密談(2)
日没して暫くすると、馬車の停泊所周囲が賑わい始めた。少しだけ生気を取り戻した夢が、そっと幌を開ける。そこには王都の日常があった。小奇麗な恰好をした若者が闊歩し、お酒を飲みながら、上辺だけの笑顔で語らっている。
「そんな景色見てもつまらんだろう」
「そうですけど、他にやることがなくて……」
「やることならあるじゃないか。お前たち、支度しろ。モンテロのところに行く」
本来なら利益が出るはずだった野菜を麻袋に入れ、シュパーブが言葉少なに指示を出す。スラヴィアの涙目になるほどの努力もあって、瑞々しさはまだ残っていた。
「姐さん、モンテロさんに会ったんですか」
「ああ。偶然な。……それにしても、今日は一日、市場調査で終わりそうだな」
「参っちゃいますよね……。俺たちがいない間に、何が起こったんだ?」
カミックの力ない愚痴を聞きながら、一行が馬車を降りる。裏路地に入ると、煌びやかな王都とは凡そ思えない、飲み屋街に出た。どの店も閑古鳥が鳴いており、『蒸留酒の飲み放題、半額』の看板をでかでかと掲げている所もある。
通りを少し歩くと、淡い明かりが灯っているバーが見えた。出入口に提げられた看板には、目を凝らさないと見えない大きさで、『新貨幣でのお支払い禁止』とあった。
「あそこだ」
シュパーブに促され、夢はドアに手をかける。客は誰もおらず、女性が一人で床の掃除をしているだけだった。木製のドアが開くと、留め具が軋む音と同時に、客の入店を告げる鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ……」
疲れを隠せない女性が、鈴の音が鳴った方を振り向くと、シュパーブが目を細めていた。
「アトラか。元気にしていたか」
「シュパーブさん! お久しぶりです! カミックくんもカロックくんも元気そう……、じゃなさそうだね」
「分かります? もう酷いめに遭いまして……」
カロックは今日一日のことを思い出し、力なく笑う。アトラは夫のモンテロを呼ぶべく、厨房へ引き返す。カウンターに横一列に座ると、ほどなくして夫妻が顔を出した。
「ユメ、と言ったかな? こちらは妻のアトラ」
「よろしくお願いします……」
「こちらこそ、よろしくお願いします。疲れたでしょう?」
アトラは転移者の異質な装いでも、眉一つ動かさず、驚く様子を見せなかった。むしろ一人の客人をもてなすかのように接している。
「あ、あの、これ。ヴィヴァーロで仕入れた野菜です。少しだけですが……」
売り物になるはずだった野菜を、麻袋から取り出す。未だに新鮮さを保っているそれを見たアトラは、この日一番の目の輝きになった。
「あら! 凄く立派! ありがとうございます! 早速代金を……」
「いや、いい。これは売り物じゃないんだ。キミら夫婦で食べてくれ」
「そんな。……ふふ、じゃあ、代金の代わりに、この野菜で皆様にご馳走を作りますね!」
胸を躍らせながら野菜を抱え、厨房へと消えるアトラ。モンテロは苦笑しながら、シュパーブと向き合うようにして腰を下ろす。
「……少し話すか、モンテロ。こっちは聞きたいことがいくつかあるのでな」
「俺が答えられる範囲なら、大丈夫ですよ」
「ありがたい。じゃあ早速聞くが、ビュートの物価はどうなっているんだ。今までも安くはなかったが、今の数字は異常だ」
誰にも聞かれないよう、低く沈んだ声で話す。モンテロは大きくため息を吐いて、眉間に皺を寄せる。
「……選挙でアクロス家が負けたのはご存知でしょう?」
「ああ。二日前の朝刊をヴァーソから渡されたんだ。血の気が引いたよ。だが、それだけで物価がここまで跳ね上がるか?」
「選挙がとどめを差したっていう感じですね。物価自体は半年前から徐々に上がり始めていたんです」
モンテロは新聞の切り抜きの山を取り出すと、一行に見せる。意味も分からず小首を傾げるスラヴィアを除いて、食い入るように紙面に視線を落とした。
「『低所得者を対象にした公共事業、開始』、か。馬車で不法投棄されたゴミを運び、ビュート某所で焼却処分……、カロック、あの馬車か?」
「きっとそうだよ……、兄貴! 俺、こんなの見つけた。これ見てくれ!」
カロックが示した紙面には、でかでかと貨幣の絵が描かれていた。
「なんだこれ、『新貨幣への完全移行、近日中に実施』だと? これいつの記事だ」
「……三ヵ月前。これも見ろ。『国民全員に給付金を配る予定』だって!」
カミックが記事を奪い取り、まじまじと見つめる。「なんなんだよこれ……」と、言葉が見つからない。
「嘘でしょ!?」
「どうした、ユメ」
「カロックさん、これ……」
記事を読んだカロックの顔から、徐々に血の気が引いていく。
「給付金の配布だって? いくらなんでも――」
「早すぎると思いませんか!? 絶対何かありますって!」
全員が、押し黙った。夢の背中を脂汗が伝い、喉がひりつくほど渇く。「めちゃくちゃだ……」。頭を抱えた夢が、蚊の鳴くような細い声で嘆く。
キッチンから音が消えると、アトラが料理を運んでくる。その匂いは、モンテロたちを振り向かせるのに十分な魅力を放っていた。
「お待たせしました。ユメちゃんの口に合うかどうか分からないけど……」
瑞々しい色合いの野菜サラダに、赤い実とスライスされたチーズを交互に並べた――カプレーゼのような軽食。さらに、食欲を刺激する香ばしい匂いを振りまく素揚げが、メインディッシュのように大皿に盛られていた。一行の重苦しい空気を、揚げたての野菜が放つ熱気が塗り替えていく。
その匂いに鼻をピクつかせたのは、スラヴィアだった。
「なにこれ!? 食べる!」
「こらスラヴィア。行儀が悪いぞ」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。どんどん食べてください?」
アトラの我が子を見るような笑顔に背中を押され、スラヴィアの手が、吸い寄せられるようにカプレーゼ風の料理へ伸びた。チーズと野菜の冷たさが全身に行き渡ると、図らずも声が出た。
「んーっ、おいしい!」
「ありがとう、スラヴィアちゃん。さあ、皆も食べて!」
アトラの笑顔に救われたような気がしたシュパーブは、促されるままに素揚げを一つ摘まんだ。




