序章 燃える石
山の神は、土の下を、掘るなと言うた。
人は、掘った。
――荒尾・三池に伝わる、名もなき戒め
五百年より、なお前のことである。
有明の海に面したこの丘陵の地に、まだ、荒尾という名すら定まっていなかったころ。ここは、丘と、田と、小さな漁の浦の、ただそれだけの土地であった。人は少なく、家はまばらで、夜は、海の音と獣の声のほかに、何もなかった。
その、ある日のこと。
一人の農夫が、丘の斜面を鍬で掘っていた。畑を、ひと畝、広げるためであった。掘り返した土の中に、黒い石が混じっていた。ただの石だと思って、農夫は、それを畦に投げ捨てた。
その晩、農夫は、その黒い石を、たき火の焚べ木のそばに置き忘れた。
石が、燃えた。
石が燃えるはずはなかった。だが、燃えた。赤く、熱く、薪よりも長く、薪よりも強く、その黒い石は燃え続けた。農夫はたまげて、家の者を呼んだ。家の者もたまげた。石が、燃える。燃える石。翌る日、農夫は、畦に捨てた石を拾い集め、丘の斜面の、掘れば掘るほど出てくる、その黒い石を掘った。
それが、始まりであった。
* * *
ここで、この物語の語り手は、その農夫の背後から、少しだけ退く。
農夫の姿が、小さくなる。丘が見える。丘の連なりが見える。有明の海が見える。荒尾の、まだ名もなき土地の全体が見えるところまで、退く。
そして、語り手は、視線を、下へ向ける。
農夫が燃える石を掘った、その丘の、下へ。
土の層の、下へ。
岩の層の、下へ。
さらに、その下へ。
日の光の決して届かぬ、闇の底へ。二百尺、三百尺――いや、そのような、人の測る尺では、まだ足りぬ。もっと、下。もっと、深く。地のはらわたの、そのまた奥。
そこに、海が、ある。
地上の、有明の海ではない。もっと古く、もっと暗く、もっと大きな、水。日の差したことのない、水。潮の満ちも引きもせぬ、水。ただ静かに、闇の中で横たわっている、水。
下の海、と、この物語は、それを呼ぶ。
そして、その水は――眠っている。
あるいは、眠っていると、地上の者が、そう思いたがっているだけなのかもしれない。水は、ただ静かなだけで、眠ってなど、いないのかもしれない。静かさと、眠りとは、違う。静かに目を開けているものも、ある。だが、地上の者には、それを確かめる術はない。地上の者にできるのは、その水と、自分たちのあいだに、幾重にも岩の層が横たわっていることを、信じることだけである。
その、岩の層のいちばん薄いところが、肥後の地に、五つ、あった。
地上の海と、下の海とが、ほとんど触れ合うほどに岩の薄れた場所。人は、後の世に、それを、戸、と呼んだ。火の戸。水の戸。灯の戸。波の戸。そして――鉄の、戸。
荒尾の丘の、その下にあるのは、五つ目の戸であった。
そして、五つの戸の中で、鉄の戸だけが、ほかの四つとは違っていた。
ほかの四つは、地上の海と、下の海とのあいだを、隔てていた何かが存在した。
それは、今も活発に溶岩を吹き出す、火山だったかもしれない。うず高くそびえ立つ、山々だったかもしれない。上の海と、下の海。二つの水の、境があった。
だが、鉄の戸は――その向こうが、地上の海ではなかった。鉄の戸の、すぐ向こうは、下の海、そのものであった。
五つの戸の中で、いちばん下の海に近い戸。
いちばん薄い、一枚。
その真上で。
農夫が燃える石を、掘り当てた。
* * *
燃える石は、地上の者にとって、宝であった。
それは、薪よりもよく燃えた。長く、熱く、少しの量で、大きな熱を生んだ。冬を越えるにも。鉄を鍛えるにも。塩を焼くにも。燃える石は、薪の何倍もの力を持っていた。荒尾の丘の下には、それがいくらでも埋まっていた。掘れば、掘るほど、出てきた。
誰が、それを掘らずに、いられよう。
足の下に、宝が埋まっている。掘れば、豊かになれる。飢えをしのげる。冬を越せる。人がその宝に手を伸ばすのを、誰が止められよう。
ただ、一つの家を除いて。
その土地には、古くから、一つの家があった。名を、三池、といった。三池の家は、燃える石が宝であることを、知らぬわけではなかった。だが、三池の家には、もっと古い、もっと大切な、一つの務めがあった。
――この土地の、地の下を、掘ってはならぬ。
それが、三池の家の務めであった。なぜ掘ってはならぬのか、そのころには、もう、三池の家の者ですら、はっきりとは憶えていなかった。ただ、掘ってはならぬ、と、代々、伝えられてきた。深く掘れば、取り返しのつかぬことになる、と。だから、掘るな、と。里の者にも、そう伝えてきた。この丘を、深く掘るな。山の神が、お怒りになる、と。
山の神。
それは、三池の家が、里の者に掘るなと伝えるための、方便であった。ほんとうは、山の神など、いなかった。いなかった――いや、いる。いるのだが、それは、山の神ではない。下の、海の神であった。だが、そのようなことを、里の者に言っても通じぬ。だから、三池の家は、それを、山の神と呼び替えた。丘のあちこちに、山の神を祀った。ここは、神の領分である。掘れば、祟る。近づくな、と。
五百年のあいだ、それは、なんとか、保たれてきた。
里の者は、山の神を畏れた。丘を、深くは掘らなかった。三池の家の務めは、辛うじて果たされていた。岩の層は、いちばん薄い一枚は、削られずに保たれていた。
だが。
燃える石の、宝としての魅力が、あまりに大きくなったとき。
そして、それを欲しがる者が、一つの里ではなく、一つの藩、一つの国、一つの時代の全体に、なったとき。
三池という、一つの家の、掘るなという声は――あまりに、小さかった。
* * *
この物語は、その小さな声が、大きな力に掘り潰されていく、五百年の記録である。
そして、その果てに、何が掘り当てられたか。何が壊されたか。何が、いま、地の底で目を覚ましつつあるか。それを、語り手は、順を追って述べていく。
阿蘇の、火の戸のことは、すでに語られた。
人吉の、水の戸のことも。
八代の、灯の戸のことも。
天草の、波の戸のことも。
四つの戸は、それぞれの土地で、それぞれの家が、血と、水位と、火と、祈りとをもって守り、そして、破れた。
残るは、鉄の戸。
五つ目にして、いちばん下の海に近く、いちばん薄い、一枚。そして、四つの戸のように、自然の岩が破れたのではなかった。鉄の戸は――人の手で、掘り抜かれた。
その物語を、語る前に。
語り手は、いま一度、視線を、地の底へ向ける。
五百年前の、あの晩。農夫が、燃える石を、たき火のそばに置き忘れた、あの晩。その石が赤く燃えたとき、地の遥か底で――鉄の戸の、すぐ向こうの、暗い水の中で。
何かが、ひとつ、身じろぎをした。
たった、ひとつ。ごく、かすかに。地上の誰にも伝わらぬほど、かすかに。だが、確かに。五百年の眠り――あるいは、五百年の、静かなる覚醒の中で。その水は、初めて、地上の火の気配を感じたのである。燃える石。地の底の宝が、地上で燃やされた。その、遠い、小さき熱を。
そして、水は、待ちはじめた。
いつか、地上の者が、その火を追って、掘り、掘り、掘り進んで――この、最後の一枚の、すぐそこまで来る日を。
五百年。
それは、下の海にとって、待つほどの時間ですら、なかったのかもしれない。




