悪夢(2)
馬車に戻ると、スラヴィアが隅っこで座っていた。
「てんいしゃ、いきてたか」
「ただいま、スラヴィア」
夢は笑顔で馬車の椅子に座ると、大きく伸びをした。柄にもなく大欠伸もする。
「疲れた……」
「スーもつかれた。待つだけなのはつかれる」
「そっかー……」
スラヴィアの言葉が遠く感じる。瞼が重くなる。夢は抵抗することもなく、深い眠りについた。
灼けるような橙色の光が沁みこむと、夢は弾かれたように飛び起きた。外では一行が、買い出しを終えてご機嫌で荷物を整理していた。寝ぼけた頭ともつれた脚で馬車から飛び出し、乱れた髪のまま、馬に餌をあげているシュパーブに詫びた。
「おはよう。羨ましいくらいの寝顔だったよ」
「ご、ごめんなさい! 私、仕事もせず眠ってしまって……」
「それは良いんだ。ユメ、ヴァーソから聞いたぞ。お前、上手くやったな」
「え……?」
「私が捨て値同然で仕入れた粘り石で、奇跡を起こした。お前は思ったより頭が回ると見た。どうだ? 私たちと一緒に旅に出ないか?」
「旅……ですか?」
「行商の旅だ。悪くないだろう? お前の言う、世界に帰る手掛かりを掴めるかもしれん」
ブラッシングの規則正しい音と、言葉が出ない夢。馬の毛が夕陽に照らされて、火花のように舞っている。ヴァーソやシュパーブといった大人の板挟みになるのは、日本にいた時から慣れていたが、いざこうなると、言葉がつっかえて出てこない。
「……少しだけ、考えさせて下さい」
「そうか。あと三日で出発するから、その時までに頼むよ」
「はい」
夕食を摂り、寝る支度をする。湯浴みをしている夢の胸中は、つかえが取れないままでいた。
「なんか、日本でもここでも同じなんだな……」
進路選択を迫られた夢は苦笑した。安寧を選ぶか、冒険を選ぶか。彼女にとって、日本に帰ることができるなら、どっちでも良かった。湯浴みを終え、着替える夢。濡れた髪を拭きながら、決心を固めた。
――シュパーブと、共に行く
「あのバカ犬、魔石を四つ集めないと帰れないって言ってたからなぁ……。自分から動かないと、一生帰れないなこりゃ」
小さくため息を吐く。コマを笑顔にしたのも、ヴァーソの仕事を手伝ったのも、全部自分が日本に帰る為だった。周囲の人間を利用している気分がして、思わず乾いた笑いが出る。異世界の人間の思考に染まった感じがした夢は、小さく首を横に振り続けた。
翌朝、コマの元へ行く前に、シュパーブを訪ねる。彼女は誰かに手紙を書いているようで、手元には自作の澱粉糊もある。
「おはようございます」
「おはよう。仕事か?」
「はい。その前に一つだけ、お伝えしたいことがあります」
「なんだ?」
「……シュパーブさんの商隊に、入れて下さりませんか?」
筆の動きが止まり、椅子が床を鳴らしてシュパーブが立ち上がった。値踏みするように夢を見つめ、腕を組むと、周囲に圧が生まれた。
「私は構わないが、コマはどう言うかな? せっかく仲良くなったんだろう?」
やはり聞くかとばかりに顔が歪む。僅かな沈黙の後、絞り出すように言葉を返した。
「……ここでお別れするのは心苦しいです。でも、私には帰らなきゃならない場所がある。シュパーブさんと一緒に、その手掛かりを探したいんです。勿論、仕事も誠心誠意します!」
ヴァーソから学んだ覚悟を胸に、視界が床の木目で埋まるほど深く頭を下げる。それでもなお、シュパーブは冷静な眼差しで、口を真一文字に結んでいた。
「日本に帰る前に、私の命を救って下さった皆さんに、恩返しをしたいんです。私をこき使って下さい。魔石を集めなければいけないんです!」
「……魔石?」
「はい。私が帰るのに必要なものだと、妖精が言っていました。実際に見せて貰いましたし」
「驚いた。幻だと思っていたんだが、実際にあるとは。じゃあこうしよう。お前は魔石を集めてお前のいた世界に帰る。私は労働力としてお前を使役する。それで良いな?」
「はい!」
大きな声で返事をすると、奥からカロックとカミックが顔を出した。朝食ができたことを告げに来たようで、スラヴィアを背負ったカロックは怪訝な顔で眉を寄せ、二人を交互に見つめた。
「……転移者、お前、うちに来るのか」
「聞いていたか、カロック。どうだ? あのヴァーソを黙らせたんだ。入れる価値はあると思うがね」
「……分かりました。そういうことなら、認めてやりましょう。兄さんも、良いな?」
「決まりだな。それにカロック、カミック。もう転移者呼びは止めよう。今日から、私たちシュパーブ商隊の一員なんだから」
双子はバツが悪そうな顔をして、潤んだ瞳で見つめる夢を見まいと、シュパーブへと視線を泳がせている。
「分かりましたよ……。おいユメ、今日もコマさんと仕事だろ? 飯食ってこい」
「ありがとうございます! カミックさん!」
「だぁーっ」と照れ臭そうに顔を背けるカミック。距離感が急速に縮まったことに戸惑っているのは、カロックも同じだった。
「もうタメ口で良いよ。俺たちと一緒に旅するんだろう?」
「カロックさん、良いんですか……?」
「ほら、もう敬語になってる。まぁいいや。お前のやりやすい方で話せ。おらスラヴィア、起きろ」
スラヴィアを揺さぶって起こすカロック。それでも起きなかったのか、彼は諦めて部屋から出る。カミックは夢の手を引っ張った。
「飯にするぞ。今日もコマさんを笑顔にしてこい」
「……うん!」
馬車から朝日が差し込む。自然と頬が緩んだ夢は、迷いなく駆け出していった。




