懇願(2)
「おうおう、転移者様のご登場だ」
「カロック、その辺にしておけ」
朝食を用意していた双子は、剝き出しの警戒心を夢に向ける。肉を焼いた煙が夢の五感を刺激する。だが直後、彼女は正座をして、頭を地面に擦り付けた。
「昨日は私を助けて下さり、ありがとうございました。この恩は一生忘れません」
「……何言ってんだこいつ。まだ熱にうなされてるのか?」
突然の奇行に、カミックは怪訝な視線を送った。治療を終えたばかりの膝や足裏に、容赦なく小石が食い込む。耐えがたい痛みに、夢から嗚咽が漏れるが、震える声で言葉を絞り出す。
「私を、見捨てないで下さい。ここで捨てられたら、本当に私は一人になってしまいます。お願いします! 皆様の為に、何でもしますから、どうか私を、助けて下さい!」
尊厳などなかった。地面に頭を擦り付け、喉を震わせて叫ぶ。
「……なあどうする、カミック」
「どうするも何も、姐さん次第だろ。俺たちだけじゃ決められねえ。おい転移者。もう少しで姐さんが来るから、頭上げろ。俺たちは王族なんかじゃねえし、なんかムズムズする」
双子は呆気にとられた様子で顔を見合わせ、夢の様子を窺う。だが、決して夢は顔を上げなかった。ひたすら「お願いします」と懇願する。ここで頭を上げたらどうなるか分からない。命乞いをする以外に、道はなかった。
「だから、頭上げろって。お前本当に転移者かよ。なんか調子狂うな……」
「そうだな。そろそろ飯にしないか? 私は腹ペコなんだ」
馬車からスラヴィアを引きずって、シュパーブが姿を見せた。双子がようやく胸を撫で下ろすが、直後続いた言葉に言葉を失った。
「姐さん、今なんて?」
「だから、飯にするぞ、カロック。転移者の話を聞いてやろうじゃないか」
「は、はい……。転移者、いい加減頭上げろ。姐さん来たぞ」
カミックが無理矢理、夢の身体を起こす。痛みに顔が歪むが、弱みを見せまいと気丈に立ち上がる。
「ここに座れ。カロック、肉を切り分けてくれ」
「転移者にもですか?」
「ああ。口に合うと良いがな」
カロックが、昨夜仕留めた獣を切り分ける。木製のフォークを差し出された夢は、皆が食べ始めたタイミングで口をつけ始めた。
隣ではスラヴィアが吐息で凍らせた後、シャーベットのような音を立てて食べている。恐る恐る獣肉を食べる夢。脂が少なく、なかなか嚙み切れない。数十回噛んでようやく飲み下すと、それだけで疲労を感じた。鼻から抜ける鉄の匂いに、一瞬戻しそうになるが、どうにか飲み込んだ。
「どうだ、美味いか?」
「……とても美味しいです」
「そうか。口に合ったようなら何よりだ」
双子はいち早く平らげると、一瞬だけ夢に視線を走らせ、川で食器を洗いに席を離れた。焚き火が真っ赤に燃える中、スラヴィアは「おいしかった」と満足気に腹を叩いて馬車に戻ろうとする。だが、シュパーブはそれを許さなかった。
「これから大事な話をするから、もう少しだけここにいてくれないか?」
「……うん」
不満げに眉を寄せながらも、渋々着席するスラヴィア。納得したシュパーブは肉に手を付ける。サイコロ状に切られた獣肉を美味しそうに食べる姿は、優雅だった。夢は思わず、視線が釘付けになってしまう。一方、スラヴィアはシュパーブと馬車を交互に見て、「帰りたい」というオーラを出している。
食器を洗い終えた双子が戻ってくる。シュパーブが何もされていないことに安堵しながらも、夢への警戒を解くことはない。痛いほどの視線に気圧されそうになるが、夢はシュパーブが完食するまで、口を開くことはなかった。
シュパーブの器が空になったと同時に、夢も最後の一片に手を付ける。素材の味が口の中を支配するが、一切表情を変えず、飲み下した。「ごちそうさまでした」と呟くと、双子は怪訝そうに顔を見合わせる。
「さっき、なんて言ったんだ?」
「さあな。転移者特有の呪文みたいなものだろう」
「その割には、何も起こらないけどな……」
夢はシュパーブと双子が視界に入るように、椅子を移動させた。焚き火の弾けるような音だけが、静寂に響く。
「食事も終わったことだし、少し話そうじゃないか、転移者。先ずはお前の名前を名乗って貰おうか。お前が名乗ったら、私たちも名乗る」
「え? 俺もですか?」
「これも礼儀だよ、カロック」
カロックは不満気が、「……はい」と、感情と文句を押し殺して従う。
「……お話を聞いて下さり、ありがとうございます。私は佐倉 夢……、じゃない。ユメ・サクラと申します。17歳の学生でした。こことは違う世界から、あのバカ犬……、じゃなかった。妖精に無理矢理連れて来られました」
淡々と、しかし言葉を選びながら話す夢に、三人は黙ったまま頷いた。シュパーブの執念深い視線が、夢を値踏みするように射抜く。
「17歳で学生? 良いなぁ。俺なんて12の時には働いてたぜ」
「……そうだな」
「ユメ、と言ったな。連れて来られただって?」
「はい。信じて貰えないかもしれませんが、いつの間にかこの世界にいたんです。私はここから、今迄いた世界に帰りたいだけなんです」
「……帰る?」
その一言に、三人は耳を疑った。視線が一斉に夢へと集中すると、彼女は委縮しそうになった。それでも、信じて貰おうと、乾ききった喉から言葉を絞り出す。
「帰りたいんです。私はあっちの世界で家族がいるんです。本当にそれだけなんです。だけど、一人じゃどうしようもないんです。お願いします。私を貴女の所に少しだけでも置いて頂くことはできませんか? せめて次に着く街まででも!」
「……言いたいことは分かった。まあ落ち着け」
「姐さん?」
「面白いことを言うじゃないか。要はここから転移する前の世界に帰りたいってことだろう? こんなこと言う転移者は初めてだよ!」
豪快に笑うシュパーブを見る双子は、困惑しきりだった。スラヴィアに至っては事態が飲み込めないようで、おろおろと辺りを見回すことしかできなかった。
「そうかそうか。分かった。お前は他の転移者とは少し違うみたいだな。良いだろう。街まで送ってやろう」
「姐さん? 相手は転移者ですよ!」
「話を最後まで聞け、カミック。その代わりユメ、街に着いても後悔するなよ? お前の住んでいた世界のような甘えは通用しないからな」
何処か突き放すような態度だったが、夢はシュパーブの言った意味を咀嚼するので精一杯だった。少しだけ見えた望みに胸を撫で下ろすが、緊張の糸は、まだ張ったままだった。




