罪過(2)
バーでは、アトラが全員分の朝食を作っていた。量が昨日よりも少ないことに、スラヴィアの顔が歪んでいる。
「アトラ、スーこれじゃたりない」
「あともう少しで、食料品も元の価格に戻るから、我慢して? ね?」
「うー……」
夢とモッカが、皆に配膳をする。「ありがとう」という一言が、日常を取り戻しつつある感じがして心地良い。モッカはカミックの元へ、朝食を渡す。
「どうも。力、制御できてるじゃん」
「そ、そうですか……?」
「ああ。モッカも座れ。一緒に食おう」
配膳を終えた夢とモッカを座らせ、一同が食卓を囲む。シュパーブだけが硬い表情をしており、カウンターを指で不規則に叩いている。
「姐さん、モンテロさんのことですか?」
「ああ、カロック。あいつ、一晩経っても戻らないんだよ。アザレアと何かあったかもしれない」
「アトラさんの目の前で言うことじゃないですよ。きっと大丈夫です」
「そうですよ! あの人に限って……」
すると、三回ノックが鳴った。背筋を伸ばすアトラに、自然と腰に手が伸びるシュパーブ。アトラを無言で制止すると、出入口の小窓を覗く。「名を名乗れ」と、人影を察知したシュパーブが、顔をしかめながら問いかけた。
しかし、彼女の表情は、扉越しの声を聞くと一瞬にして崩れた。直ぐに扉を開けると、そこには紋章が外れたモンテロが立っていた。
「貴方!」
「よせ、アトラ。皆見てる」
アトラが泣きながらモンテロを抱き締める。『悪臭』など、気にならなかった。彼女を身体から離すと、モンテロが申し訳なさそうに笑う。
「悪い、アトラ。俺、憲兵クビになった」
「まぁ……。だから紋章が」
「賭けに勝ったよ。あの女王様、俺が思っている以上に心が広い。俺が『正直に』話しただけで極刑や投獄を無しにしてくれたんだ」
「正直、か。モンテロ。改めて感謝する」
完食したフローが、パンくずを口につけて深々と一礼する。自然と直立不動になるモンテロだったが、フローは優しく歩み寄った。
「奥方の前だぞ。力を抜け」
「しかし……」
「それとも、私の命令が聞けぬと?」
「……承知致しました」
フローが大笑いすると、隣に招き入れた。これで全員揃った。夢の眼に生気が灯る。
「さて、食べたら作戦会議といこう」
「はい!」
フローの号令で、皆の心が一つになった。
その頃、アザレアは未だに事務室にいた。会わなければいけない人を待っていたが、ドアがノックされる。「入れ」と無機質に言うと、タイロン家とその親族が、アマロックを筆頭に列をなして入室してきた。彼は終始俯いており、これから起こることを予期するかのように、直ぐにアザレアに向かって土下座をした。
「申し訳ございません! 我々がいておきながら、死刑囚を逃がしてしまって……」
「そのことだが、先ほどモンテロとかいう憲兵をクビにした。今回の話はこれで手打ちだ」
「え……?」
「私の命令に素直に従ってくれたことには感謝する。今回は表向きには出さん」
大きく溜め息を吐くアザレアに対し、アマロックは立ち上がることができなかった。息子二人が無理矢理立たせると、アザレアが笑顔を向ける。
「では、我々はこれで……」
「誰がもう話は以上だと言った?」
「まだ何か……?」
「憲兵をクビにした後に、私の忠実な部下から一報が入ったんだ。何だと思う?」
「……何のことだか」
薄ら笑いを浮かべるアマロックに対し、アザレアの表情が豹変した。キッっと睨みつけると、後方にいたゴルの妻に対し、魔法を放ったのだ。悲鳴をあげる間もなく、四散する。血飛沫や肉片が子どもやゴルたちに振りまかれると、アマロックの顔が一瞬にして青くなった。
「な、何を……!」
「それはこっちの台詞だ。先ほど、フロー・アクロスが脱走したとの報が入ったんだよ」
