第十一話「噂は街を超えて、遠方からの客人」
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大繁盛が続いて、三週間が経った。
「満腹あひる屋」の変化は、この街の外にも届き始めていた。
きっかけは、おそらくリンだ。
旅の吟遊詩人というのは、歌と同じくらい「話」を運ぶ。リンがこの街に滞在しながら、立ち寄る旅人や行商人に話しかける。その会話の中に、自然と「満腹あひる屋」の話が混じる。
「この街に面白い食堂がある」
「聞いたことのない料理が食べられる」
「店主のじいさんが盛りすぎで有名らしい」
旅人の口から口へ、話は広がっていく。
その結果として——最近、見慣れない顔の客が増えていた。
最初の「遠方からの客人」は、隣街の商人だった。
四十代くらいの、恰幅のいい男。いかにも商売人らしい、人当たりのいい笑顔を持っている。
「噂を聞きましてね。黄色い煮込みというのが気になって」
どんぶりと煮込みを注文して、一口食べた瞬間に目を細めた。
「……これは、確かに中毒になりますな」
「ありがとうございます」
「この味、どこかで仕入れましたか。他では食べたことがない」
「ここで考えました」
男は俺をじっと見た。
「あなたが作ったんですか」
「そうです」
「……少し話せますか」
男の名前はヴェルナーといった。
隣街で「ヴェルナー商会」という中規模の商会を営んでいる。扱うのは食料品と日用品で、食堂や宿との取引も多い。
「実は、うちの商会で扱っている食堂のいくつかが、最近客足が落ちていまして」
「それは」
「料理の質というより、時代の変化だと思っています。同じものを出し続けていると、客が飽きてくる。新しい味を求めて、別の街に行ってしまう」
俺は静かに聞いた。
「それで、こちらに?」
「この店の話を聞いて、何かヒントになるものがあればと思って。正直に言いますと——あなたに、うちの取引先の食堂を見てもらえないか、という相談もあります」
俺は少し考えた。
(コンサルタントみたいな話だ)
前世でいえば、飲食店の業態改善コンサル。自分の店以外の場所で、料理や運営の改善を手伝う仕事だ。
「今すぐお答えはできません。ゼノフさんに相談してから、改めてお返事できますか」
「もちろんです。急ぎませんよ」
ヴェルナーは満足そうに煮込みをもう一口食べて、「これ、お代わりはできますか」と聞いた。
「できます」
「じゃあもう一杯。今度はカツを乗せてみたい」
ヴェルナーが帰った後、ゼノフさんに話した。
「コンサルタント、というのは?」
「店の外に出て、他の食堂の改善を手伝うということです」
「トウヤくんが、うちを離れるということかい」
「いいえ、ここを拠点にしながら、時々外に出る形になると思います。この店の仕込みと運営を回しながら——ただ、人手がさらに必要になりますが」
ゼノフさんは少し考えた。
「悪い話ではないね。ただ——トウヤくんが無理をしないかが心配だ」
「無理はしません。ここが最優先です」
「ならいいよ。やってみな」
二人目の遠方客は、それから二日後に来た。
今度は女性だった。
三十代前半くらい。旅装束だが、品のある身なりをしている。護衛らしい二人を連れているが、物腰は柔らかく、威圧感はない。
カウンターに座って、メニューを聞いた。
「全部、少しずつ食べてみたいのですが」
「できます。少量ずつでしたら」
「お願いします」
俺はどんぶり、麺、揚げ物、煮込み——全てを小さめの器で用意した。
女性は一つ一つ、丁寧に食べた。急がない。味を確かめるように、ゆっくりと。
食べながら、時々厨房の俺を見た。値踏みとも観察とも違う、真剣な目だった。
全部食べ終えた後、女性は静かに言った。
「素晴らしい。この料理は、あなたが考えたのですか」
「そうです」
「この街に来る前は、どこにいましたか」
「遠いところです」
「具体的には」
「……答えられません」
女性は少し微笑んだ。
「正直ですね」
「嘘をつくのが苦手なので」
「それは美徳です」
女性はカップを置いて、俺を真っ直ぐ見た。
「私はアデラ・フォン・ライムと申します」
俺には聞き覚えのない名前だったが、護衛の一人が「フォン・ライムって、東の伯爵家じゃ——」と小声で言ったのが聞こえた。
「今日は個人的な旅の途中で寄らせてもらいました。ただ——」
アデラは続けた。
「あなたの料理を食べて、少し考えが変わりました」
「と、いいますと」
「うちの領地に、いくつか食堂があります。でも正直、どこも元気がない。住民が食を楽しんでいない感じがして、ずっと気になっていました」
「……」
「あなたにその食堂を見てほしい、という話ではありません。ただ——この店のことを、もっと多くの人に知ってほしいと思いました」
アデラはゼノフさんを見た。
「主人は、あなたですか」
「はい! ゼノフと申します!」
「素晴らしいお店です。長く続けてください」
