悪夢(3)
朝食を手早く摂った夢は、ヴィクトリス商会の門前で待っていた。相変わらず通行人からは気味悪がられているが、その程度では傷つかなかった。数分待っていると、コマと二人の部下、そしてヴァーソがやってきた。
「おはようございます!」
「返事は良いんだな。今日お前とコマにやってもらうことは、この貼り紙を、指定した施設に貼って欲しいんだ。多分、昼前には終わるだろう」
十数枚のビラのようなものを渡された夢とコマ。『過度な飲酒は身体に毒!』と、イラスト付きで描かれている。学校のボランティアを思い出した夢は、貼り紙を見ながらポツリと漏らした。
「酒飲みが迷惑かけるのは日本と変わらないんだな……」
「どうした?」
「あ、いえ。私のいた所でも、こういう内容の貼り紙を見たことがあるなって……」
苦笑しながら、ビラをまとめる夢。準備が完了すると、一行は商会近くの教会へ向けて歩き出した。
「気を付けてな」
「大丈夫ですよ、お父様」
親子が笑顔で別れると、夢は緩みきった表情でコマの隣に並んだ。周囲を鋭い目線で警戒する部下を気にすることなく、洗いたての優しい香りに誘われるがまま、肩が触れるほど近付く。
「ユメさん、服がボロボロですよ? 私のお古で良ければ、あげましょうか?」
「……良いんですか? 靴も頂いたのに」
「はい! 幸いにも、私と同じくらいの身長ですから!」
「あー、確かに!」と、夢はコマとの身長差を測るように頷いた。少しだけコマの方が背丈は高いが、お古を着ることは可能そうだった。しかし彼女は、コマの胸に自然と視線がいった。柔らかな曲線が生み出す陰影の隣には、『まな板』が並んでいる。縦の厚みと、正面の厚み。比較すればするほど、絶望が生まれた。
「身長は同じくらい、ですね。身長はね……」
「あら? どうされました?」
「いや、なんでもないです……」
胸から視線を逸らすと、気を取り直すように前を向く。教会に到着すると、礼拝に来た人達が忌避するように道を開ける。コマと仲睦まじい姿を見て、驚愕する者もいた。夢は冷ややかな視線を浴びながら、黙々と仕事をこなしていく。
「こんなもんで良いですか?」
「ああ。次はもう少し歩くぞ。公民館まで行く。お嬢様は向かいの商店街をお願いします。俺は転移者……、いや、サクラを見ているから」
「分かった。お嬢様は私に任せろ」
夢はバイパーと共に歩き出す。しばしの別れとなったが、彼女は仕事を全うするべく、機械のように貼り紙を貼り続けた。隣には常にバイパーがおり、圧迫感と安心感が同居していた。
「公民館は終わったか。次は飲み屋街に行く。店の中に入って配るんだが、サクラ。お前は何歳だ?」
「17です」
「じゃあ中には入れないから、俺が貼り紙を渡してくる」
商店街を通り過ぎ、飲み屋街へと入る。午前中なのに薄暗い。夢が周囲を見回すと、あちらこちらに浮浪者と思しき男がだらしなく座っている。少し前の自分を重ねて震えた夢は、バイパーの背中に視線を集中させた。一軒目のバーに着くと、彼が中に入る。
「失礼、これを受け取ってくれ」
「もうこの時期か。ありがとうよ」
淡々と紙を渡すバイパーと、子どものように付いて行く夢。それを繰り返しているうちに、つつがなく終わってしまった。薄暗い場所から抜け出すと、活気溢れる商店街へと出た。
「最後は診療所だ。あそこを頼む。俺は商店街で配るから」
「分かりました」
一人で診療所へと向かった夢。「失礼します」と入室すると、待合室には何処か冷たい空気が漂っていた。事務員と思しき女性が、夢を見て驚く。
「て、転移者が何の用ですか?」
「何もするつもりはありません。ヴァーソ様の遣いでここに伺いました」
直前にローブから教えて貰った口上で、事務員に接する夢。事務員は「はぁ……」と呆気に取られた表情をしていたが、直後に我に返る。
「そ、そうなんですね、失礼しました……。それで、用件は?」
「あ、これを掲示して欲しいんですけど……」
事務的な処理が終わる。事務員は怯えた表情を隠さなかったが、それでも最後まで、夢のことを見てくれた。夢が深々と礼をすると、事務員は困惑しきりだった。




