懇願(1)
翌朝、夢はゆっくりと目を開けた。肌寒さに身をよじると、身体中に激痛が走る。「痛っ……」と思わず声が出ると同時に、彼女は生きている実感を得た。
「ここは……?」
夢が辺りを見回すと、薄暗い荷台に、大量の荷物が積まれている。麻袋の中からは、野草と思しき物が詰められていた。その隣には、カラカラと鼾をかいて眠る少女。いつの間にこんな所に……? 彼女が疑問に思っていると、足の裏に電撃が走る。土踏まずの辺りがじんじんと痛み、座席から崩れ落ちた。
「あっつう……」
その音で、スラヴィアが目覚めた。寝ぼけ眼で見つめる先には、黒髪の女。白い肌が、更に青白くなる。
「て、てんいしゃ……」
「あ、あの……、貴女は?」
「……」
スラヴィアは恐怖と緊張で口が開かない。身体全体で荷物にしがみついて、警戒を崩さない。夢は震える膝に力を込め、どうにか立ち上がろうとする。しかし、足が地に着く度に顔が歪む。
「いったぁ……」
「……」
荷台の中に伝わるのは、二人の荒い呼吸だけだ。脂汗がしたたる夢が、スラヴィアを見上げる。
「ねえ、貴女、名前は?」
「……」
「お願い。私は何もしないから! 本当に!」
「ひぅ……!」
スラヴィアのしがみつく力が、一層強くなった。辺りの温度が急速に低下し、車外に冷気が漏れる。視線は拒絶と侮蔑に満ちていた。
「お前、スーにわるいことするんだ。知ってるんだぞ!」
「そんなことしない! 私はただ、元の世界に帰りたいだけ! お願い、信じて……」
立ち上がろうとした瞬間、足裏の痛みが全身を貫いた。支えを失い、泣きながら崩れ落ちる夢。なりふり構わず泣きじゃくるが、スラヴィアの警戒は変わらない。すると突然、幌が乱暴に開かれた。
「朝から何の騒ぎだ、スラヴィア」
朝の日差しを背に、呆れが混じった声が聞こえる。シュパーブだった。スラヴィアは彼女の背中にすがりつく。その目は未だに転移者への恐怖で渦巻いていた。
「シュパーブ、ごめん……。てんいしゃがおきたの。そしたらね、スーにむかって、『名前を教えて』って。スー、こわくなって……」
「そうか、分かった。怖いよな。だけどスラヴィア。目の前の転移者は今、どうなっている?」
「……痛がってる」
嗚咽するだけの夢を、スラヴィアは真っ青な瞳で見つめていた。どうしたらいいのか分からず、シュパーブに縋る。
「そうだな、この子は痛がっている。そうしたらスラヴィア。お前は何をする?」
「助ける」
「そうだ。昨日みたいに、足の裏を応急処置してくれ。冷やしたら良くなるだろう」
「でも、てんいしゃだよ? この人」
「そう、その通りだ。だけどなスラヴィア。ここで見捨てたら転移者と同じになってしまう。そうならない為にも、この子は手当てしなきゃいけないんだ」
シュパーブの一言で、スラヴィアは目の色を変えた。
「ちがう! スーは、てんいしゃと同じなんかじゃない!」
「そうだ。だからこそ、お前は救わなきゃいけない。やり方は昨日と同じだ。頼むぞ」
スラヴィアは夢の腫れ上がった足裏に、そっと両手をあてがった。ひんやりとした刺激がぶつかる度に、歯を食いしばる夢だったが、少し経つと、荒かった呼吸が落ち着きを取り戻し始める。
「ゴミ、取るね……?」
こびりついた砂利を手で払っていく。シュパーブは手技に感心しつつ、夢の全体像を解読し始めた。
黒髪といい、華奢な身体といい、転移者としての要素は揃っていたが、何処か弱々しい雰囲気に、彼女は「うーん……」と喉を鳴らす。すると、再び荷馬車の幌が開いた。
「姐さん、ここにいたんですか。朝飯できますよ」
「カロックか。あぁ、分かった」
「転移者の様子は?」
「生きているよ。スラヴィアが治療している」
「しかし本当に転移者っぽくないですよね。あんなところで野垂死にそうになるなんて、普通はあり得ないじゃないですか」
「ああ。なんというか、弱いんだよ、こいつは」
カロックは苦笑して、痛みで汗が引かない夢を見下ろす。腫れ上がった足裏を両手で包みながら、「いたく、ない?」と不安げに聞くスラヴィア。夢は首を横に振ることしかできなかった。
「姐さん、俺ら外で待ってますから」
「朝飯、ありがとうな」
「それが俺らの仕事ですから。転移者、姐さんに変なことするなよ」
低い声で警告するカロックだったが、今の夢に、それを咀嚼する余裕はなかった。赤黒い足の裏は、スラヴィアによって冷やされていた。彼女は昨夜と同じく指先を真っ赤にしながら、夢の表情を窺っている。
「ふー、ふー……。シュパーブ、まだやる?」
「……そろそろかな」
「分かった。スー、がんばる!」
足の裏だけでなく、膝下までも冷気で覆い尽くす。歯を食いしばって耐えていた夢だったが、強張った身体からようやく力が抜けてきた。呼吸が深くなり、徐々に汗が引いていく。
「そこまでだ、スラヴィア」
「はぁ、はぁ。もう、いいの?」
「大丈夫だ。おい転移者、もう自分で歩けるはずだ」
大の字になって倒れるスラヴィア。息も絶え絶えだったが、その口元には笑顔が浮かんでいた。夢は座席に掴まって立ち上がると、膝に力を込め、自分の脚で歩き出す。壁に手を伝い、痛みを逃がすように足を踏み出し、どうにか馬車から出ることができた。




