六ノ火・七ノ火
【六ノ火 灯ば点せ】
むっつ 向こうん火には 灯ば点せ
こいはね、おどんが、若かかころの、話たい。
もう、八十年も、前さなるかね。戦争の終わりんころたい。
そんころの世の中の話は、あんたも、学校で、習うたやろ。日本中が、難儀しとった。食うもんも、なか。若か男は、みんな、兵隊さんに、とられてしもうた。この浦からも、ぎょうさんの人さ、戦争さ行って、帰ってこんやった。
そぎゃん、つらか時分の話やけん。あんまり、こまかくは、言わん。ただ、不知火に、まつわるところだけ、話しまっしょ。
* * *
あんころね、お国から、お達しの、出たとです。
灯火管制、ちゅうて。
夜は、灯ば点けちゃ、いかん、ち。家ん灯も、表ん灯も、ぜんぶ、消せ。窓にゃ、黒か布ば垂らして、灯ん漏れんごつせよ、ち。なしてか、ち。敵の飛行機に、見つからんためたい。灯んついとると、そこに町のあるとが、空から分かるけん。だけん、ぜんぶ消せ、ち。
浦中、真っ暗になった。夜は、墨ば流したごつ。どの家も、息ば殺して、灯ん一つもつけんで、しずもっとった。
ばってんね。
その年も、八朔は来るとです。
戦争が、あろうと、なかろうと。海ん向こうの暦は、関係なか。八朔ん晩は、来る。そして、そん晩は、矢部ん旦那さんが、浜におりて、灯ば点さんといかん。
……ああ、言うとらんやったね。矢部さんとこは、ただ数えるだけじゃなかとです。浜で数えるとき、いっしょに灯ば点すとです。応えの灯、ち、いうて。
沖ん火に、岸ん灯で、応える。向こうが灯すなら、こっちも灯す。向こうが見るなら、こっちも見る。そうやって、向き合うとが、役目。数えるだけじゃ、足らん。応えの灯ば、点して、初めて火は、沖さ留まるとです。
唄に、あるやろ。むっつ、向こうん火には、灯ば点せ。あれは、そういうことたい。向こうん火にゃ、こっちん灯で応えよ、ち。
* * *
ばってん、その年は。
灯火管制の、年たい。
灯ば点したら、お国ん法さ背く。憲兵に、しょっぴかれる。下手したら、敵さ通じとる、ち、疑われる。スパイ、ち。そぎゃん時世やった。
そんころの旦那さんは――おどんが、二番目に仕えた、旦那さんやった。まだ、若かか人やった。働き盛りの。
旦那さんは、悩みよりよった。いくんちも、いくんちも。座敷で海ば見ながら。点せば法に背く。点さんば役目に背く。どっちばとるか。
奥さんは、点さんでくれ、ち、頼みよりよした。あんた、しょっぴかれたら、どぎゃんすると、ち。この家は、どぎゃんなると。子供も、おるとに、ち。
おどんも、子供心に点さんほうが、よか、ち、思うとった。憲兵は、怖かったけん。
ばってん、旦那さんは。
八朔の、そん晩。
白か着物に、着替えて。火数帳ば、抱えて。浜に、おりていかしたとです。
いつものごつ。
* * *
おどんは、そん晩もついていった。墨ば、する役やけん。
浜は、真っ暗やった。ほかん晩なら、遠くに町ん灯さ、ちらほら見ゆるとに。その晩は、どこにも灯んなか。海も、空も、町も、ぜんぶ、墨色。
旦那さんは、ござに座らした。そして、小さか龕灯ば、取り出した。手で覆いばして、ほんの針ん先ほどの灯ば、点した。海のほうにだけ、向けて。陸からは、見えんごつ。沖にだけ、見ゆるごつ。
応えの灯たい。
ほんの、小さか、小さか、灯。ばってん、そん晩の真っ暗な浜にゃ、それが、たった一つん、灯やった。
そして、待った。
……あんた。
その晩のことを、おどんは八十年、忘れたことの、なか。
沖に、火ん、立ちはじめた。いつものごつ。ひとつ、ふたつ……。ばってん、そん晩の火は――いつもと、違うとった。
近かったとです。
