四ノ火・五ノ火
【四ノ火 数えた子】
よっつ 夜さり数ゆな 里ん子は
さて。なして、ここん浦ん子は、数えちゃいかんとか。
そん話ば、しまっしょ。
こいはね、おどんが、矢部さんとこに奉公に上がるよりも、前ん話。おどんの、ばばさまから、聞いた話たい。だけん、明治ん終わりごろか、大正ん初めごろか、そのへんの話たい。
こん浦に、おさよ、ちゅう、女ん子のおったとです。年は、七つか、八つ。賢か子でね。よう、気んつくかわいか子やった、ち。
ある年ん、八朔ん晩。
おさよは、家ん二階の窓から、こっそり、沖ば見よった。
親ばね、寝かしつけたつもりやった、っち。八朔ん晩は、子供ん早う寝かす。窓にゃ戸ば立てて、外ん見えんごつ、しとく。ばってん、おさよは賢か子やったけん、親ん寝た隙に起きて、そうっと、戸の隙間から、沖ば、覗いたとです。
火の、立っとった。
ずらりと、沖に。橙色の、揺れる火が。おさよは、きれいか、ち、思うた。そして――つい、数えたとです。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
子供やけん、数えたかったとやろね。きれいかもんが、並んどると、いくつあるか、数えてみたい。あたりまえの、子供心たい。罪んなか。
おさよは、指折り、数えよった。ひとつ、ふたつ……ななつ、やっつ……。
九つまで、数えて。
そして、十を、数えた。
* * *
……あんた。
いま、おどんが、なんち言うたか、聞いとったな。
おさよは、十を、数えた。
唄では、九つで、止める。とおは、唄わん。ばってん、おさよは、唄うとったわけじゃなか。ただ、沖の火ば数えとった。そいで、火が、十、あった。だけん、十まで、数えた。それだけたい。それだけの、こと。
ばってんね。
数え唄で、とおを唄わんとは――ほんとうは、こげんことやったとですよ。
沖ん火が、九つまでなら、よか。九つまでは、向こうも、こっちば、数え返さん。ばってん、十、立った晩に、その十を、こっちが数えてしもうたら。
数えた者と、火が、目と目で、繋がってしまう。
十番目ん火が、数えた者の、目を、見つけるとです。
おさよが、十を数えた、その晩から――おさよは、変わってしもうた。
* * *
次の日から、おさよは、夜になると起き出すごつなった。
眠ったまま、たい。目は、つむったまま。すうっと、布団から起き出して、戸ば開けて、外へ出ていく。そして、まっすぐ、浜へ歩いていく。
汀に、立つとです。
波打ち際に立って、沖んほうば、向いて。目は、つむったまま。じいっと、立っとる。寝とるとに、立っとる。
親が気づいて、慌てて連れ戻す。おさよ、おさよ、ち、揺り起こす。おさよは、はっと目ば覚まして、なして自分が、こぎゃんとこにおるとか、分からん。きょとんと、しとる。
それが、毎晩たい。
毎晩、毎晩、おさよは寝たまんま、浜へさ歩いていく。汀に、立つ。沖を、向く。連れ戻しても、連れ戻しても、次ん晩も、また行く。
だんだん、おさよは、痩せてきた。顔色も、悪うなって。昼間も、ぼうっと、するごつなって。目んふちが、青うなってきた。
そして、親がいっちょん怖がったとは――ね。
おさよの、汀に立つ位置が、毎晩、すこしずつ、海んほうへ寄っていくとです。
最初は、波ん届かんとこに、立っとった。それが、だんだん波打ち際さ近づいていく。足首まで、水に浸かるごつなる。膝まで。次は、腿まで。毎晩、すこしずつ、すこしずつ、沖んほうへ。
こんまんまじゃ、おさよは、ある晩、海に、入っちまう。
入って、戻ってこんごつなる。
親には、分かっとった。市松ん話ば、知っとったけん。汀は、境やけん。境を、越えたら、戻られん。
* * *
親は、矢部さんとこに、すがったとです。
夜中に、泣きながら。おさよば、抱えて。どうか、助けてくだはり、ち。うちん子が、毎晩、海に呼ばれよります、ち。
そんころの、矢部ん旦那さんは――まあ、おどんの、知らん代の旦那さんやけど、たいそう、立派な人やった、ち、聞いとります。
旦那さんは、おさよば見て、すぐに分かった。ああ、十を、数えたな、ち。
そして、こう言うた。
「そん子の勘定さ、わしが、引き受くる」
旦那さんは、火数帳ば、開いた。そいで、そん晩の頁に、筆で一行、書き加えた。
なんち書いたかは、おどんは、知らん。矢部の、家ん者しか、知らんことやけん。ばってん、ばばさまの言うには、おさよの名前と、それから、なにか、印のごたるものば、書いた、ち。
そうしてから、旦那さんは、その晩、浜におりた。
