剥落(1)
タイロン家が族滅した翌朝、一台の馬車が、農道を駆けていた。豪勢な外装に、護衛のように二台の馬車で挟んでいる。隣国の外交官、レオーネは欠伸をしながら、退屈そうにビュートの景色を眺めていた。
「しかし、いきなり過ぎるな。こんな招待を受けるなんて、俺は王族か?」
「ご謙遜を、レオーネ様」
白髪の執事が微笑むが、レオーネは今回の招待に未だ実感を得ていなかった。赤髪を掻きながら、ビュートの市民に迎え入れられる。いつものように手を振るレオーネだったが、彼は一抹の不安を持っていた。
幌を閉じると、執事に話しかける。
「なあ。ついこの前まで戦争していた都市か? ここが」
「と、仰いますと?」
「厳戒態勢で臨んだのに、拍子抜けするくらい、皆友好的に手を振るんだ。思わず振り返しちゃったよ」
「さようでございますか……。しかしながら、タイロン家に代わって、一時的に政情が安定したからではないかと、爺は愚考致しますが」
「そうかな~。まあ、タイロン家とやらに会ってみるか」
「何せ初対面でございますからな」
楽観視する執事を尻目に、レオーネは射るようにタイロン家の城を睨んでいた。
十分後、馬車が停まる。迎えてくれたのは、一介の憲兵だった。
「タイロン家の遣いはどうしたのだ。なぜ憲兵しかおらぬ」
「申し訳ございません。アザレア様のご命令で、タイロン家の者はレオーネ様に近づけるなと……」
「そんなバカな話があるか。というかアザレアとは何者だ!」
「なんと、アザレア様を知らない! アザレア様は、このビュートの救世主でございます。金貨を民衆に分け与え、身分の貴賤問わず職をもたらし……」
憲兵が心ここにあらずといった具合で、演説紛いのことを始めた。レオーネはすっかり血の気が引いており、執事と顔を合わせることしかできない。そうしている間にも、爆発音のような歓声が耳に入った。それを合図に、憲兵たちがレオーネらを取り押さえ、城の中へと入っていく。
「何をする! 俺は外交官のレオーネだぞ! こんな無礼なことがあってたまるか!」
「もう少しで、アザレア様のもとに到着致します」
「話を聞け! 今離さないと、外務大臣に……」
必死に振りほどこうとするが、脚だけが虚しくジタバタするだけだった。歓声が段々大きくなっていく。『立ち入り禁止』と札が掛けられていた執務室の扉には、まだ新しい血糊がついている。それをレオーネは見逃さなかった。
「なんだあれは! 血がついているじゃないか!」
「我々が粗相をしてしまいましてね。お見苦しい物をお見せしてしまい、お詫び申し上げます」
感情のない声で詫びる憲兵。そして、重苦しい扉の前で止まった。取っ手を掴み、ゆっくりと開けると、そこには民衆に手を振りながら笑顔を振り撒く、アザレアの姿があった。深紅のドレスに身を包み、愛用の扇で口を隠しながら、民衆の歓声を一身に受けている。その様子を、レオーネと執事は唖然として見つめるしかなかった。
「な……、なんと」
「あら、いらっしゃいましたか、レオーネ様。私、本日からこのビュートの統治者となりました、アザレアと申します」
「と、統治者、でございますか?」
執事が口を挟んだことに気分を害したアザレアが、彼を睨みつける。すると、執事が泡を吹いて卒倒してしまった。「爺!」と叫ぶ間もなく、憲兵に囲まれるレオーネ。じりじりと近づくアザレアが扇を畳むと、ここに転移して一番の笑顔になった。
「さあ、参りましょう。愛しい貴方」
「何を言って……」
無理矢理アザレアの右手を掴まされるレオーネ。しかし、彼から拒絶の色が突如として失せ始めた。汗だくで引き攣った表情が徐々に緩み、ゆっくりと手を引いて立ち上がる。
「レオーネ様、それでは、一緒に馬車へ」
「……ああ。アザレア」
抵抗しないことが分かると、憲兵はアザレアたちを取り囲むようにして陣形を組んだ。二人が馬車に乗り込むと、ゆっくりと幌が閉められる。アザレアは間近のレオーネに、すっかり骨抜きにされていた。
「レオーネ様が、遂に私のものに……」
「何を言っているんだ? 俺は元からキミのものじゃないか」
「レオーネ様……?」
「跡継ぎはどうする? 俺が婿養子として、ここに入ろうか?」
「話が早すぎましてよ? もうっ」
だらしない笑顔のアザレアを、レオーネは愛おしそうに見つめていた。御者に「いつもよりゆっくりと馬車を動かしなさい」と命令すると、馬車が動き出す。車内はアザレアとレオーネの愛欲に包まれていた。レオーネの口元に、リップ音が響くほど熱い接吻を送る。その様子は何処か拙かった。
やがて観衆の声が近づいてくると、名残惜しそうにレオーネから身体を離す。深紅のドレスは乱れた影響で皺が目立っていた。レオーネも疲れたように眠っており、アザレアは身も心も満たされていた。
「さて、やるか……」
馬車が停まると、レオーネを口付けで起こす。彼の手を引いて馬車から出ると、割れんばかりの拍手と、耳を切り裂くような歓声が二人を包んだ。「アザレア様万歳!」の合唱も聞こえる。胸を張り、扇を構える彼女が、演説台に立った時、民衆の盛り上がりは最高潮に達した。後ろには、抜け殻のようなレオーネが控えている。それだけでも、アザレアには心強かった。