いつもん八朔なら、火は、沖んずうっと向こうに、立つとです。水平線んあたりに。ばってん、そん晩の火は、ずっとこっちに、近かった。沖ん半分も来とらんとこに。岸から、目と鼻ん先に。
なしてか、おどんには、すぐ分かった。
町ん灯が、ぜんぶ、消えとったけん。
いつもなら、岸には、町ん灯さ、ぎょうさん点いとる。家ん灯。表ん灯。それが、ぜんぶ、岸んほうから、海ば照らしとる。いわば、岸じゅうの灯が、みんなで、火に、応えとったとです。知らんうちに。たくさんの灯で、火ば、沖さ押し返しとった。
そいが、そん年は、ぜんぶ、消えとった。
お国ん、法で。
岸ん灯が、ぜんぶ消えて――応えるもんが、旦那さんの針ん先ほどの、龕灯一つになってしもうた。
たった一つん灯で、火と向き合う。
火は、それを見抜いたとです。今年は、岸の守りが、薄か、ち。だけん、近うまで、来た。試すごつ。
* * *
旦那さんは、数えた。
その晩は、声が、震えとった。唇だけじゃ、なか。低う、低う、声に出して、数えよらした。ひとつ、ふたつ……。まるで、自分で自分ば、励ますごつ。数えるとを、やめんごつ。
火は、ちこうかった。近すぎて、一つ一つの揺れる炎が、はっきり見えた。橙から、青へ、色ん変わるとも。そして、そん火のずっと向こうに――いや、火ん合間に。
なにか大きか影の揺れとるとが、見えた、気がしたとです。
火と火んあいだの、暗いところ。そこに、海ん面よりもっと黒か、なにか大きゅうもんが。ゆっくり、ゆっくり、うねっとるとが。
おどんは、見るとをやめた。怖かったけん。下ば向いて、墨ばかり、すりよった。
ばってん、旦那さんは、見るとをやめんやった。
やめたら、いかんとです。見る者がおらんごつなったら、火は、岸さ上がってくる。だけん旦那さんは、どぎゃん怖うても、見続けた。数え続けた。震える声で。一晩中。たった一つの、龕灯ば、点して。
明け方、火は、引きよった。
沖へ、沖へ、戻っていきよった。水平線ん向こうに、消えた。
旦那さんは、ふう、ち、息ば、吐いて。そいから、火数帳さ、そん晩の数ば、書きつけよった。
おどんは、その数ば、見た。
……いままで、見たことんなか数やった。
矢部ん家の、何百年っち火数帳のなかでも。後にも、先にも、あん晩より、多か数はなかった、ち、旦那さんは、言うとらした。
あん晩が、いっちょん火ん多か晩。いっちょん火ん岸に、近か晩。
人が、戦争ばしとる。岸ん灯ば、ぜんぶ、消しよった、そん年に。
* * *
旦那さんはね、そん後、憲兵に、しょっぴかれました。
浜で、灯ば点しよった者の、おる、ち、誰かが、届けたとやろね。スパイの、疑いで。何日も、帰ってこんやった。ひどか目に、遭わされた、ち、後で聞きました。
ばってん、旦那さんは、口ば割らんやった。なして灯ば点したか、ほんとうこつは、言わんやった。言うたところで、信じてもらえん。海ん底の、化けもんば押さえとった、ち、言うて、誰が信じるな。
だけん旦那さんは、黙って耐えた。そして放免されて、戻ってきよりました。痩せて、げっそりしとりました。
そして、次ん年の、八朔。
旦那さんは、また、浜に、おりていかした。
また、灯ば、点して。
憲兵に、あぎゃん、ひどか目さ遭わされても。また。
おどんは、聞いたとです。なして、また、点さすとですか、ち。あぎゃん、こわか目に遭ったとに、ち。
旦那さんはね、こう言いよりました。
「わしが、点さんやったら」
「誰が、点すとな」
そんだけ、言うた。
……向こうん火には、灯ば点せ。
誰が、なんち言おうと。お国ん法が、どぎゃんあろうと。向こうが、灯す晩は、こっちも、灯す。誰かが、点さんと、いかん。矢部ん家が、点さんと、いかん。
そういう、家やったとです。矢部さんとこは。