「ははあ、ありがとうございます! はっはっは!」
アデラは立ち上がり際に、もう一度俺を見た。
「またいつか、来ます。その時にもう少し話を聞かせてください」
「お待ちしています」
アデラが帰った後、ゴルドがぼそりと言った。
「フォン・ライム伯爵家の人間が、こんな街に来るとは思わなかった」
「有名な家ですか」
「東の大きな領地を持つ貴族だ。政治的には中立派で、評判は悪くない」
「……なんでこんな街に?」
「本当に「個人的な旅」なのかもしれない。貴族でも、時々ただの人間として歩きたくなることはある」
グレイが静かに言った。
「ただし、あの女性が「また来る」と言ったのは社交辞令ではないと思う」
「なぜですか」
「貴族は嘘をつく時、もっと上手く笑う。あの顔は本気だった」
三人目の遠方客は、さらに翌日に来た。
今度は、全く毛色が違った。
若い男だった。二十歳前後、俺と同じくらいの年齢に見える。装備は冒険者風だが、どこか垢抜けている。肩に、珍しい形の紋章が入った外套を羽織っていた。
扉を開けた瞬間に、店内をぐるりと見渡した。
その目が、やたらと鋭かった。
カウンターに座り、「一番有名なやつを全部」と注文した。
どんぶり、揚げ物、煮込みが出てくるたびに、一口食べて、何かを考えるような顔をした。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
「ここの料理、全部お前が作ってるのか」
「そうです」
「どこで覚えた」
「遠いところです」
男は少し面白そうな顔をした。
「みんなにそう言ってるのか」
「そう言うしかないので」
「正直だな」
男は揚げ物をもう一口食べながら、「俺はシグって言う」と名乗った。
「トウヤです」
「知ってる。この街に来てから、三回お前の名前を聞いた」
「それは」
「冒険者ギルドで一回、宿で一回、路地で話してたじじいから一回」
路地のじじいは、おそらくゼノフさんだ。
「冒険者ギルドで、ですか」
「ああ。「あひる屋の新しい料理人が面白いやつだ」って話が広まってるぞ。冒険者の口コミは早い」
俺は少し驚いた。
(冒険者ギルド……)
この世界に来てから、まだ一度も行ったことがない場所だ。
「シグさんは、冒険者ですか」
「まあそんなとこ」
「この街に来たのは?」
「依頼があって。終わったから飯を食いに来た」
シグはどんぶりをもう一口食べてから、俺を見た。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前、この街に根を張るつもりか」
「……どういう意味ですか」
「この料理は、この街だけにあるには勿体ない。外に出ようとは思わないのか」
俺はしばらく考えた。
「今は、この店を大事にしたいと思っています」
「いずれは?」
「……わかりません。でも——」
俺はゼノフさんの背中を見た。
厨房で、楽しそうに鍋をかき混ぜているゼノフさんの背中を。
「ここが、俺の起点です。どこに行くにしても、ここに戻ってくる」
シグは少し間を置いてから、「そうか」と言った。
「じゃあ、また来る」
「お待ちしています」
シグは代金を払って立ち上がり、扉に向かった。
出がけに振り返った。
「なあ、トウヤ」
「はい」
「冒険者ギルドに、一度顔を出してみろ」
「なぜですか」
「お前のことを聞きたがっている奴がいる」
それだけ言って、シグは出ていった。
翌日の朝。
麺の仕込みをしながら、俺は昨日の三人のことを考えた。
商人のヴェルナー。貴族のアデラ。冒険者のシグ。
三者三様だが、共通していることがある。
全員、「この先」の話をしていた。
(噂が街を超えた、ということは——この店が、もう「この街だけのもの」じゃなくなりつつあるということだ)
前世のビジネスで言えば、「ローカルからリージョナルへ」の転換期に近い。地域密着型の小さな店が、周辺地域に知られるようになる段階だ。
この段階で、何を守って、何を変えるか——それが問われる。
俺は麺を踏みながら、整理した。
守るべきもの。
ゼノフさんの大盛り。料理の質。常連が気軽に来られる雰囲気。この場所にしかない「根っこ」。
変えてもいいもの。
提供できる料理の種類。営業の仕組み。外との繋がり。
そして——変えなければならないかもしれないもの。
(人手だ)
これが、今一番の課題だった。
俺とゼノフさんの二人体制では、今の客数はギリギリ回せている。でも、遠方客がさらに増えれば、いつか限界が来る。
新しい人を入れるとすれば、誰に声をかけるか。どんな人材が、この店に合うか。
(採用基準を考えないといけない)
前世でいうなら、採用面接の設計だ。飲食店の採用で大事なのは、技術より「この店が好きかどうか」だと、師匠が言っていた。
技術は教えられる。でも「好き」は教えられない。
この店が好きで、ゼノフさんの料理哲学を理解できる人間——それが条件だ。
朝営業が始まった頃、ラドク隊長がいつものように来た。