ひとりで。火数帳ば、抱えて。汀に立った。おさよの代わりに。
そして、沖ん火ば、向いて――なにか、唱えた、ち。長い、長い、言葉。誰にも、聞こえん声で。一晩中。
明け方、旦那さんは、浜から戻ってきよった。
着物が、じゅっぷり濡れとった。腰まで。海に、入ったとやろ。膝まで、腿まで、おさよが毎晩、寄っていきよった、その分だけ、旦那さんが、代わりに、海さ入って――そして、戻ってきよった。
その日から、おさよは、夜中に、起き出さんごつなった。
ぴたりと、止まった。また、よう食べて、よう眠って、顔色も戻って。元ん、賢か、かわいか子に、戻ったとです。
おさよは、助かったとです。
* * *
……よかった、ち、あんた、思うたな。
うん。よかったとです。おさよは、助かった。こいはね、こん浦に伝わる話んなかで、たった一つの、助かった話。たった一つの、救われた話たい。
ばってんね。
ただで、助かったとじゃ、なかとですよ。
おさよの、勘定ば、引き受けた旦那さんは――その年から、急に、老け込んだ、ち。髪さ、白うなって。そいから、目たい。目が、白う濁ってきよった。魚ん目んごたる、白さに。……あんた、覚えとってな。矢部の家ん人はね、最期が近づくと、決まって、こん目になるとです。白う、濁って。
矢部の家ん人はね、誰かん勘定ば肩代わりするたびに、すこしずつ、寿命ば削るとです。
おさよが、海に引き込まれずに済んだとは――矢部ん旦那さんが、自分の残りの命と引き換えに、おさよの分まで、向こうに見られてやったけん。数えられてやったけん。
救いはね、あるとですよ。この世にも。
ばってん、ただの救いは、なか。誰かが、肩代わりした分だけ、救われる。引き受けた人ん命が、減った分だけ。
だけん、この浦ん子は、数えちゃ、いかんとです。
おまえが十を数えたら、矢部さんとこの旦那さんの、命が、減る。おまえを助けるために、誰かが死ぬのが、早うなる。そぎゃんこつば、子供に、させちゃいかん。
夜さり数ゆな、里ん子は。
夜に、数えんな。おまえのためでも、ある。ばってん、それ以上に――矢部さんとこの、ためたい。
……梅酒、減りよったね。注ぎまっしょ。ああ、おどんの分も。
次はね、五ノ火。その、矢部さんとこの、内側ん話。おどんが、奉公に上がってから、この目で見たことたい。
【五ノ火 数ゆる家】
いつつ いつでん数ゆる 家のある
おどんが矢部さんとこに奉公に上がったとは、十二、三ん年でした。
貧乏な、家でね。口減らしたい。女中奉公に出されて。それが、たまたま、矢部さんとこやった。そのころは、矢部さんとこが、どぎゃん家か、なんも知らんやった。ただ、浦でいちばん、古か、大きか家、ち、それだけ。
行ってみて、最初に、思うたとは――静かな、家やな、ち。
人の、少なか。旦那さんと、奥さんと、若旦那。それと、おどんのごたる、奉公人が、二、三人。子供ん声の、せん。笑い声の、せん。いつも、しいんと、しとる。海の音だけが、聞こえる家やった。
旦那さんはね、無口な、人やった。
一日中、奥ん座敷に、おらした。なんば、しよらすとか、最初は、分からんやった。ただ、座って、海のほうば、見とらす。障子ば、細う開けて。そのむこうの、海ば。一日中。
おどんは、お茶ば、運ぶ役やった。旦那さんの座敷に、お茶ば、持っていく。そのたびに、旦那さんは、海ば見とらした。おどんが、お茶ば置いても、ふん、ち、言わすだけ。ほとんど、口ば、きかん人やった。
* * *
奉公に上がって、初めての、八朔ん晩。
その晩、おどんは初めて、矢部ん家の、ほんとうの姿ば、見たとです。
日ん暮れる前から、家中が、ぴりぴり、しとった。奥さんが、旦那さんの、白か着物ば出して。旦那さんは、それに、着替えて。なんだか、お葬式んごたる、しずかな、張りつめた、空気やった。
日の暮れて、暗うなって。
旦那さんが、立たらした。そして、ひとりで、浜へおりていからした。手に、なんか抱えて。あとから思えば、あれが、火数帳と、硯と、筆やった。
奥さんが、おどんに、言うた。「あんたも、ついていって、お給仕しなさい」ち。
おどんは、わけも分からんまんま、旦那さんのあとさ、ついていった。
浜にね、ござが、敷いてあった。旦那さんは、そこに、座らした。沖を、向いて。おどんは、そのうしろに、控えた。硯で、墨ば、する役。寒か晩でね、海風の、つめたか晩やった。
そして、待った。
旦那さんは、なんも、言わん。じいっと、沖を、見とらす。おどんも、黙って、控えとった。波の音だけが、ざざ、ざざ、ち。
どれくらい、経ったか。