……ああ、湯が、ぬるうなったね。淹れ替えまっしょ。ちっと、待ってなっせ。
――――――
【七ノ火 写らぬ火】
ななつ 灘ん底から 息のする
次んとは、ちいっと、新しか話たい。
戦争が、終わって。世の中が、だんだんよくなって。テレビ、ちゅうもんさ出てきたころ。昭和の、四十年代か、五十年代か、そのへんやね。
そんころ、東京から、テレビん撮影の人たちが、来たとです。
不知火ば、撮りに。
珍しか自然現象、ちゅうことでね。八代の海ん不知火ば、テレビで紹介する、ち。カメラば何台も持ってきて。大きか機械ば、たくさん。賑やかなことやった。
その一行に、学者さんのおらしたとです。気象の、学者さん。大学ん先生でね。不知火が、なして起こるか、科学で説明する役、ちゅうて。
* * *
その先生はね、立派な人やった。
うちらにも、ていねいに説明してくれた。不知火は、こうこう、こういう仕組みで起こるとですよ、ち。
知っちょるでしょうが、海ん上の、空気にね、温度の違う層ばできる。冷たか空気ん層と、あたたか空気ん層。そん境で、光が折れ曲がる。蜃気楼、ちゅうとと同じ理屈たい。漁船ん漁火や、対岸の灯ん光が、そん層で何重にも折れ曲がって、ゆらゆら揺れる、いくつもの火に、見ゆる。それが、不知火の、正体です、ち。
先生さ図ば描いて、説明しなすった。なるほど、ち、おどんも、思うた。理屈は、通っとる。間違うとる、ち、思わんやった。
そんころにはね、もう、漁火も減っとった。沖さ出る船も、少のうなって。だけん、不知火も、昔ほど立たんごつなっとった。先生は、それも説明した。漁火が減ったけん、不知火も減ったとです、ち。光んもとがなくなれば、蜃気楼も起こらん。理屈たい。
おどんは、黙って、聞いとった。
ばってん、心んなかでは、思うとった。先生。あんたん言う、漁火ん光が折れ曲がっとる、ち。その、もとん漁火は、どこの漁火な、ち。沖に船んおらん晩でも、火は、立つとですよ。漁火んなか晩でも。それは、なんの光が折れ曲がっとるとですか、ち。
……ばってん、言わんやった。言うても、しょうがなか。学者さんには、学者さんの、見るものしか、見えん。それで、よか。見えんほうが、しあわせ、ちゅうことも、あるけんね。
* * *
撮影は、八朔ん晩に、行わよった。
そん年は、運よく火が立った。久しぶりに。先生も、撮影の人たちも、大喜びでね。カメラばぜんぶ沖に向けて、フィルムば回しよった。ずらりと並んだ不知火ば、撮りよらした。
矢部ん旦那さんは――そんころは、三人目の、いちばん若か旦那さんに、代がわりしとった――その晩も、いつもんごつ、浜んすこし離れたところで、ひとり、数えよらした。テレビの人たちには、構わんで。撮影の、邪魔にならんとこで。静かに。数えて、灯ば点して。
テレビん人たちは、旦那さんのことさ、気にも止めんやった。ただん見物の年寄りやろ、くらいに、思うとったとやろ。まさかそん年寄りが、見よらす火ば、沖に押さえとらす役の、人やとは。知りもせんで。
* * *
さて。
撮影は、うまく、いきよらした。火は、ぎょうさん撮れた。先生も、満足しよらした。一行は、東京へ帰っていきよった。
ところがね。
しばらくして、撮影の人から矢部さんとこに、手紙が来たとです。困った、ちゅう手紙が。
フィルムに、火が、写っとらん、ち。
あんなに、はっきり見えとった不知火が。カメラで、ちゃんと撮ったはずん火が。フィルムを現像してみたら――どこにも、写っとらんやった、ち。海の暗いとこが、写っとるだけや、ち。火さ一つも、写っとらん。
先生は、首ば、ひねりよらした。レンズん加減か。フィルムの不良か。いろいろ調べたばってん、分からん。あんなに、目には、はっきり見えよった火が、なして、写らんとか。