麺をすすりながら、隊長は静かに言った。
「ベルク商会の件、動きがあった」
「どんな動きですか」
「セルヴァが商会に連絡を取った。本部から弁護士に相当する人間が来るらしい。法的に対抗してくるつもりだろう」
「想定内です」
「そうか」
「証拠は揃っています。エレナさんに帳簿も整理してもらっていますし、各店の証言は書面にしてあります」
ラドク隊長は少し目を細めた。
「……お前、本当に半月前に来た人間か」
「そうですよ」
「普通、こんな動きはできない」
「前の世界で、似たような状況を何度か経験していました」
「どんな世界だ」
「……飲食業界です」
ラドク隊長は「よくわからないが」と言いながら、麺をもう一口すすった。
「とにかく、法的な対抗は俺たちの仕事だ。お前たちは店を守ることに集中しろ」
「はい」
「一つだけ聞く」
「なんですか」
「昨日、フォン・ライム家の女性が来たと聞いた。本当か」
「来ました」
ラドク隊長は少し考えてから、「そうか」と言った。
「……あの方が動けば、ベルク商会も慎重にならざるを得ない。東の大貴族と揉めるのは、商会にとってもリスクが大きい」
「そういうものですか」
「そういうものだ。この世界では、誰と繋がっているかが、時に剣より強い」
俺はその言葉を、静かに頭に刻んだ。
昼になると、あひる組合の店主たちが揃って来た。
毎週の定例の集まりだ。
今日はいつもより顔が明るかった。
「トウヤくん、聞いたかい」ボルクが言った。「ベルク商会が、東の方の街から撤退したらしい。そっちでも似たようなことをやっていたらしくて、向こうで先にやられたって話だ」
「そうですか」
「うちらだけじゃなかったんだな。あちこちでやってたわけだ」
「それだけ組織的だということです。ただ——」
俺は続けた。
「まだ油断はできません。本部からの対抗手段が来ます。備蓄と、仕入れルートの確認を今一度お願いします」
「わかった」
ヴェルナーも来ていた。
組合の話を聞きながら、感心したように言った。
「こういう仕組みを、半月で作ったのですか」
「皆さんが協力してくれたので」
「いや、仕組みを設計した人間がいなければ、協力もできない。あなたは本当に——」
ヴェルナーは言いかけて、少し笑った。
「面白い人ですね」
「よく言われます」
「うちとの件、前向きに検討していただけますか」
「ゼノフさんと話しています。もう少し待ってください」
夕方、リンが竪琴を弾き始めた。
今日の曲は、少し賑やかな調子だった。
テーブルが全部埋まった店内で、いろんな会話が重なり合う。冒険者の武勇伝、商人の愚痴、衛兵の仕事話、組合の報告——全部が混ざって、一つの温かい騒がしさになっている。
俺は厨房でどんぶりを盛りながら、その音を聞いていた。
カイルが「トウヤさん、今日また新しいお客さんが来てましたね! なんかすごい人でしたっけ?」と聞いてきた。
「昨日と今日で、三人の遠方客が来ました」
「すごいじゃないですか! もっと有名になりますよ、きっと!」
「有名になることが目的じゃないですが」
「でも嬉しくないですか」
俺は少し考えた。
「……嬉しいですよ。ただ、有名になることより——」
「より?」
「この店に来た人が、また来たいと思ってくれることのほうが、嬉しいです」
カイルは少し考えてから、「それって、結局同じじゃないですか」と言った。
「どういうことですか」
「また来たいと思う人が増えたら、結果的に有名になるんじゃないですか」
俺は思わず笑った。
「……そうですね、確かに」
「カイルくん、たまに鋭いこと言うね」
ゼノフさんが笑いながら言った。
「たまには!? いつも鋭いですよ!」
閉店後。
片付けを終えて、俺は二階の部屋に戻りかけた。
階段の途中で、窓から外を見た。
石畳の路地に、アヒル看板の影が伸びている。
今日一日で来た客の顔が、頭の中を流れていく。
常連たちの顔。遠方から来た三人の顔。初めて来た顔、久しぶりに来た顔。
(この場所は、本当にいろんな人が集まってくる)
前世の自分が、こんな場所を作れるとは、思っていなかった。
いや——正確には、作りたいとは思っていたけれど、自分一人ではできないことも、わかっていた。
ゼノフさんがいて、ゴルドがいて、グレイがいて、リンがいて、エレナさんがいて、カイルがいて、ハンスとヨハンがいて、ルルちゃんがいて——そういう人たちが最初からいた場所に、俺は来た。
俺がしたのは、そこに「仕組み」と「新しい料理」を加えただけだ。
(でも、それで十分だったのかもしれない)
俺は窓から目を離して、階段を上がった。
明日も、早起きだ。
冒険者ギルドにも、そろそろ顔を出してみよう——シグの言葉が、頭の隅に残っていた。
アヒルの看板が、夜風に揺れていた。
その影が、石畳の上で少し大きくなっているような気がした。
「満腹あひる屋」の噂は、今夜も誰かの口から口へと、どこかへ旅立っていく。
次回もお楽しみに