沖に、ぽつり、と、火が、立っちよった。
おどんは、息ば、呑んだ。きれいか、ち、思うた。ばってん、それより、怖か、ち、思うた。なんでか、分からん。ただ、その火が立った瞬間、旦那さんの背中が、すうっと、伸びたとです。それまで丸めとった背中が。まるで、火に呼ばれて、応えるごつ。
そして、旦那さんは、数えはじめた。
声にゃ、出さん。唇だけ、かすかに、動く。ひとつ……ふたつ……みっつ……。
おどんの、いる場所からはね、旦那さんの、横顔が、見えた。火に照らされた、横顔。そん目を見て――おどんは、ぞっと、した。
旦那さんの、目さね。
沖ん火と、おんなじ色に、光っとった。
橙色の。火の、色に。旦那さんの目が、火ば、映しとるとか、それとも、旦那さんの目ん内側から、火ん色が、出とるとか。おどんには、分からんやった。ただ、旦那さんの目と、沖ん火が、おんなじ色で、繋がっとった。一本の糸で、結ばれとるごつ。
旦那さんは、数え続けた。ひとつ、ふたつ……。火が、増えるたびに、唇が、動く。沖ん闇に、火が、ずらりと並んでいく。旦那さんの目に、その火が、ぜんぶ映って、揺れとる。
やがて、火の増えるとが、止まった。
旦那さんは、最後に、ふう、ち、息ば、吐いて。それから、おどんのほうば、向いて、低か声で、言うた。
「十七」
おどんは、墨ばつけた筆を、旦那さんに渡した。旦那さんは、火数帳に、その夜の日付と、「十七」ち、書きつけた。
それが、おどんの、初めての、お給仕やった。
* * *
家に、戻ってから。
おどんは、奥さんに、聞いたとです。子供やけん、こらえきれんで。あの火は、なんですか、ち。旦那さんは、なして、あれば、数えなさるとですか、ち。
奥さんはね、しばらく、黙っとった。それから、こう言うた。
「数えとる間はね、火は、沖に、おるとよ」ち。
「旦那さんが、ちゃんと、数えて。ちゃんと、見て。ちゃんと、帳面に、つけて。そうやって、向こうの数ば、こっちが、わかっとる間は――火は、沖から、上がってこんとよ」
「見られとる、ちゅうことが、向こうにも、分かるとやろね。だけん、向こうも、沖に、おとなしゅう、しとる。見る者の、おる間は」
「数えるとを、やめたら。見るとを、やめたら。火は、沖に、おらんごつなる。――岸に、上がってきよる」
おどんは、子供心に、ようやく、分かったとです。
矢部さんとこの、役目は。
毎年、八朔ん晩に、浜におりて、火ば、数えること。それは、お祭りでも、なんでも、なか。火ば、沖に、留めておくための、役目たい。見ることが、留めること。数えることが、押さえること。
見る者がおる間は、向こうは出てこん。
だけん、矢部の家は、何百年も、毎年、欠かさず、数えてきた。一年でも欠かしたら、その隙に、火が、岸に、上がってくるけん。
いつでも、数ゆる。いつの代も、欠かさず、数ゆる。それが、矢部ん、家。
いつつ、いつでん数ゆる、家のある。
* * *
おどんはね、それから、ずうっと、矢部さんとこに、おりました。
お給仕ん役は、毎年、おどんの役になった。八朔ん晩、旦那さんの、うしろに控えて、墨ば、する。数を、聞く。帳面につける旦那さんの、手元ば、照らす。
三代の、旦那さんに、仕えました。
最初ん旦那さん。次の、若旦那が、旦那さんになって。そのまた、息子さんが、旦那さんになって。おどんはそのあいだ、ずうっと、墨ばすりよった。婆さんに、なるまで。
代が変わっても、火数帳は、続く。毎年の数が、一行ずつ、増えていく。
……ばってん、ね。
おどんが、長う、長う、お給仕しちょるうちに――ひとつ、気づいたことの、あるとです。
数が、増えよる。
おどんが、初めてお給仕した晩は、十七やった。それが、次の年は、十九。そのまた次は、二十一。……だんだん、火の数が、増えていきよるとです。年々。すこしずつ。
最初ん旦那さんの、若かころは、年に、七つ八つしか、立たんやった、ち聞いとる。それが、おどんの代になって、十七、十九、二十一……。
旦那さんたちも、気づいとらした。火数帳ば、繰って、難しか顔ば、しとらした。「増えよる」ち、低か声で、つぶやいて。
なして、火が、増えるとか。
そのころは、まだ、誰も、分からんやった。
……ああ。話が、長うなったね。あんた、眠とう、なかね。なら、よか。
次はね、六ノ火。戦の、時分の話たい。岸の灯ば、ぜんぶ、消せ、ち、お達しの、出た年の話。あれは、忘れられん。あん年は――火が、ようけ、岸に、近づいて来よった年やった。
もうちっと、火鉢に、炭ば、足しまっしょ。夜は、これからが、長か。