目には見ゆる。ばってん、写らん。
……あんた。これがね、不知火の、ほんとうの、怖かところたい。
人ん目には、見ゆるとです。なぜか。ばってん、機械には写らん。機械は、嘘ばつかんけん。機械は、ほんとうにそこに光んあるときしか、写さん。だけん、機械が写さんかった、ちゅうことは――あの火は、ほんとうはそこに光としてなかった、ちゅうことたい。
光として、ないもんが。
人ん目にだけ、見ゆる。
それはもう、光じゃなか。あれは、人ん目にだけ、入ってくる、なにか。人ん頭のなかに、直接火に見えて映る、なにか。
* * *
ばってん、手紙にゃ、続きのあったとです。
フィルムにゃ、火は、写っとらんやった。ばってん――音のほうに、なんか入っとった、ち。
そんころのカメラはね、音もいっしょに、録るとです。撮影しよる間の、波ん音やら、風ん音やらが、フィルムの端んほうに、録られとる。
そん音を、聞き直してみたら。
波ん音にまじって、声がしよった、ち。
低か声で。なんか、数えよる、声が。
ひとつ……ふたつ……みっつ……ち。
撮影の人は、最初、矢部ん旦那さんの声か、ち、思うた。あん晩、ひとり離れて、なにかつぶやいとった年寄りの。ばってん、違うた。旦那さんは、声にゃ出さんで、数えよった。唇だけで。それに旦那さんは、撮影のずっと離れた、風下におらした。マイクには、届かんとこに。
じゃあ、誰ん声な。
撮影しよったのは、沖の、海。マイクの、向いとったのも、沖。だけん、そん声は――沖んほうから、聞こえとった。海んほうから。
ひとつ、ふたつ、みっつ、ち。
数えよったとです。沖んほうが。海んほうが。
こっちが、火ば数えよる、その同じ晩に。向こうも、なにか数えよった。
……なにを、数えよったとやろね。
こっちが、火の数ば、数えよる。向こうは、なんの数ば、数えよるとやろか。岸に、立っとる、人の数やろか。それとも――まだ、足らん、数やろか。
* * *
そんテレビはね、結局、放送されんやった。
火が写っとらんとじゃ、番組に、ならん。それに、あん声のこともあって。気味の悪かちゅうことで、お蔵入りに、なりよらした、ち。
先生は帰り際に、矢部ん旦那さんに、会いに来たげな。最後にひとつだけ、聞きたか、ち。
先生は、こう言うた、ち。
「説明は、つくとです。蜃気楼で、説明はつく。光の屈折で、ぜんぶ説明できる。……ばってん」
そこで、先生は言葉さ切って。それから、こう言うた、ち。
「あん火は、こっちば、向いとりました。わたしは、ずっと、観測しよりました。そしたら、ある瞬間から――観測しよる、わたしのほうが、見られとる気がして、なりませんでした」
「火が、こっちば見とる。なして蜃気楼が、こっちば見るとですか。光に、目は、なかでしょうもん。……それだけが、どぎゃんしても、説明のつかんとです」
旦那さんは、なんも答えんやった、ち。
ただ、こう言うた、ち。
「先生。見えんふりばしなはったほうが、よかですよ。あんたは東京の人やけん。ここの海とは、関わらんほうが、よか」
先生は、それきり、二度と、八代にゃ、来んやった。
……賢か人やった、ち、思うとります。見えてしもうても、関わらん、ち、決めたとやけん。見えて、なお、近づく者もおるとですよ。そういう人はたいてい、戻ってこん。市松の、ごつ。
ななつ、灘ん底から、息のする。
灘ん底から、息の、する。あの声はね、息たい。海の底の、なにかの、息。数えながらする、息。
……あんた、まだ、聞いとってくれるな。ありがたか。もう、ここまで来たら、最後まで、聞いてもらわんと、いかん。
あと、すこし。八ノ火と、九ノ火。そして――数えじまい。
夜も、更けたね。ちょうど、よか時分たい。




