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第8話:決闘に理由は要らない

「アリア様、お怪我はございませんか!」


予期せぬトラブルを前に、ローランが血相を変えて飛び込んできた。

一方の金髮美女は、すでに火がついたように大声を張り上げている。


「衛兵! 誰かこの男を捕まえて! 私に無礼を働いた不審者よ、今すぐ監獄へぶち込みなさい!」

「愛しいアリア様、どこかお痛みのところは? さあ、こちらへ。応接室のソファでお休みください」


ローランの紳士ジェントルマンオーラが全開になる。

彼は俺と金髪美女の間にすっと割って入ると、巧みな誘導で彼女を応接室の奥へと連れて行った。


「ひどく驚かれたことでしょう……。そうだ! 本日、当商会に隣町から極上のスイーツが届いたばかりなのです。きっとお気に召しますよ! もちろん費用は一切いただきません、我が商会からのささやかなお詫びの印でございます……」

「本当!? 嬉しいわ! まさかローランがそこまで私のことを気にかけてくれて、好物まで知っていてくれたなんて!」


さっきまでの激昂が嘘のように、金髪美女はうっとりとした表情でローランの胸に飛び込んだ。その変わり身の早さは、まさに天と地ほどの差だ。

その一連のやり取りの最中、ローランが俺に向かってチラリと目配せをした。その意図を、俺は瞬時に理解する。


(――今のうちにズラかれ!)


「それじゃ、俺はこれで失礼する!」


言い残すやいなや、俺は開いた扉の隙間から脱兎のごとく外へと飛び出した。

幸いなことに、廊下には第二の女の姿も、鎧を着た衛兵の姿もなかった。

しかし、大門を一歩出たところで俺は少し考え込み、再び中へと引き返した。


足早にカウンターへと向かうと、ジャケットの懐から一つの紙箱を取り出してポンとテーブルに置いた。

これは今日、システムショップで自分へのご褒美(晩酌のデザート)として購入しておいた「ブッシュ・ド・ノエル(クリスマス薪ケーキ)」だ。どうやら自分で味わう機会は失われてしまったらしい……。


「これ、さっきのお嬢さんへの謝罪の品だ! 渡しておいてくれ!」


カウンターにいた立派な髭の親父さんにそれだけ言い残すと、周囲の呆気にとられた視線も気にせず、今度こそ一目散に大門を突き抜けて逃走した。


---


「ふぅ……。なんとか撒き切ったか……」


行き交う人々で賑わう大通りを歩きながら、俺は先ほどの修羅場から無事に生還できたことを安堵していた。

あの女の身なりからして、間違いなくお貴族様か大富豪の令嬢だ。あんな手合いには関わらないに越したことはない。


「よし、気を取り直して街の観光だ。ここは憧れの異世界なんだからな!」


冒険者ギルドとやらに行ってみるべきか?

それとも、ドラゴンの卵でも売っていそうな怪しい露店を探すか?

いや、もしかしたら魔法道具の専門店なんかもあるかもしれない!

俺は初めて都会にやってきた田舎者のように、興奮気味にキョロキョロと辺りを見回した。


その時――。


ドサリッ!


突然、目の前の地面に一人の男が降ってきて、俺は心臓が飛び出るほど驚いた。


「うわっ、何だ!?」


よく見ると、それは革鎧を身に纏ったスキンヘッドの巨漢だった。体中に無数の打撲痕があり、どう見てもただ事ではない重傷を負っている。

彼が吹っ飛んできた方向へ視線を上げると、通りの右側に木板や空き箱を組み合わせて作られた、にわか仕立ての四角い舞台リングが目に入った。


そしてその舞台の上には、一人のメイド服を着た黒髪の美女が佇んでいた。

下層で騒ぎ立てる群衆をよそに、彼女は一言も発しない。まるで泥の中に凛と咲く蓮の花のように、冷徹で気高く、圧倒的な存在感を放っている。

彼女がゆっくりと突き出していた右脚を下ろす仕草からして、このスキンヘッドをここまで消し飛ばしたのは間違いなく彼女のわざだ。


「?」


その時、黒髪の美女がこちらを遮る俺の視線に気づいた。

彼女は俺に向けて、くいっと指先を挑発的に動かすと、口元に不敵な笑みを浮かべた。


俺は深く考える間もなく、二歩、三歩と足を進めて舞台へと飛び乗り、彼女と対峙した。


「……」


本来なら、まずは周囲の状況を観察し、慎重に行動すべきだったかもしれない。

だが、あの「冷蔵庫システム」を手に入れ、数々の凶悪な魔獣たちを圧倒してきた日々の中で、俺の心にある野生の闘争本能は、もはや静かに眠ってはくれなかった。

試してみたかったのだ。俺が手に入れたこの規格外の力が、この世界の人間を相手にした時、一体どれほど通用するのかを。

今、その答えが目の前にある!


