきた。
「ルルちゃんが残していったやつだよ。食べな」
「ありがとうございます」
俺はクッキーをかじった。
素朴な甘さだ。ゼノフさんの料理の、一番根っこにある味がする。
「今日、転移者の話を聞いて——俺のことを変に思いましたか」
ゼノフさんは首を振った。
「変には思わないよ」
「でも、別の世界から来た人間で」
「だからなんだい」
ゼノフさんは静かに言った。
「人がどこから来たかより、どこにいるかのほうが大事だよ。トウヤくんは今、ここにいる。それだけでいい」
俺はクッキーをもう一口かじった。
「……ゼノフさんは、本当にそういうことを言う人ですね」
「そうかい?」
「はい。最初から、ずっと」
ゼノフさんは少し照れたように笑った。
「俺の女房もよく言っていたよ。「あなたは、難しいことを全部簡単にしてしまう」ってね」
「奥様も、きっとそういう方だったんですね」
「そうだよ。だから惚れたんだ」
ゼノフさんは窓の外を見た。
「この店を二人で始めた時、俺たちには何もなかった。腕と、情熱と、アヒルの好きな女房だけだった」
「それで、二十八年続いた」
「続いたね。いろんなことがあったけど、続いた」
ゼノフさんは俺を見た。
「トウヤくんも、これからいろんなことがあるだろう。でも——」
「はい」
「この店は、どこへ行くにも、帰ってこられる場所だよ」
俺は少し目が熱くなった。
「……ありがとうございます」
「さあ、早く寝な! 明日も朝が早いよ! はっはっは!」
アヒルの看板が、静かな夜に揺れていた。
俺はクッキーの最後の一口を食べて、紙を片付けた。
転移者。別の世界から来た、料理好きの元バイトリーダー。
魔法もない。チート能力もない。
あるのは、前世で染み込んだ「飲食の記憶」と、今この場所にいる「人たちの温かさ」だけだ。
でも——それで十分だと、今は思える。
明日も、早起きだ。
次回もお楽しみに




