奉仕(1)
翌朝、ヴィクトリス商会の重厚な門が開く。
「物怖じするなよ」
「はい」
シュパーブの忠告に、短く返事をする夢。「失礼します」と小声で言うと、門番に睨まれながら進んでいく。商会の出入口前には、刺すような視線を送るヴァーソと、肩を震わせて俯くコマがいた。
「おはようございます」
「挨拶はいい。手短に説明する。今日は商会近くの露店街の清掃だ。バイパー、ローブ。監視を頼む」
ヴァーソは冷淡だった。これから三日間、コマの奉仕活動に付き合えという。彼の後ろには、二人の部下が夢を睥睨していた。
「コマ、お前も何か言ったらどうだ」
「……よろしく、お願いします、転移者さん」
転移者を前にして、定型文しか出ない。二人は示し合わせたかのように、ほぼ同時にお辞儀を交わす。娘を案じる顔の父を前に、シュパーブはフッと息を吐くと、何処か挑発的に、口元だけで笑ってみせる。
「パパの顔になってるぞ、ヴァーソ。怒るのは疲れたか?」
「……あの子を説得するのにどれほどかかったか、お前は分からんだろうな。あの転移者が女だからどうにか了承を得られたんだ。男だったら、即殺していた」
「あの事件はお前もかなり苦労したからな」
大人二人の会話をよそに、コマと夢はお互いに目を合わせようとしていた。夢は逃げも隠れもしないと言わんばかりに目を合わせようとする。ところが肝心のコマは、一瞬だけ夢に視線が向いては俯くことを繰り返していた。落ち着かない様子で石畳を足裏で擦りながら、戦々恐々としている。
「転移者、お前はまだ裸足なのか。みっともない。まぁ良い。清掃道具は門にいる警備員から受け取ってくれ。私は書斎にいる」
「お父様……」
「コマ、大丈夫だからな。何かあったら直ぐに来い」
「……はい」
「ユメ。私は馬車に戻るから。仕事が終わったら直ぐに戻ってこい。スラヴィアを置いておく」
「分かりました」
大人たちが解散すると、バイパーが女子たちを引率する。コマは未だに恐怖で目が潤んでいたが、掃除用具を手渡されると、目に見えて顔つきが変わった。夢は藁でできた箒と、木製のちりとりを手渡される。
「転移者。これで掃除するんだ。魔法なんか使ってみろよ? 俺がこの手で始末してやる」
「……はい。かしこまりました」
バイパーは低く湿った声で脅すと、少し乱暴に箒を差し出した。何もしないのに……。屈辱に耐えて受け取る。全員が道具を受け取ったことを確認したコマは、先ほどとは一変して、背筋を正した。
「それでは、今日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
コマは自らを奮起させるように、大きな声で挨拶をした。夢も負けじと、腹の底から声を張り上げた。
朝方の石畳は、靴を履いていない夢にとっては氷の上も同然だった。容赦なく足裏の感覚を奪っていく。意識が足元に行かぬようにするには、黙って箒を動かすしかなかった。
掃いても掃いても、際限なく砂埃が巻き上がる。門の周囲を少し掃除しただけなのに、夢の額には汗が滲んでいた。女性の部下、ローブは慣れた手つきで門を乾拭きしており、バイパーは夢に睨みをきかせながら、コマの動向を追っている。
美味しそうな匂いが、近くの市場から流れてきた。露店で肉を焼いている男と、それを食べようと並ぶ人たち。夢の五感をこれでもかと刺激する。気を紛らすべく視線を移すと、コマは射るような目つきで、石畳にこびりつく汚れと格闘していた。しかし、通行人から笑顔で挨拶をされると、一変して朗らかに応じていた。
「おはようござい……」
夢も同じように、笑顔を作って挨拶しようとする。しかし、通行人は素通りしていった。一瞬映った、怯えの表情が彼女の心を抉った。
「ぼさっとするな! 手を動かせ!」
怒号が飛ぶ。「はい!」という大声が、虚空に響いた。
石畳が熱を持つようになった所で、正午を告げる鐘が鳴った。麻袋いっぱいに集まったゴミを一人で持つ夢。やや後ろを歩いていたコマは、話しかけようと何度か視線を送るが、目が合いそうになる度に俯いてしまう。ゴミ捨て場に到着すると、夢は麻袋を投げ入れ、膝に手をつく。息を整えている間も、コマは話しかけられずにいた。
「皆様、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
商会の娘として、威厳を保とうと背筋を伸ばす。しかしコマは、どうしても目が離せない。夢の両足が真っ赤に腫れ上がり、砂埃にまみれていたのだ。靴も履かず掃除を全うした彼女に、どうしても憐れみの感情を抱いてしまう。
「何してるんだ……」
「私、見て来ようか」
「頼んだ」
ローブは、夢の足元から視線を外せないコマに優しく歩み寄った。
「そろそろ昼食のお時間ですよ。一緒に行きましょう」
「あっ、はい……。分かりました」
我に返ったコマは、部下たちと共にゆっくりと背を向けると、商会の中へ消えていった。一人取り残された夢。しばし立ち尽くしていたが、程なくして、重い足音が近付いてくる。バイパーが戻ってきたのだ。
「受け取れ」
「え……?」
呆然とする夢。彼女の視線には、使い古された一足の靴。色褪せてはいたが、革はまだ柔らかく、作りはまだ実用に耐えうるものだった。バイパーが半ば押し付けるようにそれを渡す。
「お嬢様からだ。気付かなかったのか? お前が無様な恰好で石畳を掃除している時に、お嬢様はお前なんかの足を気にかけていたんだぞ」
「履け」と冷たく命じられ、お古の靴に足を通す。サイズは少し大きかったが、革に包まれた感触だけでも、夢は涙目になっていた。
「私なんかの為に……。ありがとうございます」
「お嬢様の器の広さに感謝することだな。我々ヴィクトリス商会の教えだ。『弱者に施しを』」
吐き捨てるように去っていく。夢は呆然と後ろ姿を追うが、出入口前で視線が止まった。コマがいたのだ。彼女は柱の陰から夢を覗き込んでいた。
一瞬、お互いの目が合う。大きく肩が跳ねると小動物のように走り出し、奥へと消えてしまった。コマの真意――弱者への救済を知った彼女は無言で、出入口前で最敬礼をしたのだった。