「ルールは知っているか?」


美女は俺がこの土地の人間ではないことを見抜いたのか、あえて言葉をかけてきた。

俺は軽く体をほぐしながら、彼女の笑みをそっくりそのまま返してみせた。


「殴り合いにルールなんて必要か?」

「勝った方が強くて、負けた方がただの能無し。それだけだろ!」


黒髪の美女の口元が、さらに深く歪んだ。

極寒の氷をも溶かすような眩しい笑顔とは、まさにこのことか。

地球のネット動画で数々の美女を見慣れているはずの俺の心臓が、思わずドクンと跳ね上がる。


「言うね。今日ここに上がってきた男たちの中で、お前の答えが一番気に入ったよ」

「その言葉……ただのハッタリじゃないことを祈るよ!」


言い終わるが早いか、黒髪の美女の身体が弾丸のように突っ込んできた。


「速いっ!」


俺は胸中で驚愕しつつも、型も何も構わず、ただ本能のままに彼女の顔面めがけて拳を振り抜いた。

だが、黒髪の美女は微塵も怯まない。

彼女は寸前で身を屈め、俺の巨躯が作り出す影に潜り込むようにしてその一撃を完全に回避した。

直後、彼女の軸足が爆発的な踏み込みを見せる。縮んだバネが一気に解放されるかのように、その拳は最短距離を通って俺の顎へと突き上げられた。


ドカァァンッ!


強烈な衝撃とともに、俺の身体は派手に宙へと打ち上げられた。


「うおおお! さすがソフィアちゃん、強すぎるぜ!」

「いけえ! そいつの歯を全部叩き折ってやれ!」


周囲から一斉に激しい歓声が沸き起こる。

だが、当の黒髪の美女――ソフィアだけは、どこか奇妙そうな表情を浮かべていた。


「手応えが……違う……」


それもそのはず。彼女の拳が俺の顎に触れたその刹那、俺は自ら真上へと跳躍していたのだ。

俺は宙に浮き、上空から彼女を見下ろす。

次の瞬間、俺は「冷蔵庫システム」から一本のコーン缶を取り出すと、彼女めがけて全力で投げつけた。

全身の筋力を込めたその一撃は、メジャーリーグのエースピッチャーをも凌駕する速度。

いくら彼女でも、絶対に避けられない!


しかし、ソフィアの口元に浮かんだのは「その程度か」と言わんばかりの冷笑だった。

彼女は流麗な架勢かまえを取ると、全身から蒸気のような白い光を放ち始めた。

特に右拳を包む蒸気は、まるで沸騰したミルクのように濃密に凝縮されている。


「見ろ! ソフィアちゃんが本気を出すぞ!」

「あれが噂に聞く『パンクラチオン』か! 拳闘と魔力を融合させた古代の格闘術……!」


群衆が固唾を呑んで見守る中、弾丸のごとき缶詰と、沸騰する拳が真っ向から激突した。


ゴンッ!


鉄製の頑丈な缶詰は、彼女の拳によっていとも容易く叩き割られた。

だが、次の瞬間――。


ドガァァンッ!


鉄缶の中に詰められていたコーンの粒が、まるで打ち上げ花火のように華麗に大爆発を起こした。

ソフィアも含め、その場にいた全員の視界が、一瞬にして宙を舞う無数の「黄金の真珠」によって遮られる。


「くっ、小癪な……!」


ソフィアが不快そうに舌打ちをした。

だが、その時にはすでに俺の拳が肉薄していた。

彼女の腹部に触れた瞬間、俺は拳を「掌打しょうだ」へと変化させ、その衝撃で彼女を遥か彼方へと吹き飛ばした。


ソフィアの身体は一直線に宙を飛び、通りの向かい側にあったリンゴの露店へと派手に突っ込んで、それを粉々に粉砕した。


バシャシャッ!


飛び散る果肉と、甘いリンゴの香りが一あたりに立ち込める。

その光景を見て、俺の頭は一気に冷え切った。


(――やべぇ、やっちまった!?)


「路上での乱闘」「爆裂物の投擲」「他人の店舗の破壊」……三つの重罪が脳裏をよぎる。

今日稼いだ金で、保釈金は足りるのだろうか?

恐ろしさが一気に込み上げ、俺はすぐさま脇の路地へと飛び込み、後ろをも振り返らずに全力で逃走した。


俺が去った後、現場がどれほどの静寂に包まれたか、俺は知る由もない。


「……おい、見たか?」

「あ、あぁ……」

「あのソフィアだぞ……パンクラチオンの第5階位に達したソフィアだぞ……。100連勝の記録を持つ、あのソフィアが……」

「吹き飛ばされた、だと!?」


一拍置いて、通り全体から天を衝くような驚嘆の声が沸き起こった。

誰もが今の戦闘と、あの謎のよそ者の正体について狂ったように議論を始めている。


一方、崩壊した露店の残骸から、一本の白い手が木板を押し退け、彼女が姿を現した。

通りの端へと消えていったあの背中を見つめながら、ソフィアの口元に微かな笑みが浮かぶ。


「面白い男……」


彼女は服についた木屑や果肉を軽く払うと、呆然としている露店のおやじに銀貨を二枚、ぽんと投げ渡した。

そして、俺が逃げたのとは真逆の方向へ向かって、悠然と歩き出した。

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