亜人(1)
夜道を逃げるように駆けていく馬車。屋根には季節外れの雪が積もっており、それが農道にどさどさと落ちていく。その荷台の中で、夢は悶絶していた。スラヴィアを抱き締めた後、急激に凍傷のような激痛が走ったのだった。
「あぁぁ~、寒い寒い寒い寒い……」
「スラヴィアを直接抱き締めるからだ。アトラが待っているから、治療して貰おう」
「アトラさん、そんなこともできるんですか? 俺初めて知りましたよ」
カロックが幌を少し開け、追っ手が来ないことを確認しながら話す。いつの間にか、夢の髪色は黒に戻りつつあった。シュパーブに自己紹介をしたモッカが不思議そうに、うずくまり荒い息を吐く夢を見つめる。
「ユメさん、金髪じゃなかったんですね」
「私、転移者、だから……」
「えぇ!? そうなんですか?」
監獄ではずっと金髪だった夢だったが、ここにきて魔力が薄まってきた。根元から黒い髪色が侵食し、プリン頭のようになっている。モッカの一言で慌てて髪を触る夢だったが、髪質が戻っているのを感じた。
「まさか金髪じゃなくなってる?」
「はい……。なんか、凄い勢いで黒髪になってます」
「似合ってたのにな、ユメの金髪」
カロックが口を尖らせて、魔力を失った夢を見つめる。と、馬の蹄が踏み締める音が変わった。農道のぬかるみに似たものから、石畳をノックするようなものになる。だが、民衆は殆ど外出しておらず、残っているのは飲み屋で駄弁っている男たちくらいだった。
「こんな時間に馬車だぁ?」
「あれだろ。明日の朝市のやつだろ」
格別怪しまれていないことにホッとしているのは、御者台に座るカミックだった。後ろを向くと荷台で縮こまっている皆に向け、目配せで「大丈夫」と送る。
「皆はここで降りてください。俺は停車場でこいつを停めてくるので」
「頼んだ、カミック」
「生きて帰ってこいよ」
カロックの言葉に、力強く首を縦に振ると、カミックは馬車と共に闇夜へと消えていった。麻袋を重たそうに背負うカロックと、周囲に怪しまれないよう、夢を隠すように歩調を合わせるシュパーブ。彼女の背中には、眠りこけたスラヴィアもいた。モッカも囚人服を隠すように、身を縮こまって歩く。
カロック以外は女性だった。それで夜道を歩く姿は、周囲が下卑た目で見る理由に余りあった。中には無謀にも、シュパーブにナンパをする中年男性もいたが、「失せろ」と一蹴されてしまった。
「このままだとアトラのバーに入れないぞ」
「ですね……。今日も開けてないんですよね?」
「どうすればいいんですか? 私、ちょっと怖いです……」
モッカが弱音を吐くが、シュパーブは依然として前を向いていた。好奇の視線が痛いほど突き刺さる中、裏路地に入る。目と鼻の先にあるバーが、何処よりも遠く感じられた。後方からのねっとりとした感覚が、女性陣の背中を舐める。モッカは既に震えており、一秒でも早くここから走り去りたい気分になっていた。
アトラのバーを横切る。大きな灯りはついておらず、一本の蝋燭がじっと灯っているだけだった。アトラは今か今かと待っているようで、忙しなく料理皿をカウンターに並べていた。
「誰も見てないか?」
「私が見る限りでは……」
「カロック、頼む。ドアを叩いてくれ」
「分かりました」
三回ノックすると、アトラが小走りで出入口まで急ぐ。軋む音を鳴らし、ドアが開いた。
「さあ、皆様、入って!」
カロックは最優先に、麻袋をアトラに渡す。妙な重量感に戸惑った彼女だったが、カウンターの横にそれを置く。急げとばかりにシュパーブたちを招き入れようとしたが、大きな悲鳴があがった。
「モッカ!」
「いや! 助けて!」
「おいおい、俺たちと遊ぼうぜ。こんなみすぼらしいバーなんかじゃなくてよ、もっと派手なところでな、え?」
囚人服のままのモッカが、酒に酔った男に連れられそうになっていた。今にもはだけそうな服を必死に抑えながら、男たちにもみくちゃにされている。シュパーブが慌ててスラヴィアをアトラに託し、間に割って入る。
「離せ! 相手は未成年だぞ! 憲兵にとっ捕まっても良いのか!」
「なんだこいつ。女のくせに指図するんじゃねえぞ!」
「騒ぐなよ? 嬢ちゃん。いっぱい楽しもうぜ~?」
囚人服が嫌な音を立てて裂け始めたが、くんずほぐれつな状況で気付くはずもなかった。夢が慌ててシュパーブに告げるが、熱心に引き剝がそうとしている彼女には、届かなかった。
「カミックさん、中に入っててください!」
「は? どうしてだよ!」
「女の子の大事なところが今にも見えそうだからです!」
有無を言わさず、バーの扉を閉める。凍傷のような痛みがぶり返し、思うように加勢できない。その間にも、囚人服は殆ど裂けていて、服としての体を成していなかった。モッカが涙目になり、シュパーブに掴まろうとする。
しかし、男たちの諦めは悪かった。両手を二人がかりで掴むと、無理やり引き離した。
「おい! この子を離せ!」
「離せって言われて離すバカがいるかよ。お嬢ちゃん、これからたっぷり楽しもうね……」
男がねっとりとした笑顔でモッカを見つめるが、彼女の胸元を見た彼の表情が、どんどん硬くなっていく。
「おい、どうした。連れて行こうぜ」
「……亜人だ」
「はぁ? 亜人? こいつに限ってそんな……」
ケラケラと笑うもう一人の男。しかし、囚人服が地面に落ちると、自然と悲鳴があがった。バーの灯りに照らされたモッカの素肌は、人間のようなきめ細かいそれではなく、青銅色の鱗が胸元をびっしりと覆っていたのだ。背骨に沿って、小さな突起も連なっており、さながら龍だった。夢が絶叫する前に、シュパーブが男たちから奪還し、バーに押し込む。
「これ以上ここに近付いたら、私が容赦しない」
腰に装着したナイフを抜くと、見たことがないような鋭い目つきに変貌する。完全に怖気づいた男たちは、命乞いをしながら敗走していった。姿が完全に見えなくなるのを確認すると、二人は重い足取りで、バーへと入った。