「はぁ!? そんなはず……」
バズが反論する暇もなく、アザレアはその隣で泣き喚いているゴルの頭に、魔法でできた刃を飛ばす。一瞬の静寂の後、兄の血が彼を染め上げた。子どもや妾はパニックで泣き叫び、嘔吐する、地獄絵図が完成していた。
「魔法の一つも使えない憲兵が、どうやってあの特別房から脱獄させた? そんなの無理に決まっているだろう。誰が特別房に入った? 私しか入れないはずのあの場所に!」
「落ち着いてください! 我々とて、あの房に入ることは叶いません!」
「黙れ! どうせどっかから転移者でも連れて来て、脱獄させるよう取り計らったんだろう! 私はどうせ嫌われ者だ! お前らだって、私を見捨てるんだ! そうなんだろう!」
「とんでもない! どうか落ち着いて……」
「私に口ごたえするな!!」
アザレアの怒りが頂点に達した時、彼女は指を鳴らした。その直後、事務室に憲兵が五人ほど入ってきた。紋章が鈍い光を発しており、その異様な光景に、妾たちは口を閉ざす。一人の憲兵と目が合ったが、様子がおかしい。彼の瞳は完全に濁っており、自分の意志などないように、アザレアの元へと歩いていく。
「……集まったな」
「何をなさるおつもりですか?」
「やれ」
もう一度、指を弾く。五人の憲兵が重たく歩き出すと、うち一人が赤子を抱えた妾に焦点を合わせた。困惑する妾に対して、憲兵は迷いなく、自身の持つ槍で脳天に突き刺したのだ。血飛沫が床に撒かれる。白目を剥き、打ち上げられた魚のように大きく跳ねるが、更に深く刺し込むと、完全に停止してしまった。
血、臓物、吐しゃ物、そして涙。全ての匂いが醜く充満する。扉が閉ざされた今、タイロン家の命はあってないようなものだった。ある者は斧で胴体を一刀両断され、またある者は子どもごと槍で腹を貫かれた。バズの妻は、耳を切り取られた後、二人がかりで身体を弄ばれた。
「やめろ! 俺の妻に手を出すなぁぁ!」
憲兵二人に飛びかかろうとするバズだったが、その後ろを、冷たい刃が貫いた。振り向くと、別の憲兵が二人、彼の身体を執拗に突き刺していく。断末魔をあげる権利すらなく、事切れる。それでも、生肉を突き刺す音は止まなかった。
一族を根絶やしにするのに、時間は掛からなかった。子どもの生首をぞんざいに投げ捨てると、あとはアマロックただ一人だった。彼は絶望に耐えかねて、涙を流して笑っている。自分がした愚行、担ぐ神輿を間違えた己の無能さ、そして目の前で消えていく家族の命。転移者さえいれば、全部成功すると思っていた。転移者さえいれば、安寧が訪れると思っていた。でも、そうじゃなかった。転移者は、諸刃の剣だった。
「あは、あははは、あはははははは!」
ぐちゃぐちゃになった感情を、無感情が貫く。肘、膝、手首、足首。逃げられないように的確に突いていく。それでも、顔だけはアザレアをしっかりと向いていた。お前さえ擁立しなければ、お前さえ調子づかせなければ。沢山のたらればが、彼の走馬灯を過る。
「アザレアあぁぁ! 愚かな転移者めぇぇ、タダで済むと思うなぁぁぁ!」
痛みなど、感じていなかった。極限の状況でも這いつくばり、目の前の女へと近づこうとする。デスクという名の玉座にあと指一本というところまで迫ったが、遂に腰を貫かれてしまう。笑いと悲鳴が入り混じるが、ここでアザレアがもう一度、指を鳴らした。
たちまち憲兵が動きを止め、五人で円陣を組むように集まる。そして一斉に、自身の喉を槍で突いたのだ。彼らの斃れる音が、アマロックの耳をつんざく。
「愚かな転移者、か……。その愚かな奴を御せなかった奴は、もっと愚かなんじゃないか?」
指を鳴らすと、弾けるアマロック。骨の一片も残らず、当主は消え去った。




